東京新聞の社説【活断層と認定 志賀原発は動かせない】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042902000187.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016042902000172.html)。
《北陸電力 志賀原発(石川県)の直下を走る断層が、地震を起こす恐れのある活断層と認定された。活断層が連動して動く怖さは、熊本地震で骨身に染みた。過去に学べば、志賀原発は動かせない》。
《原発事故から十年たった一九九六年の四月に現地入りした時、何度も聞いたのは、「悲劇は終わったのではなく、続いている」という言葉だった…福島の事故後に新たに投じられることになった原発の追加安全対策費は、二兆円を軽く超えるという。北陸電力の志賀原発など、複数の活断層があると指摘されたのに、一千億円以上もかけ再稼働を図るという。活断層の恐ろしさはその目にどう映っているのか》。
北陸電力志賀核発電所の原子炉直下に活断層が存在している。それを知りながら…3.11東京電力核発電所人災以降、再稼働のために一千億円以上もドブガネしたそうです。その存在は、ずいぶんと以前から指摘されておきながら、北陸電力は一体何を考えているのでしょうか?
そもそも、誰が「それ」を「そんな所」に造ったのか? 責任者を明確にすべきでしょ!
《活断層の恐ろしさはその目にどう映っているのか》? 節穴。電力会社や原子力「ムラ寄生」委員会、アベ様らの眼は節穴。
『●原発裁判はどれも完敗:
井戸謙一元裁判官と小出裕章さんの対話』
『●そりゃぁ、東京電力原発人災以降を見ただけでも、
「司法」にも絶望するよな』
『●井戸謙一元裁判官再び:
最高裁は常に国側に、そして、努力は無駄に』
『●金沢地裁原発差し止め判決: 井戸謙一元裁判官』
『●志賀原発訴訟第二ラウンド: 裁判所は信頼を回復できるか?』
『●「自民党と政治権力」
『週刊金曜日』(2013年7月19日、952号)について』
『●「鼻血問題」: 「原発関連死」と「死の街」発言』
『●東京電力原発人災鼻血問題:
風評被害に矮小化していて良いのか?』
『●井戸謙一さん「高浜3、4号機再稼働差止仮処分」
・・・「仮処分決定は、直ちに効果が発生」、再稼働不能』
『●金沢地裁・井戸謙一元裁判長「「原子炉を運転してはならない」。
自ら発した声に法廷はどよめいていた」』
『●「効率より安全、経済より命」: 井戸謙一元裁判長、
樋口英明・山本善彦裁判長の声は班目春樹氏には…?』
==================================================================================
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042902000187.html】
【社説】
活断層と認定 志賀原発は動かせない
2016年4月29日
北陸電力 志賀原発(石川県)の直下を走る断層が、地震を起こす恐れのある活断層と認定された。活断層が連動して動く怖さは、熊本地震で骨身に染みた。過去に学べば、志賀原発は動かせない。
熊本地震の激しい揺れで、目が覚めたということなのか。
志賀原発1号機直下の活断層が、ようやく認定された。
原発の真下を走る古い地層のずれ(S-1断層)は、いつかまた激しく動く、つまり地震を起こす恐れを秘めた活断層なのか、そうでないのか。
3・11後の原発新規制基準では、活断層の真上には、原子炉建屋など重要施設は設置できない。
二十九年前、北陸電は、S-1断層の試掘調査を実施した。
その図面をもとに、活断層の疑いを指摘したのは、かつての規制機関である経済産業省の原子力安全・保安院だった。3・11後の二〇一二年七月、原子力規制委員会が発足する二カ月前のことである。その図面が決め手になった。
規制委の有識者会合は昨年七月、「活断層の可能性は否定できない」と結論づけていた。そしてようやくその評価が規制委に認定された。
志賀原発は約四年間、指摘のあった地震の危険にさらされていたことになる。
私たちは今まさに、熊本地震のさなかにいる。日本が地震国であること、地震活動の計り知れなさ、予測しがたさ、強大さなどをまざまざと見せつけられている。
「否定できない」以上はクロだ。危険がある。1号機は、速やかに廃炉にすべきである。2号機の原子炉建屋の直下に活断層はないものの、周辺機器に冷却水を送り込む配管の下を横切っている。
冷却がいかに大切か。私たちは福島の事故に思い知らされた。
防災は歴史に学べ。3・11以来の鉄則に照らしてみれば、2号機も動かすべきではない。
2号機は新しく、出力は一三五・八万キロワットと大型だ。電力自由化の競争時代、失いたくないという電力会社の台所事情も分かる。
だが、日本列島に活断層は二千カ所以上あるといわれ、未知の部分も多い。再稼働の適合審査に臨むにも、膨大な対策費用がかかるだろう。
原発依存はもはや経営リスク。これも大震災の教訓だ。
北陸電は、水力を含む再生可能エネルギーの比重が高い。率先してそちらへ舵(かじ)を切るのも、企業としての“防災”ではないか。
==================================================================================
==================================================================================
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016042902000172.html】
【コラム】
筆洗
2016年4月29日
チェルノブイリの地を、二度訪れたことがある。そこで書きとめた、かの地の人々の声を今読み返せば、苦い思いがこみ上げてくる▼原発事故から十年たった一九九六年の四月に現地入りした時、何度も聞いたのは、「悲劇は終わったのではなく、続いている」という言葉だった。だが悲劇は続いているだけでなく、繰り返されてしまった。しかも日本で▼ソ連政府は事故後もチェルノブイリ原発の再稼働にこだわり、三基の原子炉を動かした。最後まで動いていた三号炉が停止されたのは、二〇〇〇年の十二月十五日。その時、原発の元幹部は、こう語っていた▼「事故直後に完全閉鎖しておけば、チェルノブイリ原発を再び動かすために使った巨額の投資分で、エネルギー運用の効率化など抜本的な対策をとることができたはずだ」▼日本はどうか。福島の事故後に新たに投じられることになった原発の追加安全対策費は、二兆円を軽く超えるという。北陸電力の志賀原発など、複数の活断層があると指摘されたのに、一千億円以上もかけ再稼働を図るという。活断層の恐ろしさはその目にどう映っているのか▼チェルノブイリ原発の元幹部は、こうも語っていた。「国民が抱えるだろう重荷を直視せずに原子力政策を決めるという点では、事故後も何も変わってはいない」。この言葉もまた、今の日本を言い当ててはいまいか。
==================================================================================