国体について考える。
国民体育大会ではなく、国体である。
年寄りが、
天皇陛下万歳。
最近の者は国体を理解していない。
天皇陛下を戴いて、この国の安寧が保たれている。
なんてバカな事を言う人がいるが、国体の本当の意味を理解しているのだろうか?
そして、この現代の国体が明治時代に作られ
た、天皇陛下万歳!お国のために死にます!という時代錯誤の遺物である事を理解しているのだろうか?
そもそも国体という言葉は、天皇陛下が国に君臨するという意味ではない。
今の国体の定義は明治時代に作られた
万世一系の天皇が日本に君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する
とうたわれているが、この意味は
日本に君臨するのが天皇で、永遠に続くものであり、臣民(君主に支配される人民)も天皇の行ったことを褒め讃えた、心は君主と臣下であるが、心は親子のように君主に忠義をつくすことによって、国家を進歩して行くために力を貸すこと。
というものである。
鎖国がとかれた明治時代。
日本国家を守るために作られたものが今の国体なのである。
意味を読むと分かると思うが、今の時代にこんなことを言われたら、パワハラ、モラハラで訴えられる内容である。
大日本帝国憲法の時代に作られた今の国体が、敗戦を経験して、本当の意味での民主国家となった現代の日本にそのまま残っているのが不思議であるし、間違っていると思う。
そもそも国体という言葉は、国家の形や体裁のことである。
もっと遡れば、国体とは一つの団体に属する土地や人民のことであった。
その後、国体で神を崇めるという思想に代わり、現代の天皇に変わってきた。
というように、国体=天皇陛下万歳は間違っているのである。
国体は、時代によって変わるもの。
そして今、天皇という地位はあっても良いが、必要最低限のコンパクトなものにしなければ、時代に全くそぐわないと考える。
天皇家の遺産を全て売却し、皇室専用億ションを建築し、その周りにSPを24時間体制で配備し、行事は訪問、慰問以外全て無くしてしまい、普段は簡単な名誉職を与えて企業や研究機関に座らせる…
それで得た収入は生活費の一部に当てる…
そんな時代ではなかろうか。