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石丸ナチスの優生思想

2024年07月15日 21時07分00秒 | 未完の政権交代
 
先日の東京都知事選挙で無所属新人ながら165万票もの大量得票で世間の注目を浴びた石丸伸二氏。政治家としては、それまで約4年間務めた地元の広島県安芸高田市の市長としての経歴だけですが、そんな彼が何故、広島から遠く離れた東京の都知事選挙に出馬する気になったのか?安芸高田市長としてどんな施策を行ってきたのか?いまだに良く分からない点が多々あります。
 
彼自身の説明によれば、2019年衆院選における河井夫妻の贈賄事件絡みで、当時の安芸高田市長が辞職したものの、次期市長も無投票で選ばれそうだったので、それに義憤を感じて市長選に打って出て当選。それが政治家としての出発点だったとか。そこだけを見ると、「強きをくじき弱きを助ける」「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」(古w)のイメージが強いのですが。ところが実際は、都市再生とか産業創出とか、自民党の土建行政とさほど変わらない事ばかり公約に掲げていたりします。
 
そして、彼が生まれ育ち、Uターンして市長になった安芸高田市も、私は最初、広島市郊外の衛星都市のように思っていました。ところが実際に調べたら、広島市からそんなに離れていないにも関わらず、中国山地が市域の大半を占める過疎地域である事が分かりました。2004年に安芸高田市が誕生したのも、人口減少に悩まされる旧高田郡の6町が、「平成の大合併」で行政の効率化を図ろうとしたのがきっかけだとか。
 
一応、市役所のある旧吉田町が中心市街地のようですが、交通の便はあまり良くないようです。市内を走っている鉄道路線は赤字ローカル線のJR芸備線ですが、中心市街地には乗り入れていません。乗り入れているのは国道54号線と、少し離れていますが市内にインターチェンジがある中国自動車道。どのルートを使うとしても、広島市から片道1時間から1時間半かかります。
 
安芸高田市は安芸神楽発祥の地で、それにちなんだ温泉・保養施設の「神楽門前湯治村」と、「3本の矢」の逸話で有名な戦国大名の毛利元就が居を構えた郡山城の城跡が2大観光名所。
 
そんな「平成の大合併」で無理やり作られた急ごしらえの市の市長選挙に、何故立候補したのか?「ワイロ政治に義憤を感じて」と言う彼の説明を、とても額面通りに受け取る気にはなれません。むしろ、そんな急ごしらえの新興自治体なので、「高速道路で広島に通勤する新住民に的を絞って選挙戦を展開すれば、俺のような無名の人間でも市長に当選できる」と考えたのではないか?そう考える方がよっぽど現実味があります。
 
ワイロ・金権政治に対する義憤よりもむしろ、俺でも市長になれると言う功名心から、市長選に出馬したのではないか?でも、実際に市長をやってみたら、周りは全て保守系の地元の人間で、議会対策もままならなくなり、もうこんな所でくすぶっていたくないと、都知事選に出馬したのではないか?そんな疑いがどうしてもぬぐい切れないのです。
 
その私の問いかけに対して、ライン読者がある記事を紹介してくれました。そこには石丸市長の施策として、次の内容が書かれていました。
 
・ふるさと納税の成長:月間1億円の寄付金を達成
・子育て世帯への実質的支援:小中学校給食費の完全無償化を実現
・若者の自主性育成:高校生徒会への財源を提供
 
大都市近郊の衛星都市なら、そんな施策もありでしょう。でも、安芸高田市内にも一部には新興住宅地もあるでしょうが、ほとんどは農村部です。民意をバックに当選して来た市長なら、農村部の問題もないがしろには出来ないはずです。
 
例えばJR芸備線の廃線問題や、広島バスの運転手確保、住民の足確保の問題とか。減反政策や米価引き上げ問題とか。農林業の後継者育成とか。過疎脱却の為のUターン促進、定住促進策とか。地元商店街の活性化策とか。私は鉄道が趣味なので、地方の鉄道によく乗りに行きます。そこで最近とみに感じるのが地方の衰退ぶりです。どこの街の駅前も軒並みシャッター街と化してしまっています。
 
