今回は20年以上前の私が社会人になって間もない頃のお話です。
1997年、1998年という90年代の後半。
私は東京都世田谷区にある小さな建築会社に勤めておりました。
建築っていっても私は総務・経理を担当している云わば事務方として採用されていたわけですが、小さい会社なので営業のお手伝いなどもやったりしておりました。
営業に総務に経理にいわゆる庶務と言われる雑務。
スーツを着ながらも現場でも中途半端な私でしたが、それでも総務としてやってこれたのは社内調整的な立場です。
そんな私が職場の皆さんと打ち解ける場がランチでした。
外で食べる場合もありますが。基本は営業も建築の人達も社内でランチを摂ります。
で、そんな人達が注文を管理するのが総務である私。
この当時、勤務していた会社で人気だったのが駒澤大学駅前にある『キッチンレタス』さんでした。
とにかくボリューム満点なのがここの売り。
私や現場に出る連中は「海苔明太弁当」の大盛を注文してたもんです。
量が多いのはもちろんですが、とにかくその満足感たるやハンパありませんでした。
必ず午後は居眠りするくらいの弁当としては最高のパフォーマンスを魅せてくれてたくらいです(笑)
実際、私も何度か睡魔に襲われたことはありますからね(笑)
でも、飯食って眠気に襲われるなんざ弁当を作った作り手としてはなによりうれしいことではないでしょうか?
それだけ満足して食べてくれて、なおかつリラックスしてくれてるわけですから。
そう考えるとこのお弁当、私にとっても当時勤めてた連中にとっても癒しの弁当だったのかもしれません。
1997年、1998年という90年代の後半。
私は東京都世田谷区にある小さな建築会社に勤めておりました。
建築っていっても私は総務・経理を担当している云わば事務方として採用されていたわけですが、小さい会社なので営業のお手伝いなどもやったりしておりました。
営業に総務に経理にいわゆる庶務と言われる雑務。
スーツを着ながらも現場でも中途半端な私でしたが、それでも総務としてやってこれたのは社内調整的な立場です。
そんな私が職場の皆さんと打ち解ける場がランチでした。
外で食べる場合もありますが。基本は営業も建築の人達も社内でランチを摂ります。
で、そんな人達が注文を管理するのが総務である私。
この当時、勤務していた会社で人気だったのが駒澤大学駅前にある『キッチンレタス』さんでした。
とにかくボリューム満点なのがここの売り。
私や現場に出る連中は「海苔明太弁当」の大盛を注文してたもんです。
量が多いのはもちろんですが、とにかくその満足感たるやハンパありませんでした。
必ず午後は居眠りするくらいの弁当としては最高のパフォーマンスを魅せてくれてたくらいです(笑)
実際、私も何度か睡魔に襲われたことはありますからね(笑)
でも、飯食って眠気に襲われるなんざ弁当を作った作り手としてはなによりうれしいことではないでしょうか?
それだけ満足して食べてくれて、なおかつリラックスしてくれてるわけですから。
そう考えるとこのお弁当、私にとっても当時勤めてた連中にとっても癒しの弁当だったのかもしれません。