アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

中国の回し者と罵倒する輩こそが安倍の回し者

2014年03月06日 21時14分09秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を
「辺野古に基地をつくらせない大阪行動」を妨害する大阪JR職員と大阪府警140111


JR大阪駅前で起きている異常な事態に関する声明
2014年1月18日 辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動

 私たち「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は、沖縄・名護市の辺野古に米軍の新基地の建設を許さないとの強い思いから、2004年8月より毎週土曜日にJR大阪駅前でチラシ配布、署名・カンパ活動に取り組んできた。真夏の猛暑の日も冬の寒さの時も、雨の日も強風の時も1週も休まず、積み重ねてきた回数は昨年末で490回を数える。そして寄せられた署名の総数は53,941筆にのぼる。そこにこめられた一筆一筆の思いを11次にわたって近畿中部防衛局に提出し、交渉を重ねてきた。また、集まったカンパは全額辺野古へ送ってきた。その内容は、その都度チラシで知らせてきた。
 ここで強調しておきたいことは、9年余にわたるJR大阪駅前での私たちの行動は終始一貫して整然とおこなわれ、この間何のトラブルも、何らの事故・事件も発生することなく推移してきたのである。
 ところが、2013年12月21日の第489回目の行動から事態は一変した。「在特会(在日特権を許さない市民の会)」とおぼしきグループが、私たちの行動を妨害するためにこの日突然JR大阪駅前に現れた。5~6名でやって来た彼らは“沖縄を中国自治区にしようと企んでいる”などと罵声を発し、数限りない差別言辞を弄していたが、私たちはそうした挑発を無視し、通常のチラシ配布等の活動をおこなった。
 翌週28日。2013年最後の大阪行動の日。前日の27日に、仲井眞知事は公約を破り、沖縄の民意に従うことなく辺野古新基地建設を容認した。仲井眞知事の歴史上許すことのできない裏切り行為にわが意を得たのか、「在特会」とおぼしきグループは10名を超える人数で再度妨害活動に現れた。彼らの介入をここぞとばかりに利用したJR大阪駅は、私たちの行動を阻止するために大阪駅長を筆頭に数十名を動員した。この9年余、JR側と私たちの間にも何の問題も発生してこなかった。そのことからしてJR大阪駅の対応は異常としか言いようがないものだった。その結果、この週以降、連続してチラシを1枚も配布できない事態が続いている。
 「道路上のビラ配布は道交法77条1項4号、大阪府道路交通規則15条9号の規制対象とならない」と、1980年11月26日に大阪地裁で確定した判決が明示していることからしても、私たちはこのような事態を絶対に許すわけにはいかない。それのみならず、2014年1月4日と11日には所轄の曽根崎警察署は機動隊を導入し、私たちを実力で規制したのである。許すべからざることである。
 JR大阪駅前で起こっている異常な事態にあたって、私たちは私たちの決意をここに明らかにする。
 今後も私たち「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は、彼らグループの挑発に乗らず、JR大阪駅と警察権力の介入を許さず、市民の権利として、表現の自由を守るために整然と行動を継続していく。何よりも辺野古に新基地をつくらせないために。
 心あるみなさまのご理解と連帯を呼びかける。 
http://blogs.yahoo.co.jp/henoko_osaka/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=3


ヘイトスピーチ屈せず 辺野古反対大阪行動
3月2日付 沖縄タイムス

 米軍普天間飛行場の県内移設に反対する世論を本土で広げるため、JR大阪駅前で10年間、毎週ビラ配りや署名集めを続ける市民団体「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」が昨年末から右翼団体によるヘイトスピーチ(差別扇動)を浴びている。トラブル防止を名目にJRから駅敷地を締め出されるなど苦境の中、多くの市民が来援して周辺で粘り強く活動を続け、8日に500回を迎える。(新里健)
 「中国の回し者か」「朝鮮へ帰れ」。2004年から大阪行動に参加する大森正子さん(69)は12月21日、駅敷地で辺野古移設反対を呼び掛けた時、2人から罵声を浴び執拗(しつよう)につきまとわれた。東京・新大久保などで在日コリアンを中傷する「在日特権を許さない市民の会(在特会)」の一派とみられる。翌週には13人が現れて罵声が激化し、駅員と警官計40人が大阪行動との間に割って入った。
 駅敷地で大阪行動の活動を黙認してきたJRは、従来の活動スペースへの立ち入りを禁じた。一派が減った2月以降も駅員が監視。メンバーの目の前に立ち「何やっとんねん」と言い、ビラ配りや署名集めを阻んでいる。
 JR大阪駅の石川好信副駅長は「敷地内で許可なく街頭宣伝をすることは認めていない。彼ら(在特会)の意見を聞いて動いているわけではない」と話す。
 松本亜季代表(31)は「在特会を理由にして私たちの意見表明の自由を規制することは憲法上許されない」とJRや府警を批判。「沖縄に過重な基地負担を押しつけているのは私たち本土の人間だからこそ、これからも駅前で粘り強く訴え続けることが大事」と語る。
 危機感から応援に駆け付ける市民も増えた。1月4日には普段の4倍の70人、以降も40人が参加する。応援の一人で反原発運動に携わる大山裕喜子さん(35)は「人ごとじゃない。今まで来れなくてごめん、という思いで加わった」と話す。
 大阪行動などは8日午後6時半から、シンポジウム「本土移設を求める沖縄の声を日本人はなぜ無視するのか」を大阪駅前第2ビル5階で開く。
 講師は桃原一彦沖縄国際大学准教授ら。参加費500円。

