病僧の 庭はく梅の さかり哉
行き行きて 倒れ伏すとも萩の原
侘しさや 大晦日の 油売り
終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山
春に我 乞食やめても つくしかな
芭蕉の奥の細道の旅のお供に最初に決まっていた弟子ではなく、代わりに曽良が選ばれた史実から
曽良は幕府の奥州査察の密命を帯びた芭蕉の警護に選ばれた侍だったという説がある。
阿智胡地亭は 諏訪に行ったあるとき 信州諏訪出身の曽良の彼の二つ目の墓を従兄に連れられてお参りしたことがある。
本来の曽良の墓は亡くなった壱岐の島にあるが ⇒ 史跡について | 壱岐市勝本浦ご案内
後に生地の諏訪のお寺にも墓が作られた。 ⇒ 諏訪⑤正願寺と曽良の墓 | ここはいいところ
諏訪地方では町人職人など町方の暮らしにも俳句が定着しており 諏訪の祖父は近所の仲間たちと月に何日か日を決めて 自分の仕立て屋の二階など持ち回りで句会をやっていたそうだ。
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