5月25日の日曜日14時から、大阪・西成の「ふるさとの家」という社会福祉法人の事務所で、「あの日から3年~福島は今、どうなっているか」という講演会があるのをネットで知り、私も飛び入りで聞きに行って来ました。講演会を主催したのは、震災後に地元・西成の居酒屋有志が集まって被災地支援を始めた「西成青い空カンパ」という団体です。その団体が、福島県飯舘(いいたて)村の酪農家・長谷川健一(はせがわ・けんいち)さんと、フリージャーナリストの守田敏也(もりた・としや)さんという二人の方をお招きして、福島の今の現状について語ってもらいました。
上の写真が会場の「ふるさとの家」と、その時に入口に貼られていた講演会の案内チラシです。講演会はその建物の中の談話室で行われました。50名も入れば満員となる談話室には人があふれ、建物の外の庭にまで椅子を広げて熱心に話を聞いておられる人もいました。
左上写真が開演前の様子。右上が第一部の講演で、長谷川さんが飯舘村の現状をお話されている所です。尚、第一部、第二部とも現地の映像を交えてお話されましたが、携帯では逆光でうまく撮れなかったので、映像の写真をブログに載せる際には、後述の写真集「飯舘村」掲載分で映像と同じ物の中から選んで載せました。
飯舘村は福島原発から北西に30キロ以上も離れた山間の村です。人口6千人余りの農山村で、地元の牛は飯舘牛として高値で取引されていましたが、それも原発事故で全てダメになってしまいました。しかも酷い事に、最初は30キロ以上も離れているという事で避難指示も出なかったのに、1ヶ月も経ってから計画的避難地域に指定され、全村避難を強いられたのです。実は風向きの関係で高濃度の放射能に汚染されていたのを国もスピーディー(SPEEDI:緊急時迅速放射能影響予測システム)のデータで知っていながら、被害を小さく見せて賠償額を減らす為に、問題が表沙汰になるまで被曝の事実を隠していたのです。その為に、村民や原発近くから避難してきた人が、1ヶ月近くも高濃度の放射能に被曝させられました。
左上の写真は売り物にならなくなり(とさつ)場に送られる牛。長谷川さんが飼っていた乳牛です。牛は嫌がってなかなか車に乗ろうとしない。そりゃあそうですよね家族同然に育ててきたのだから。それを「ごめんね、ごめんね」と泣きながら無理やり輸送車に押し込めようとする家族。他にも、見捨てられて餓死した牛を野生化した豚が食い散らかし骨だけになった姿や、無人の厩舎に牛の霊を供養する卒塔婆がひっそり立てかけられている様子など、とても正視できない映像が映し出されました。右上が無人になった飯舘村のビニールハウス(だった所)。雑草が2メートルもの高さに生い茂っています(2011年8月撮影)。
では飯舘村の人がどれだけ被曝させられたのか。それが県民健康調査で示された上記二つの表で、いずれも原発事故発生から4ヶ月間の調査データです。
左上が年間5ミリシーベルト以上被曝させられた人数を市町村別に集計した表で、原発直下の浪江町(右から二番目の棒グラフ)でも100名位なのに、人口6千人余りの飯舘村(一番右の最も突出した分)で800名以上も。最も多い人で15ミリシーベルト。ちなみにチェルノブイルでは5ミリシーベルト以上の地域は強制避難です。
右上はその住民の被曝分布図。どれぐらいの人がどれ位被曝したのかが示されています。それによると、飯舘村よりはるかに原発に近い県北部(相馬市や南相馬市など)の住民でも9割以上が2ミリシーベルト未満なのに(上から二番目の棒グラフ)、飯舘村では2ミリシーベルト未満は僅か3割。5ミリシーベルト以上被曝させられた人も4割近く(一番上の突出分)。これでは村丸ごとレントゲン室に放り込まれたような物です。国が汚染の事実を知っておきながら1ヶ月も放置した為に。
それもただ何もしなかった訳ではなく、御用学者を次から次へと村に呼び寄せ、「安心です、余り心配しなさんな、子どもは外に出しても大丈夫、病は気から、放射能も心配性の人の所にやって来る」と、村の公民館などでさんざん嘘を振りまかせた挙句の結果です。その御用学者の中でも特に有名なのが長崎大教授の山下俊一。こいつは今も県の健康アドバイザーの肩書で、地元の福島県立医大とつるんで嘘の安全宣言を広めています。
国や県だけではありません。飯舘村の村長や村議会も、嘘の安全宣伝に積極的に加担しています。事故前までは年間1ミリシーベルトだった一人あたりの放射線規制値を、5ミリシーベルトや県に至っては20ミリシーベルトにまで引き上げようとしているのです。旧ソ連のチェルノブイリですら、5ミリシーベルト以上の地域は強制移住の対象にしたのに。「故郷への帰還促進を願う村長の思い」とも取れなくもないが、それで被曝を広めたのでは、殺人に手を貸しているのも同然ではないか。
原発事故の後、その影響を隠蔽したのは民主党政権で当時の首相は菅や野田でした。その後再び政権に復帰した自民党の安倍も「原発はコントロールされている」と大嘘をかまして福島を見殺しにしています。自民も民主も同じ穴のムジナでしかない。今も原子炉には近づく事すら出来ず、中の様子も皆目分からず、それでも爆発だけはさせまいと、ただやみくもに注水しているだけなのに。その水が汚染水となって、急ごしらえのタンクから今も漏れ出し海に流れているというのに。その汚染された海から蒸発して雲になり山に降った雨で更に国土が汚染されているというのに。オリンピックだアベノミクスだと浮かれている場合じゃないだろう!