「表現規制は許されぬ」識者

 日弁連人権擁護委員会の元特別委嘱委員で、「ヘイト・スピーチとは何か」を著した師岡康子弁護士は在特会やその一派の言動に対し、差別撤廃を目的とした法規制が必要と指摘する。「マイノリティーに沈黙を強い、時に自死にまで追いやり、社会から排除しようとしている。民主主義を掘り崩す行為で表現の自由を乱用している」と批判する。
 一方、石埼学・龍谷大学法科大学院教授ら全国の憲法研究者は1月31日、JR西日本と大阪府警に、大阪行動のビラ配りや署名集めを妨害しないよう求める声明を発表した。3月1日現在、賛同人は54人に上る。声明文は「(在特会など)敵対的聴衆を理由に表現の自由を規制するのは憲法上許されない」「駅前の広場や歩道がJRの私有地でも、自由に通れる公共性の高い空間では公道と同様、表現行為の規制は原則的に許されない」としている。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=63954


 この辺野古反対大阪行動の街頭宣伝には、私も参加した事があります。もう数年以上も前に一度だけ、何かの折に大阪城公園(森ノ宮駅側出入口付近)で行われたビラ配りと署名活動に飛び入り参加しました。まだその頃は、「在特会」メンバーやJR職員による妨害もなく、ジュゴンの着ぐるみを着た人たちと、のんびりビラを撒いていました。
 そこから少し離れた所では、女の子が一人で幸福実現党のビラを配っていました。その女の子、何と私たちの所にもビラを配りに来ました。ビラの内容自体は単なる政党の宣伝リーフレットでしたが、その(私からすれば)荒唐無稽な主張にも関わらず、わざわざ私たちの所にもビラを配りに来るとは割と度胸あるなと、妙に感心した記憶があります。その子はその子、私たちは私たちで、上の新聞記事にあるような妨害行為もなく、お互い平和裏に宣伝行動を終える事が出来たように記憶しています。(多分このブログにもどこかに当時の記事が載っていると思います)
 
 それと比べたら隔世の感があります。もはや駅前広場でビラも配れないとなると、幾ら言論や表現の自由が憲法で保障されていても、実際は絵に描いた餅にしか過ぎません。
 それもこれも全て「在特会」の所為です。奴らがこんな事をするから、JRや警察もここぞとばかりに宣伝行動を規制するようになったのです。「在特会」が弾圧の口実を与えたのです。正に「民主主義を掘り崩す行為」(師岡康子弁護士)以外の何物でもない。
 しかし、今は「安倍・自民党政権の番犬」として、いい気になって私たちの宣伝行動を妨害しているつもりでも、都合が悪くなればいつ何時、御用済として切り捨てられるかも知れないのに。実際、今まで散々、安倍政権を後押ししてきた米国ですら、安倍が靖国参拝を強行してからは次第に同政権とは距離を置き始めている。たとえ、それで「在特会」が弾圧されたとしても、今まで散々「民主主義の敵」として振る舞ってきたのですから、「因果応報」「ざまあみろ」という他ない。それで奴らがどうなろうと知ったこっちゃないが、私たちや一般市民の自由を侵害する動きとは断固闘う。私たちは絶対に弾圧には屈しない。

 辺野古反対大阪行動の街頭宣伝は、今後も毎週土曜日15時半から17時位まで、JR大阪駅前広場(南口バス停前)で行われるとの事。私は、仕事の関係でなかなか街宣活動には参加出来ませんが、署名やカンパには出来るだけ協力していこうと思っています。以上、ブログでの告知が遅くなってしまいましたが、皆さんも是非ご協力をお願いします。
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1 コメント

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関西にいたころは (あるみさん)
2014-03-07 19:27:58
この活動にほぼ毎週参加しておりました。当時はまだ大阪駅の改装工事が完全に終わっておらず、街宣場所には屋根もありましたが、今は屋根もないところでやっているのですね。
古巣の苦境と奮闘を広めるためのブログ記事に、感謝です。
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