日刊ゲンダイのコラム【高野孟 永田町の裏を読む/「さよならテレビ」はテレビ局が抱える“闇”の一端が見える】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263030)。
《東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが話題になった》。
『●『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著)読了
…《あなたの政治的ポジションを見つけて…》』
《だいたいみんな、このごろ、まちがえてんのよね。
「偏らないことがいいことだ」「メディアは中立公正、不偏不党であるべきだ」
「両論を併記しないのは不公平だ」。そういう寝言をいっているから、
政治音痴になるのよ、みんな。》
《あのね、政治を考えるのに「中立」はないの。メディアの役目は
「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。
それ、常識。》
《党派性をもたずに政治参加は無理である。》
アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟《メディアコントロール》。「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…。アベ様のNHKや下足番新聞など、メディアがアベ独裁広報機関・広報紙・広報誌となって久しい。そんな中、東海テレビは注目に値する。
《言論機関としてのテレビの危機的な現状を自ら裸になって提示…とはいえ…「テレビ局が抱える闇はもっと深い」》。《メディア再生の試み》はどこまで功を奏しただろうか。
『●『創 (12月号)』読了 (2/2)』
「森達也さん『極私的メデェア論』第38回「視点が違えば世界は違う」
…《フジテレビで一本のドキュメンタリー番組が放送された。タイトルは
「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日」。…プロデューサーの
名前は阿武野勝彦。そしてディレクターは斎藤潤一。…テレビ業界で
煩悩し格闘している人は決して少なくない。…「鬼畜弁護士を被写体に
するお前が鬼畜だ」と罵倒されたという。…非当事者である僕たちが、
本当の意味で共有など出来るはずがない》」
『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん』
『●司法権力の〝執念〟: 映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』』
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評』
『●血の通わぬ冷たい国の冷たい司法: 「奥西勝死刑囚(87)
・・・・・・死刑囚の心の叫び」は届かず』
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
『●「テレビ業界で煩悩し格闘している人は決して少なくない」
…「隠された歴史を掘りおこす」地方テレビ局』
「優れたドキュメンタリーが、東海テレビや琉球朝日放送、南海放送
といった地方のテレビ局で生み出され、そして映画化される。
『死刑弁護人』や『標的の村』、『放射線を浴びたX年後』といった作品
である。
東海テレビ・阿武野勝彦プロデューサーは《映画にすることで、
作品は命を永らえることができる》、森達也さんは《テレビ業界で煩悩し
格闘している人は決して少なくない》、そして、木下昌明さん
《隠された歴史を掘りおこす》と言う」
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で、
「『よく撮って、知らせてくれた』…お褒めの声」』
「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』(…)の編集部による
インタビュー記事【東海テレビ・阿武野プロデューサーを直撃!
ヤクザの人権、犯罪弁護団、安保批判…萎縮状況の中で
なぜ東海テレビだけが踏み込んだドキュメンタリーをつくれるのか】」
「「圧力、自主規制、政権を忖度、報道の萎縮…テレビ業界」で
「異彩を放つ刺激的なドキュメンタリー」を放ち続ける東海テレビ。
阿武野勝彦氏は「ど真ん中の仕事…ドキュメンタリーの真ん中」であり、
そんな仕事には「『よく撮って、知らせてくれた』…
お褒めの声のほうが多い」そうだ」
『●「自主規制、政権を忖度、報道の萎縮」なテレビ業界で…
東海テレビ『ヤクザと憲法』の意味が、今、分かる』
《東海テレビが半年間、ヤクザに密着したドキュメンタリー映画
「ヤクザと憲法」…▼暴排条例を人ごとと思っていたが、別の法律が
ブーメランのように自分の身に降りかかろうとしている…
▼…金田勝年法相のあいまいな答弁の理由の一つが鮮明になった》
『●《新聞を含むマスコミは…「客観中立で、常に事実と
正論を語る」という自画像を描き、自ら縛られてきた》』
「沖縄タイムスの阿部岳さんのコラム【[大弦小弦]
「さよならテレビ」、とテレビが言う。】…《東海テレビが
制作したドキュメンタリー番組のタイトルである…
▼新聞を含むマスコミは逆に「客観中立で、常に事実と正論を語る」
という自画像を描き、自ら縛られてきた…▼澤村ディレクターは今、
「番組はメディア再生の試みだと受け止めている」と話す。
さよならマスコミ、さよなら予定調和、さよなら自主規制。
こんにちは、自由で新しい表現。(阿部岳)》」
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【https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263030】
高野孟 ジャーナリスト
永田町の裏を読む
「さよならテレビ」はテレビ局が抱える“闇”の一端が見える
2019/10/10 06:00
(東海テレビ公式HPから)
東海テレビ制作の映画「さよならテレビ」の試写を見た。数々のドキュメンタリー作品を世に問うたことで知られる同社の取材班が、なんと、自社の夕方のニュース番組を制作する報道局の現場を2年間にわたって追跡し、2018年の同社開局60周年記念番組として放送。言論機関としてのテレビの危機的な現状を自ら裸になって提示しようという、その蛮勇ともいえる試みが話題になった。それをさらに映像シーンを追加して劇場用の映画として仕立て直したのがこの作品である。
そのニュース番組は視聴率が低迷していて、同時間帯の各局比較でほぼ常時4位。キャスターを交代させ、グルメ系のコーナーが受けがいいと見ればそちらに傾きそうになったり、見た目に面白いだけのいわゆる「絵になる」シーンを多用したりと四苦八苦。報道局長は見学に来た小学生たちに「権力を監視するのが報道の使命だ」と建前を語るが、現実にはそんな青くさいことを言うスタッフはおらず、ただ一人、契約社員として加わっている50歳のフリー記者のSが周囲の反応にめげそうになりながらも「共謀罪」の問題で番組を作って気を吐いている。
「働き方改革」とかで残業が月100時間を超えることは絶対禁止とお達しがあり、サラリーマン社員としてはそれに従わざるを得ないけれども、視聴率を上げるために取材を増やそうとすれば、契約社員や下請け制作会社からの派遣社員にしわ寄せがいくばかり。そういう中で、「Z印」の番組も増えていく。Zは「ぜひもの」、スポンサー企業からの注文通りの「よいしょ番組」である。
このような、テレビのニュース番組の制作現場の悪循環スパイラルともいうべき現実が、生々しく描かれていて、そこにこの作品の価値がある。
テレビ放映を見た同社の重役が「会社のイメージを毀損した」と取材班を激しく非難したそうだが、むべなるかな。とはいえ、長年にわたりテレビ報道の現場で仕事をした経験がある私から見ると、この描き方はまだ甘すぎる。社内取材ゆえの奥歯にモノが挟まったかの表現では、私なら何を指摘しようとしているのか容易に想像がつくけれども、一般の観客にそれが伝わるかどうか。
終わり近くでSが語っているように「テレビ局が抱える闇はもっと深い」のである。ともあれ、映画は来年1月2日から東京・ポレポレ東中野と名古屋・シネマテークでロードショー公開されるので、ぜひご覧下さい。
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