「除染すれば良い」?アホか。除染なんて、自分とこの庭の土だけを剥ぎ取り他所の土と入れ替えて、「一時的に」放射能の数値を下げて誤魔化しているだけじゃないか。剥ぎ取った土は正規の貯蔵施設もないままに「仮・仮置き場」に野ざらしにしたままで、三年しか耐用年数の無い袋の裂け目からは土が再びあふれ出て来ているというのに。安倍は集団的自衛権行使で「国民の命を守る」と言ったが、福島をわざと見殺しにしておいて、戦争準備にばかりかまけて。奴にとっては国民の命なぞ、ただの鉄砲玉にしか過ぎないのだろう!
福島県内や関東の各地にモニタリングポストというものが設置されています。放射能を自動的に測定する装置で、飯舘村の中にも置かれています。「そこの周辺だけ」土を入れ替え徹底的に除染されました。だからポストの周辺だけ土の色が違います。お陰様で、「ポストの周辺に限っては」放射線量は年間1ミリシーベルトと、他の地方と同じ位にまで下がりました。ところが、ポストから10歩離れて放射線量を測ったら、とたんに3ミリ、5ミリシーベルトと、どんどん線量が跳ね上がります。しかも「面的除染」と言って、とにかく掃き清めるなり土を入れ替えるなりして、除染面積を広げさえすれば良い。それで実際に線量が下がらなくても構わない。除染するのも住宅地や農地や道路沿いだけで、背後の山林までとても手が回らない。山林にたまった放射能が再び流れ出て来ても、モニタリングポスト周辺の数値さえ低ければそれで良い。もしそれで白血病やガンや内臓疾患で住民がバタバタ亡くなって行っても、疫学調査もやらず、ひたすらポスト周辺の低い数値だけを証拠として出せば、事故との因果関係も闇に葬る事が出来る。後はひたすら「もう安心だから、故郷に帰れるから」と宣伝すれば良い。人の命よりも原発、国威発揚、金儲け。これが今、福島ひいては日本全国で起こっている事の全てです。たかが漫画にしか過ぎない「美味しんぼ」があれだけ叩かれるのも、福島の実態がバレるのが怖いからです。
長谷川さんはその中でも孤軍奮闘されています。事故直後に村役場に出向き、既に村が40ミリシーベルトもの放射能で汚染されている事を知り、役場の箝口令(かんこうれい=口封じ)を蹴って住民に事実を知らせ、おざなりな「面的除染」なんかではなく山林も含めた徹底除染を要求し、県のアリバイ的な健康調査に対しても「私は山下俊一のモルモットにはならない」と大書して調査票を白紙で突き返し(左上写真)、孤独死を防ぐ為に集落単位での移住を訴え、村内の帰還困難区域(住民以外の立入禁止)にも見廻り隊を組織して被曝覚悟で出掛け・・・。もう頭が下がります。
その背景には仲間の死に対する無念の思いがあります。福島では震災や原発事故で被災し、家族が引き裂かれ生活も奪われ心の拠り所を失った方の自殺や突然死が相次いでいます。2011年に長谷川さんの知人酪農家が首にロープをかけ、右上写真の白い干し草ロールから飛び降りて亡くなりました。「原発さえなければ」との書置きを白チョークで厩舎の板壁に残して。
第一部の長谷川さんの講演が終わった後、会場の書籍販売コーナーで(左上写真)。前述の写真集もここで売っていました。長谷川健一さんご自身の写真集「飯舘村」(七つ森書館・刊)です。ここで1冊千円で買いました。長谷川さんの講演DVD「飯舘のさけび」も買いたかったのですが、流石に3千円となるとちょっと手が出ませんでした(右上写真)。
第二部は16時半から、守田さんが福島の現況について話して下さいました。左上写真がその時の様子です。その中で特に印象深かったのが住民同士による分断・対立の話です。同じ震災・原発事故の被災者でありながら、避難や原発の是非を巡って、互いに対立させられているのです。同じ家族の中でも、お爺さんは「国や県の言う事を信じろ、もうマスクも不要だ」、お婆さんは「マスクぐらいさせれば」、お父さんは「通学路が汚染されているので学校へは車で送り迎えしてあげる」、お母さんは「送迎どころか一刻も早く福島から逃げ出さないといけない」。「その中で僕は一体どうすれば良いの?」という様な事例がそこかしこで起こっています。小学校の正門の前で見ていても、マスクせずに来る子、マスクして来る子、車で送り迎えしてもらっている子、もう既に他県に転校してしまった子と、見事に分かれてしまっています。
その中で行政はどんどん安全宣伝を広め、原発事故の被害をできるだけ小さく見せよう、隠せる物は全て隠そうとしています。原発を推進した国や県・東電その他の電力企業や原子炉メーカーの責任を不問にしたまま。
その最も象徴的な例が「放射能の中、マスクをして屋外の校庭で運動会の玉入れ」の写真でしたが、今はその学校ではそんな写真は撮れないのだそうです。みんなもうマスクもしなくなったから。福島市内の何の変哲もない駐車場や線路際の草むらや側溝でも、線量計を近づけたら針が振り切れて測定不能になり、測定中も頭がクラクラ、ガンガンすると言うのに。実際、測定していた守田さんたちも、その後も鼻血こそ出なかったものの、スタッフ全員が原因不明の筋肉痛や倦怠感に襲われたそうです。右上写真の放射能拡散図でも明らかなように、福島原発から飛散した放射能は、北西の風に乗って飯舘村を経て福島市に流れ着いた後、東北新幹線や東北自動車道に沿う形で、郡山(こおりやま)市から南の栃木県の方に流れています。実際、守田さんが福島に新幹線で入られた時も、栃木県から福島県に入ったあたりから、新幹線の車内でも線量計の値がどんどん上がって行ったそうです。電車内でもそうなのですから、そこに長年に渡って住んでおられる住民は一体どうなるのか。
以上、字数の関係もあり、相当端折って記事を書きました。この後も講演会は18時前まで続き、その後に近くの居酒屋で打ち上げとなった様ですが、私は明日も早朝から仕事という事もあり、16時半の第二部終了で退席させてもらいました。
先日、福井県おおい町の大飯(おおい)原発3、4号機の運転差し止め訴訟で原告勝訴の「画期的」な判決が出ましたが、その判決内容も「いくら経済が大事だと言っても人命には変えられない」という至極「当たり前」の内容でした。いくら「国あっての物種」だと言っても、国民が滅んでしまったらもはや国もクソもありません。国家も経済も国民の為にあるのに、その肝心の国民を蔑(ないがしろ)にし、原発企業やワタミみたいなブラック企業で使い捨てし、戦争の弾除けにする事しか考えていないような国なら、そんな国なぞ滅んでしまったほうがマシです。こんな事を書くと早速「反日」だの「非国民」だのと言い立てる輩が湧いてくるご時世ですが、私に言わせれば、人を人と思わない原発推進派やブラック企業擁護派こそ、よっぽど「反日」「非国民」です。もう二度と、福島の悲劇を繰り返してはならない。今、福島で起こっている事が、いつ何時、大飯原発やその他の原発で起こるとも限らないのだから。そうなったら、もう日本は終わりです。もはや仕事や遊びどころではなくなります。琵琶湖の水も汚染され、水道の水も飲めなくなるのだから。そういう思いで会場を後にしました。