一日遅れになりましたが、こちらでもご紹介
ココの常連さんでもあります、CAが代表を務め、ウチの長女梨が店長を任せられた
「バリアフリーカレーハウス ほう・れん・そう」が昨日10月2日大安吉日に無事オープンの運びとなりました
トップのウェルカムメニューボードはますこちゃんと母からの開店祝いです
このボードの他、店先には
王様が作ってくれた大きな立て看板や、
おねいさんが友情製作してくれたオープン・クローズ看板
などが
にぎやかにお客様をお迎えしてくれます。
店内では先月ミシン部屋でせっせと作られたオリジナルエプロンとおもしろキャップを着けたメンバーさんたちが楽しげに(まだその余裕はないかも)めちゃうまカレーを作っています。
場所は四日市市日永、南高坂下、心療センター前。
これで位置がわかったあなたは是非一度おいでくださいませ
きっとやみつきになりますよ
だって、あんなに「カレーはキライ」と言ってたあづが、
昨日も行けなかったかわりにと無理を言って宅配もってきてもらっちゃいましたから
朝からルウのみを(ご飯ダメなので・・・)ぺろりんと食べていました
開店一日目の昨日は、なんと地元伊勢新聞に大きく掲載されているのを、
しんぷるさんの社長はんがどこやらで見つけてくれて、もらってきてくれたんです。
ありがとうございます
昨日もたくさんお客様が来て下さったようで、
ホッと胸をなでおろせた母です
とまぁ、おめでたい話題でブログ復帰を果たした母ですが
先週中ほどより「鬼の霍乱」とでもいうような急激な体調不良に襲われ
5○年生きてきて、初めて!!くらいのかなりのダメージを受けました
もう若くはないという厳然たる事実を突きつけられた思いです。
風邪でもなく、インフルエンザでもなく、肺炎でもないのにもかかわらず、
38.5°~39.5°の高熱が丸二日続き、
眠れず、動けず、食べられず、の三大ず
おまけに激しい頭痛で吐き気もしてきて、
熱で顔も体も赤く膨れて、この世の物とは思えない形相だったことと思います。
「いつでもどこでもどんだけでも」
睡眠に関しては昔から「眠り姫」の異名をとるほどのねぼすけ体質なので、
不眠の苦しさを初めて知りました
そんな苦しい突然の苦境の中、瀕死の母を助けてくれたのはやっぱり
「家族と友人」でした。
大黒さまのいない日中にえりせんせいが母を病院に運んでくれて、
その間、あづを預かってくれました。
おかげで診察が受けられて、
家の心配をせずにゆっくり点滴治療を受けることが出来ました。
あづは本当に心配そうにキッチンからちゃんと浄水を汲んできてくれて、
「水分採って寝てなさい」と、背中をさすってくれたり、
ピアノくんも得意のレシピからしょうが入りのミルクおじやを作ってくれたり、
大黒さまも土曜からの3連休は家事一切を引き受けてくださり、
本当に母はゆっくりと休ませてもらいました。
熱が下がってからも激しい頭痛は続き、
あまりの痛さに涙が出てくるなんて初めてで、
自分の体はどうなってしまうんだろう???って不安で不安で。。。
でもその時も大黒さまがずっとついていてくれて、
「ちょっとがんばりすぎたからだよ、大丈夫だから、心配しないで・・・」
って言ってくれて
キッチンではピアノくんが、慣れない洗い物をする音がずっとしてました
そんな家族に支えられ、薬に助けられて、頭痛も収まり、
ようやく家事復帰となった母でございます。
日頃からかなり不死身な自分を自負していただけに、
今回の病気はかなりなショックでした。。。
でもそこで改めて思い知らされたものは「家族あっての自分」であるということ。
自分が家族を支えているんだと思っていたけど、
自分もいっぱい家族に支えられて今を生きているのだと、
今更ながら、認識を新たにしました。
そして持つべき物は「トモダチ」
えりせんせいはいつも母の愚痴を聞いてくれる大事な友人です。
いろんなことを一緒に考え、一緒に悩み、一緒に泣いてくれる
大事な大事なトモダチです。
ありがとう、えりさん。
ありがとう、大黒さま。
ありがとう、ピアノくん。
ありがとう、あづ。
母は生き返りました
ココの常連さんでもあります、CAが代表を務め、ウチの長女梨が店長を任せられた
「バリアフリーカレーハウス ほう・れん・そう」が昨日10月2日大安吉日に無事オープンの運びとなりました
トップのウェルカムメニューボードはますこちゃんと母からの開店祝いです
このボードの他、店先には
王様が作ってくれた大きな立て看板や、
