【社説①】:週のはじめに考える いつの世も弱きを助け
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:週のはじめに考える いつの世も弱きを助け
伊勢湾、三河湾に面し、丘陵が連なる愛知県・知多半島のちょうどへそ辺り、半田市鴉根(からすね)地区(旧・知多郡成岩(ならわ)町)の小さな公園にひときわ大きな石碑が建っています。この地に、明治から昭和期にかけ、社会から虐げられた人たちのための「救済所」があったことを伝えています。
立ち上げたのは榊原亀三郎(1868~1925年)。子分70人を従えた俠客(きょうかく)でした。30歳のころ保護司制度の原点をつくった遠州(浜松市)の実業家、金原明善に感銘を受け、後半生を世のために尽くすと決意しました。
山林を開墾し、明治32(1899)年に榊原弱者救済所を設立。捨て子や、家庭から逃げてきた女性、病や老いで家族に見放されたり、罪を償っても行き場がない人らを受け入れました=写真。
◆1万5千人の母子ら救済
成岩町沿革史はこう記しています。博徒の親分、亀三郎が「翻然悔悟」し、救済事業を始めたが、最初は皆、本心を疑った。しかし「熱心久しくして衰えざる」を見て、支援の輪が広がり、創立以来の30年余で、1万5千人を救済した-。驚くべき人数の多さです。
亀三郎の没後、土地、建物は売却され、その存在はほとんど忘れ去られていました。「はんだ郷土史研究会」代表幹事の西まさるさん(77)が偶然、救済所のことを知り、2010年、亀三郎の生涯をまとめた著書を出版。その功績が再評価されつつあります。
当時の新聞や資料を丹念に調べた西さんによると、晩年の亀三郎は「この世に1人の孤児もいなくなり、努力しても飯が食えない人が1人もいなくなるまで、この事業を続ける」と語ったそうです。
現代版の救済所とでも言いましょうか。名古屋市熱田区の「千年(ちとせ)建設」社長、岡本拓也さん(46)がNPO法人「リブ クオリティ ハブ」を立ち上げたのは2022年のこと。虐待を受けていても逃げ場がないなど、シングルマザーが抱える「負のスパイラル」を強く憂いていたからです。
例えば生活保護や児童手当などの行政サービスを受けたり、仕事に就くには住居や住民票が必要。しかし、住まいを見つけるには仕事や蓄えがなければなりません。
◆グラミン銀行に触発され
岡本さんは大学時代に海外を放浪中、バングラデシュで、グラミン銀行のことを知りました。「銀行の常識」では考えにくい貧困女性らに特化した無担保融資と、その高い返済率に驚かされます。
ある女性はグラミン銀から30ドルを借りて鶏を買い、卵を売って週60セントずつ返し、1年後に完済しました。女性は次に100ドルを借りて牛を買い、牛乳を売って、やがて貧困から抜け出したのです。グラミン銀と創設者のムハマド・ユヌス総裁は2006年、ノーベル平和賞を受賞しました。
岡本さんは18年に父親の急逝で会社を継ぎました。その後のコロナ禍で、どこにしわ寄せがいくのかと考えた時、困難に直面する母子への支援を思い付きます。
建設会社ならではの事業は、まず「住まい」から。投資家や銀行から資金を調達し、好立地にある中古マンションをビルごと購入して、リフォーム。虐待などで逃げてきた母子に割安で貸します。スタッフはとことん寄り添い、支援団体や就労にもつなげます。
愛知県内で夫と3人暮らしだった女性(38)は今年2月、3歳の長男が夫から虐待されていることに気付きました。2人目を妊娠中でしたが、別居、離婚を決意しました。
ハブに助けを求めます。離婚協議を進めながら、3月には、岡本さんが管理する名古屋市内のマンションに引っ越しました。家賃は3LDKで4万円台と相場の半分ほどです。児童手当などの申請や免許証の書き換え、銀行通帳の名義変更などについてもスタッフが相談に乗ってくれました。
行政は申請主義、こちらから働きかけないと何も進まないことを痛感したと女性は言います。自分がどこで、どんな支援を受けられるのかも分かりませんでした。
ハブはこれまでに計38人の母子に住まいを提供し、市民の寄付で食料や日用品も届けています。1日何件もの相談が全国から寄せられています。まだまだ支援の輪を広げねばと岡本さんは言います。
困窮する女性を支えるための法律が来年度、施行されます。女性の地位はいまだ低い。亀三郎が追い求めた社会も、実現してはいません。しかし、どんな時代でも、弱者に温かい手を差し伸べる人がいるのも、この社会なのです。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2023年10月01日 07:43:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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