ところが、彼が実際に市長としてやった事は、道の駅から地元業者(観光協会)を追い出して、大企業の無印良品を誘致したり(そんな事しても無印良品が儲かるだけで地元に金は落ちない)。地元主催の婚活パーティーへの補助金を削減したり(過疎化・少子高齢化を更に酷くするだけ)。
 
地元に山積する行政課題の解決をそっちのけにして、議員の居眠りなどの瑣末な問題ばかり追及したり、市長との面談より議会の公務を優先したと言って逆ギレしたり。そりゃあ、居眠りする議員も悪いですよ。でも、そんな議員も巻き込んで、市政改革に邁進するのが市長の仕事でしょう。ところが石丸市長は、最初から議会敵視で、自分から先に議員を挑発しているようにしか見えない。こんな調子では、市長はおろか民間企業でも務まりません。とてもまともに仕事をしているようには見えないです。
 
…と、そこまで書いた後で、さっきライン読者さんが紹介してくれた記事を読み返してみて、重大な事に気が付きました。
 
まず、ふるさと納税で税収増を実現した事について。財政難の赤字自治体だから、なりふり構わず税収増を計らなければならないのは分かります。でも、ふるさと納税については、最近は返礼品競争の弊害の方が目立って来て、国も見直しを示唆するようになって来ています。そんな問題大有りな制度に寄りかかって、それを無批判に導入するのは、市長の倫理観としてどうなのか?儲かれば何しても良いと言うのでは、もはやブラック企業の経営者と同じです。
 
それに、地方自治体の財政赤字は、少子高齢化や過疎化だけが原因ではありません。3割自治と称される、国の財源配分の不公平によってもたらされた側面もあります。少子高齢化や過疎化も、国がこれまで進めて来た列島改造やら国土強靭化やらの開発が、結局は東京への人口集中、低賃金の派遣労働蔓延によって結婚も出来ないワーキングプアの増加によってもたらされた人災です。その人災を是正せずに、問題のある制度でも金儲けの為には利用する。これではただの守銭奴です。
 
そして、子育て世代や若者「だけ」を対象にした施策「しかない」という点についても。確かに施策には軽重、メリハリが必要です。でも、それ以外の部分も決して切り捨ててはいけないはずです。ところが、石丸氏の政策や公約には、それ以外の施策は全然見当たりません。そう言えば、彼はこんな事言っていましたよね。「どうせ、自分に逆らう年寄り議員の方が先に死ぬのだから、私の勝ちだと」。
 
これはもう典型的な「優生思想」です。「ナチスの考え方」です。1929年の世界大恐慌により、倒産や失業が相次ぐドイツ国内で急激に勢力を拡大し、遂に政権の座に就くことになったナチスも、正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」と言い、労働者福祉には一定力を入れていました。アウトバーン建設で失業対策事業を推進したりして。
 
でも、それらの「福祉政策」も、労働者の人権保護の為ではなく、戦争遂行に必要な兵士の育成策に過ぎなかったのです。だから、兵士としては使えない障害者やハンセン病患者は、隔離されて抹殺されました。ユダヤ人やロマ(ジプシー)と共に。
 
お国の為に役にたつ人間だけを優遇する。お国の為に役立たない奴(障害者、老人、少数民族)は皆んな死ね。これが「優生思想」です。子育て世代や若者に特化した政策も、決して彼らの人権保護の為ではなく、少国民(少年兵)育成の為の「富国強兵政策」に過ぎなかったのです。
 
限られた予算で政策を執行しなければならないのですから、政策には軽重を付けなければならない。それは当然です。でも「軽」の部分も、決して見殺しにしてはなりません。会社もそうでしょう。社長や重役だけで仕事が回っている訳ではありません。掃除のおばちゃんがトイレを毎日清掃してくれるから、従業員も毎日気持ちよく仕事が出来るのです。
 
確かに業務の重要性から言えば、トイレ掃除よりも社長業の方がはるかに重要です。でも、だからと言って、トイレ掃除の予算や人員をケチったらどうなりますか?やがてトイレは野糞と化し、そんな会社には誰も寄り付かなくなります。そんなブラック企業では社員の人権もないがしろにされてしまいます。そんな事になっても良いのでしょうか?そんな「優生思想」を容認して良いのでしょうか?
 
