昨日、国語の勉強に触れることを書きました。その趣旨は、小学生に英語を教え込むより先に文科省はやるべきことがあるでしょうよ、という観点からの国語充実論です。
実際、教室に来る子どもたちの実に多くが自分の見方や意見を文章でまとめることができず、そういう課題を前にすると決まって固まってしまいます。彼らに起承転結なんていう、文章を作るときの基本を言っても「なにそれ?」という顔ですし、主語述語や修飾語の正しい使い方をしらないのですから、教える方は本当に大変です。
中にはサクサクこれをやってのける子もいまうが、そういう子は稀です。そういう子はおしなべて家でちゃんと本を読んでいますし、それも漫画の類ではなく、色々なジャンルのものを読んでいますので、きっと自然な形で文章のあり方が身についているという面があるのではないでしょうか。
こういう下地があると、国語の知識を構築していくのはとても楽です。故事成語、慣用表現、比喩などのテクニックもスポンジが水を吸うように吸収します。
保護者の中に、「国語なんて日本人なら誰だって勉強なんかしなくても自然にできるようになるでしょ」などと言う人がいますが、きっとそういう人はこうした文法などのアカデミックなものを考えに入れず、ただモノを言うという行為で意思の疎通を図れるでしょ、といっているに(本人が意識していないにせよ)違いありません。
塾人として残念なことに、そういう方の間違った認識を改めてもらう機会がなかなかないことと、そういう間違いや思い込みは結構凝り固まったものがありますので、その子供の国語力を向上させることは容易ではありません。