今は小学生から学校で英語の授業が導入されていますが、それはそれとして、私たち日本人が当然にして必要とする国語の勉強について、いかにもこれを軽視したかのような発言をしたり、或いは実際にそうした行動を示す人たちの多いことに最近改めて驚いています。
日本語の使い方も不満足なくせに、何が英語だ、という、そんな気さえすることがあります。
そういうことについては、たとえば御茶ノ水女子大の先生だった藤原先生なども、良くない方向に変貌しつつある今のこの国の文化を論じる中で、似た趣旨のことを書いておられますが、ことは今に始まったことではなく、もう長い時間をかけて徐々にこういうことになったのだろうと思います。
少し前になりますが、学校の先生と話をした際、先生であるにもかかわらず、文法的に滅茶苦茶な言葉の使い方をしていたことに驚いたことがあります。
国語の力というのは、これはもう幼い頃から正しい指導法できっちりと教えていかないと、子供たちが自分でしっかり身につけることはなかなか難しいと思います。
保護者面談の場などで「国語なんてやればすぐに出来ますよね」などと放言する方がたまにいますが、まったく持って的外れな言葉であるということを、改めてここで声を大にして言いたいと思います。