ユーチューブ動画で石丸市長が派手に宣伝していた市議とのバトルも、愛国心高揚の為にユダヤ人を攻撃して抹殺した、ナチスのやり方と瓜二つです。そりゃあ、どうしようもないロートル議員は叩かなければなりません。でも、石丸市長のやり方を見ていたら、自分に歯向かう者は全て敵視。これでは市議会から総スカンを食うのも当然です。
 
たとえ、自分に歯向かう人間でも、その主張に理があれば取り入れるのが、市長としての度量です。ところが、彼は「常に自分だけが正しい」と、相手を攻撃するばかり。これではブラック企業主や中国・北朝鮮あたりの独裁者と全然変わりません。
 
そこまで書いた時、マルチン・ニーメラーの詩の次の一節をふと思い出しました。「ナチスが共産主義者を攻撃しても、自分は共産主義者ではないから黙っていた。社会主義者や労働組合、ユダヤ人を攻撃しても、自分はそれらではないから黙っていた。ナチスが教会を攻撃した時に、自分は牧師だから初めて立ち上がった。だが、もうその時には私達を助けてくれる人達は誰もいなくなっていた」
 
石丸氏の例で言えばこうなります。「石丸がロートル議員を攻撃しても、自分はロートル議員ではないから黙っていた。石丸が蓮舫や共産党、立憲民主党を攻撃しても、自分はそれらの支持者ではないから黙っていた。やがて石丸はシングルマザーも、子供を産まない非国民だと攻撃し始めた。私はシングルマザーだから初めて立ち上がった。だが、もうその時には私達を助けてくれる人達は誰もいなくなっていた」
 
その石丸氏の考え方に一番近い政党が維新です。どちらも「改革」をキャッチフレーズに、古い自民党政治からの脱却を訴えて勢力を伸ばして来ました。しかし、その「改革」とやらは、都市の再開発(地上げ)や万博・カジノ誘致などで、いずれも自民党政治の猿真似でしかありませんでした。
 
維新がかつて掲げていた「大阪都構想」も、当初は「東京一極集中の是正」を謳いながら、いつの間にか「副首都としての地位確立(東京の猿真似)」に目標がすり替わっていました。自民党批判も、選挙地盤が競合する地方組織は叩きますが、中央の安倍政権や菅政権にはむしろ秋波を送っていました。外交や経済政策も自民党とほとんど変わりません。代表自ら「第二自民党で良い」と言っているぐらいですから。
 
ところが、この東京都知事選挙では、維新からの応援の申し出を石丸氏が断った事で、維新の馬場代表が逆ギレして、「石丸を応援するのは一切まかりならん」と、都議に通達を出したと言われていました。しかし実際は、石丸氏の方から先に維新に接近し、「支援は欲しいが無党派のイメージに傷が付くので維新の名前は表に出さないで欲しい」と、虫の良い要求を突きつけた事で、維新と話が付かなかったというのが真相です。これではまるで詐欺商法と何ら変わりません。
 
維新は、優生思想についても、「医療費を無駄食いする透析患者は早く死ね」と言った候補者を選挙で公認したり、代表自ら安楽死を肯定するかのような発言を行うなど、むしろ容認姿勢が目に付きます。石丸氏も、安芸高田市長に就任する前は三菱UFJ銀行のトレーダーでした。勝ち組ビジネスマンの彼には、格差社会の中でうまく立ち回ろうとする姿勢だけがやたら目に付きます。格差社会の犠牲者に寄り添い、彼らの為の政治をする姿勢なぞ微塵も感じられません。表向きの「無党派」や「改革者」のイメージに騙されてはならないと強く感じました。
 
石丸氏の事務所開きにて。左から順に小田全宏・選対本部長(TOKYO自民党政経塾塾長代行も兼務)、候補者の石丸伸二氏、石丸氏に5千万円貸し付けたドトールコーヒー創業者の鳥羽博道氏。デイリー新潮の記事より。表向きはどの政党からも推薦を受けず、無党派候補として「政治屋の一掃」を唱えた石丸氏だが、実際は自民党関係者の小田氏の指揮の下、大企業から支援してもらい、自民党・小池陣営も顔負けの金権・ネット選挙を展開。石丸氏こそが最大の「政治屋」ではないのか?
コメント (2)
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