一部引用・・ 「誠に残念ながら、津島全体で500頭以上いた牛のうち約260頭が原発の犠牲になりました。人間の避難で精一杯。私も30頭だけを町外に移動させました。40頭は無理でした。殺処分せざるを得ませんでした。牛も自分の運命を分かっていたのでしょう。トラックになかなか乗らなかった光景は今でも覚えています。思い出すと涙が出てきます」
今野幸四郎さん(82)の涙声が法廷に響いた。
自身で5代目。代々、林業と農業で生計を立てて来たが、「5年に1度の大冷害に対応するため」1960年代に酪農を始めた。国の減反政策が始まった事もあり、70年代には酪農一本に絞って取り組んできた。やがて長男も手伝うようになり、原発事故の直前には70頭の牛を飼うまでになっていた。
【ふるさとを返せ 津島原発訴訟】東電代理人の「年20mSvまで安全」発言に法廷は騒然。「奪われた津島での酪農」「自分で建てた家が汚染」~2人の男性原告が本人尋問 #BLOGOS https://t.co/dFKimixX3z
— achikochitei (@achikochitei1) 2019年7月12日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます