《余録・12.11》:死んだ兄と自分を取り違えた新聞の訃報に…
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・12.11》:死んだ兄と自分を取り違えた新聞の訃報に…
死んだ兄と自分を取り違えた新聞の訃報に「死の商人」の見出しがあった――。ダイナマイトを発明したノーベルが平和賞を作ったきっかけとされる逸話だが、確たる証拠はないという。より確かなのは元秘書のオーストリア人女性の影響だ
▲反戦小説「武器を捨てよ!」(1889年)で名声を得て平和運動にまい進したベルタ・フォン・ズットナー。晩年まで交流したノーベルは死の3年前に「普遍の平和に貢献した男性か女性への賞」を創設する考えを伝えた
▲1905年に女性初の平和賞を受賞し、第一次大戦直前に亡くなった。飛行機の誕生で空も戦場になると警鐘を鳴らした予言的評論「空の野蛮化」は2度の大戦で現実化した。広島と長崎への原爆投下は究極の姿だ
オスロ郊外の空港に到着し、取材に応じる日本被団協代表団の(手前から)田中熙巳さん、箕牧智之さん、田中重光さん=2024年12月8日、共同
▲日本原水爆被害者団体協議会へのノーベル平和賞の授賞式がオスロで行われた。長崎で被爆した代表委員の田中熙巳(てるみ)さんは受賞演説で「核兵器も戦争もない世界」に向けた協力を訴えた。過去の平和活動家たちの思いと重なる
▲「欧州が廃虚と失敗の見本となるか。危機を回避し、平和と法の時代に入るか」。約120年前に世界大戦回避を求めたズットナーの願いはかなわなかった
▲核戦争を回避できなければ人類の失敗だ。「思想は決して滅びず目的が達成されるまでさすらい続ける」。ズットナーをたたえた同郷の作家、ツバイクの言葉だ。田中さんが求めた「原爆体験者の証言の場」を通じ、被爆者の思いが世界へ若い世代へと広がることに希望を託したい。
元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】 2024年12月11日 02:03:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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