「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、不可能なのです。 」
ネルソン・マンデラ
だが、日本では「和を以て貴しとなす」が金科玉条で、「沈黙は金」で、「みなさまのおっしゃる通り」が強制される。
あの東条英機ですら「私が開戦を決めたのではない。下から上がってきたことだ。」と責任無しを正当化する。
最初は「まだ誰も戦争するなんて言っていないのに、反対を叫ぶなんて」と言い、
過程では「空気を読め、場違いな発言はするな」と言い、
最後には「決まったことにとやかく言うな。従うのが当然だ。」と押し付けられる。
「ムラ政治の安定」と「差別」とはセットだったのではないか。多数派にくっついていないと自分がイジメられるという理屈か。
農村の宮座の村方三役と地主小作水飲のムラ秩序は企業そのものとなり、社内の派閥となり、役人のセクト主義となり、原子力ムラになり、対米従属ムラとなった。
網野善彦は土地に縛られた農民とは別に海の民、山の民、の存在の大きさに注目し、「百姓=農民」ではないと主張した。
「村八分を恐れた」社会だけが日本の流れの全てではないはずだ。
「普天間基地の県外移設は出来ないと20年前から決まっている」って、いったい誰が決めたんだ。
山本スイカ メールマガジン「 少数異見 聞いても聞かない、見えても見ない」 No.196(2022.6.5)から引用。
これもやはり逃げ場の無い島国のなせる業(ワザ、ゴウ)ですかねぇー、考えないといけませんね☹️‼️