おねいさんが友情製作してくれたオープン・クローズ看板
などが
にぎやかにお客様をお迎えしてくれます。
店内では先月ミシン部屋でせっせと作られたオリジナルエプロンとおもしろキャップを着けたメンバーさんたちが楽しげに(まだその余裕はないかも)めちゃうまカレーを作っています。
場所は四日市市日永、南高坂下、心療センター前。
これで位置がわかったあなたは是非一度おいでくださいませ
きっとやみつきになりますよ
だって、あんなに「カレーはキライ」と言ってたあづが、
昨日も行けなかったかわりにと無理を言って宅配もってきてもらっちゃいましたから
朝からルウのみを(ご飯ダメなので・・・)ぺろりんと食べていました
開店一日目の昨日は、なんと地元伊勢新聞に大きく掲載されているのを、
しんぷるさんの社長はんがどこやらで見つけてくれて、もらってきてくれたんです。
ありがとうございます
昨日もたくさんお客様が来て下さったようで、
ホッと胸をなでおろせた母です
とまぁ、おめでたい話題でブログ復帰を果たした母ですが
先週中ほどより「鬼の霍乱」とでもいうような急激な体調不良に襲われ
5○年生きてきて、初めて!!くらいのかなりのダメージを受けました
もう若くはないという厳然たる事実を突きつけられた思いです。
風邪でもなく、インフルエンザでもなく、肺炎でもないのにもかかわらず、
38.5°~39.5°の高熱が丸二日続き、
眠れず、動けず、食べられず、の三大ず
おまけに激しい頭痛で吐き気もしてきて、
熱で顔も体も赤く膨れて、この世の物とは思えない形相だったことと思います。
「いつでもどこでもどんだけでも」
睡眠に関しては昔から「眠り姫」の異名をとるほどのねぼすけ体質なので、
不眠の苦しさを初めて知りました
そんな苦しい突然の苦境の中、瀕死の母を助けてくれたのはやっぱり
「家族と友人」でした。
大黒さまのいない日中にえりせんせいが母を病院に運んでくれて、
その間、あづを預かってくれました。
おかげで診察が受けられて、
家の心配をせずにゆっくり点滴治療を受けることが出来ました。
あづは本当に心配そうにキッチンからちゃんと浄水を汲んできてくれて、
「水分採って寝てなさい」と、背中をさすってくれたり、
ピアノくんも得意のレシピからしょうが入りのミルクおじやを作ってくれたり、
大黒さまも土曜からの3連休は家事一切を引き受けてくださり、
本当に母はゆっくりと休ませてもらいました。
熱が下がってからも激しい頭痛は続き、
あまりの痛さに涙が出てくるなんて初めてで、
自分の体はどうなってしまうんだろう???って不安で不安で。。。
でもその時も大黒さまがずっとついていてくれて、
「ちょっとがんばりすぎたからだよ、大丈夫だから、心配しないで・・・」
って言ってくれて
キッチンではピアノくんが、慣れない洗い物をする音がずっとしてました
そんな家族に支えられ、薬に助けられて、頭痛も収まり、
ようやく家事復帰となった母でございます。
日頃からかなり不死身な自分を自負していただけに、
今回の病気はかなりなショックでした。。。
でもそこで改めて思い知らされたものは「家族あっての自分」であるということ。
自分が家族を支えているんだと思っていたけど、
自分もいっぱい家族に支えられて今を生きているのだと、
今更ながら、認識を新たにしました。
そして持つべき物は「トモダチ」
えりせんせいはいつも母の愚痴を聞いてくれる大事な友人です。
いろんなことを一緒に考え、一緒に悩み、一緒に泣いてくれる
大事な大事なトモダチです。
ありがとう、えりさん。
ありがとう、大黒さま。
ありがとう、ピアノくん。
ありがとう、あづ。
母は生き返りました
わたしもいつも元気だから、
体調悪くなるとすごくショックな気持ちわかります。
それにしてもそんなにひどかったなんて何だったんでしょう?
疲れがたまって、体が悲鳴を上げたって感じなのかな。
それにしても家族や友人に恵まれたあづママさんはお幸せですね。
元気になられてよかったです。
お見舞いコメントありがとうございます。
ホント、無理は出来ない歳になったんだなぁって、
しみじみと情けない(涙)
のんのんさんもちょっと不調でいらしたんですよね
いつも元気で活動的で、うらやましいなぁって思っています。
私もバリバリとはいかないけれど、ボチボチと出来るところからやっていかないとね
あの原因不明の知恵熱は、家族が迎えた大きな転機を予感したのかもしれませんね