テストの前ですので、どうしても普段以上に授業には力が入ります(いつだって力は入っていますが)。
力を入れるというのは、決して子どもたちに無理強いをさせ続けることではありません。合理的な範囲で、親の責任で子供に勉強することを要求するのは、親の立派な仕事の一つです。それは無理強いする、というのとは全く意味が違います。
ちなみに先日この欄で「保護者の強制」について思うところを書きましたが、あれは私を含む先日のセミナーの参加者全員の善意から出た意見・見解であって、親がその責任において、合理的な範囲で子供に勉強させることは、これを強制とは言いません。
何年か前、白百合女学院にお嬢さんをかよわせている或るお母さんが、熱心さの向け方を大間違いして、そのお嬢さんには毎日(週に6日!)午前零時まで教室に留めて勉強をさせてほしいと、これはもう塾に対する相談やお願いのレベルではなく、実に高圧的な要求をしてきたことがありました。そんなこと、今子供が通っている学校では当たり前です!と言って。(注:全然当たり前などではありません、念の為。)
午前零時まで子供を置いておくということは、即ち講師の帰宅の足など全く考慮もしないということでもあって、仮にその時刻まで子供(この場合は少女)を見ていて、零時になったから「はい、さよなら」というわけにも行きませんから、家まで送って行くことになります。講師にそこまでさせるわけには行きませんから、23時以降の授業は私が行い、その後送っていくことも私がしていました。悲しかったのは、その子を玄関口まで送り届けても、そのお母さんが「おかえり。頑張ったね」といって迎えてくれるのではなく、その子が自分でドアの鍵を開けて、すでに家中真っ暗になった中に入って行く姿をみること。聞けば、親はその時刻にはとっくに寝ているとのことで、親はその子のための食事を用意しているでもなく、子供は玄関脇に山と積まれたインスタントラーメンを一袋取り出し、深夜自分で具なしのラーメンを食べるのでした。
この子の勉強時間はしかしこれで終わるのではなく、このあと更に深夜まで机に向かって学校や塾の宿題をし、予習もしますので、睡眠時間は平均して2.5時間。
親はこれを寝過ぎといって、「眠るから忘れちゃんです。朝まで寝なければ忘れないんです」といっていました。子供はいつも青い顔をしていました。
もう時効だと思うので書いていますが、これが「合理的な範囲を踏み外した」強制です。当時は、こんなにしてまで子供に勉強を強いることに疑問を懐きながら、それに加担している自分自身にも自己嫌悪を感じていました。あの親が、そして自分がしていることは、勉強の指導の範囲を大きく逸脱した児童虐待ではないかと。
今でしたら、こんなやり方は決して受け入れないでしょう。あのときは、こういう指導、こういう家庭の方針もあるんだと、驚きながら、疑問を懐きながら毎日深夜までこれと向き合っていました。
今日、急な保護者面談がありました。テスト対策に臨んでいる子の、ここ一週間の取り組み方に垣間見えた問題点の指摘とその認識の共有を図りたかったこと、そしてここで気を引き締めて明後日からのテストに臨むためのいくつかの細かな修正点を明らかにするために。
子供さんはとても良い子ですし、お母さんも一所懸命なところがとても好感が持てますし、ここで色々と悩んだり迷ったりすることは、それ自体極めてあたりまえですし、健康的です。
重ねて言います。今やっていることは極めて健康的な指導であって、決して無理強いではありません。ここはもう一つ、強い自信を持って前に向かって進んで行ってほしいと思いました。勿論、教室(のスタッフ)は常に一緒です。