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子どもの留守番禁止条例には引き続き警戒が必要だ

2023年10月11日 05時30分57秒 | 統一教会と安倍国葬の是非を問う
 
 
埼玉県の「児童虐待防止条例改正案」。「児童虐待防止」「子ども見守り」の名目で、「満9歳(小学3年生)以下の子どもの留守番やお遣い、子ども同士の登下校を一律禁止」。満9歳から12歳(小学4年生から6年生)の子どもについても「そうするように努力せよ」と。罰則規定こそ無いものの、他の保護者にも「そんな事をしている子どもを見つけたら役所や警察に通報せよ」と。私が子どもの頃は、子ども同士で鬼ごっこに興じたり、しょっちゅうお使いに行かされたりしましたが。まさか、そんな事で通報される時代が来るとは思いませんでした。
 
そんな条例案が県議会で危うく可決される所でした。急速に盛り上がった反対運動を前に、自民党県議団は条例案の提出を取り下げました。でも「説明が足りなかった」と言うだけで、「やろうとしていた事は間違っていなかった」と言っているようです。ほとぼりが冷めたらまた性懲りも無く出して来るでしょう。警戒が必要です。
 
こんな条例案が可決されてしまったら、一般庶民は共働きも出来なくなってしまいます。シングルマザーは一体どうやって生きていけば良いのか?幾ら罰則規定が無くても、こんな条例案が可決されてしまったら、自粛警察みたいな奴らが出て来て、共働き家庭やシングルマザーは今以上に日陰者扱いされてしまいます。これでは「虐待防止」どころか共働き・シンママ「差別扇動」条例ではないか!
 
じゃあ、親子が四六時中、一緒に居さえすれば良いのか?コロナ禍で自宅待機が続く中で、家庭内暴力が増えた事については、一体どう思っているのか?親が毒親だったりアルコール・ギャンブル依存症だったら、一緒にいる事で逆に余計に子どもが危険にさらされるじゃないか。
 
そもそも、共働きしなければ食べていけないのは、一体誰の責任か?政治家の責任ではないか。政治家が、低賃金や福祉の貧困を今まで放置し、本来、国の予算で運営しなければならない子ども食堂も民間のボランティアに丸投げ。そんな事だから、夫婦が共働きに出なければならなくなったのではないか。
 
埼玉県は、沖縄県の次に待機児童数が多いそうです。その待機児童ワースト2位の現状を放置して、やれ「虐待は母親が家にいないから起こるのだ、子どもが熱中症になるのも親が子どもを車内に放置したからだ」と、何でも保護者の自己責任に話をすり替えて。これではただの「福祉の貧困」隠蔽工作にしかならない。
 
幾ら保守的な自民党議員でも、それぐらいの事はすぐ分かる筈。自分も共働きを経験していたら、この条例案がどれだけトンデモか、すぐに分かる筈。それでも彼らが、まともな説明もせずに、ひたすら条例の強行可決に突き進んだのは、統一教会から脅されていたからではないか。「この条例案を通さないと次の選挙では応援しないぞ」と脅されたからではないか。
 
 
統一教会は元々、韓国の新興宗教でした。韓国人が主体なので、「昔、韓国を植民地支配した日本は韓国に賠償しろ」と、霊感商法で日本人に献身や献金を強要。そして、北朝鮮に対抗する為に、共産主義撲滅を唱えた。
 
日本の自民党や右翼は、最初の韓国中心主義の教義には目を瞑り、次の共産主義撲滅だけを最大限に利用。だから霊感商法の被害には目を瞑り、統一教会と癒着。
 
その挙げ句に、統一教会に家庭をムチャクチャにされた宗教2世の息子に恨まれ、首相の安倍晋三が暗殺された。それを機に、自民党は表向きは統一教会との関係清算を迫られる事に。しかし実際は今も両者は蜜月状態。自民党は今も統一教会には頭が上がらず。
 
他方で、今はもうソ連もなくなり中国も資本主義化。統一教会も生き延びる為には北朝鮮とも取引を始めなければならなくなった。いつまでも反共一本槍だけでは食べていけない。そこで、反共に代わる新たな教義として、家庭や家族愛が強調されるようになった。かくして統一教会(正式名称は世界基督教統一神霊協会)も家庭連合(同じく世界平和統一家庭連合)に教団名を変更。
 
かたや自民党も、個人が人権を主張すれば目の敵に。「同性愛は我がままで非生産的」「LGBT法案で家庭崩壊」「個人の権利を主張するのはマルクス主義」と。常に「家庭」や「家族」を引き合いにして人権抑圧。
 
「愛国心はならず者の最後の墓場」と言う格言があります。時の権力者が自らの無策を誤魔化す為に、愛国心や戦争熱を煽って、外国人や平和主義者を排斥する様子を皮肉ったものです。
 
上記の格言を「家庭もならず者の最後の墓場」と言い換えても良いのではないでしょうか。愛国心と同様に、家庭や家族も、時の権力者によって、統治機構の末端に位置付けられ、民衆支配に利用されて来ました。
 
例えば戦時中の隣組制度がそうです。回覧板を渡しに隣家を訪問した際に、隣家に「非国民」がいないかどうか、密告する義務を国民は負わされました。また、戸籍制度によって、国民は出身や身分でランク分けされ、「法の下の平等」は形骸化。部落差別に悪用されて来ました。家督相続も長男だけが優遇され、次男以下や女性は人間扱いされませんでした。
 
そうして、愛国心や親孝行の美名の下で、ひたすら滅私奉公だけが強調され、個人の人権は踏みにじられて来ました。日本で過労死やブラック企業がいつまで経ってもなくならないのは、そうやって個人の人権が蔑ろにされて来たからです。
 
自民党が今回こんなとんなトンデモな条例案を出して来たのも、単に統一教会からの圧力だけでなく、自民党自身も、共働き世帯やシングルマザーの人権、ひいては弱者の人権を蔑ろにして来たからではないか。自分達は特権階級で何不自由なく暮らせるから、今の国民生活がどれだけ困窮しているか分からないのです。
 
過去に、麻生太郎が国会質問でカップラーメンの値段を聞かれて、まともに答えられなかった事がありました。それは何も麻生太郎だけではありません。自民党の世襲議員も麻生と似たり寄ったりなのです。次の選挙では、こんな人でなしで世間知らず、苦労知らずのブルジョア議員どもを、一人残らず全員落選させなくてはなりません。

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