あづメッシュとともに

右往左往しながらも少しずつ落ち着いてきた娘との
日常と、息子くんの音楽をご紹介しています。

お母さんのこと🙏

2024-06-14 22:26:39 | 記念の日
6月14日は母の母親、お母さんのお命日です🙏
奇しくも大黒さまのお父さんも年は違えど同じく6月14日がお命日なんですよ🙏

岐阜にあったお墓を墓仕舞いして、近くのお寺さんに永代供養をしたのは2019年の秋でした。
いつでも行ける永代供養墓には個別のものと合同のものとがあって、母の両親は合同墓に収まっています。
お仲間と一緒に賑やかに過ごしてくれていることでしょう☺️

今日の命日は金曜日で大黒さまが受講日なので、昨日のうちにお参りに行ってきました。

亡くなってから何年だろう?と指折り数えて、36年が経ってしまったようです。
お父さんはその11年前に亡くなっているので、もう立派なご先祖様です。

お父さんが急な病で先立ってしまってから11年後に61歳でお迎えが来るまでの間、鈴鹿のこの家でお母さんと弟と、そして快く同居を申し出てくれた大黒さまと一緒に暮らしていました。

その間、娘(私です)を嫁に出し、息子(弟です)を婿に出し、病気を抱えながら孫たち(長男とあづさまです)の面倒をみてくれたり、お墓参りに行ったり、病院へ行ったり。
娘家族との同居はお嫁さんとの同居よりも気楽だとは言いますが、本当に気持ち穏やかに過ごせていたのか?

自身が母親の歳をとうに超えて考えても、わかりません。

母親にとって、娘の私はどんな存在だったのだろう?ってよく考えます。

もっと仲良しの母娘だったらよかったなぁ💦💦
「よく言う事を聞く良い子」「優しくて賢い」という評価は当たってなくて、作っていたのだと今なら思います。

本心は見せない頑固な娘だったわけです。

お母さんはきっとそれもわかっていたんだろうなぁと少し淋しく思い出しました。


それでも、最期の入院時、せん妄で「幼い娘が泣いているから家に帰りたい。」と暴れたことがあって、このまま病院で治療(?)をしていれば3ヶ月、退院してしまったら保証は出来ない。と主治医に言われたけれど、常日頃「病院で死ぬのは嫌」といっていたこともあって家に連れて帰ってきました。
自室で自分のお布団で、末期のがんの看護が始まりました。
家庭医のドクターに往診をお願いして、眠れない夜に付き合って、一緒に深夜ラジオを聴いたりお喋りをしたり。

期間限定の母娘の蜜月はたったの2週間で終わりました。

病院ではなく、自宅の自分のお布団で、娘家族と息子家族に囲まれて、眠るように息を引き取りました。



きっと今もあっちの世界から、私たちを見守ってくれていますね。


お命日なので、お母さんのこと書きました。

今日もアクセスありがとうございます🙇🙏

大黒さまが実習アリの受講を頑張っている間、あづさまはカラオケ&声録り、母はキッチンにこもってお弁当から引き続きでマヨネーズ2種、プリンにクッキー焼いたりしてました。

明日は土曜日、年金の日ですね。

家計サイクルが回ります(笑)



あ、とうとうエアコン入れましたよ。


明日もよろしくお願いいたします🙏



生かされていることに感謝して🙏


おやすみなさい🌠

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