前回記事でシフトの件について書いた後、職場のブログ読者からまた別の話題提供があった。
それが上記の表だ。前回記事で取り上げたのと同じ勤務シフト表だが、そこに60歳以上の契約社員にはマーカーで線が引かれ、Sという印が所々に付けられている。
Sというのはショート勤務の略だ。我々、昼勤のメンバーは、朝7時から16時までが通常の勤務時間なのだが、60歳以上の人間については、Sの日は14時上がりとなる。そういう日が全部で10日ある。1日2時間×10日で1ヶ月では20時間の削減となる。(当該表の赤枠部分参照。Aの例のみ示したがB以下についても同様)
おまけに、60歳以上になったとたんに、時給まで50円も引き下げられる事になった。時給引き下げと時間削減のダブルパンチで、1ヶ月では2万円以上も減収となる。
そのような労働条件改悪が、たった1回きりの契約更改面談で強行され、早速この9月度のシフトから実施されている。一応、本人の同意が前提だが、どうせ「もう他には仕事がない」と脅され、しぶしぶ契約させられたのだろう。
何とみみっちい話か。こんな事をしても、該当者はたった5名だけなので、全体ではたかだが月10数万円ぐらいのコストダウンにしかならない。たったそれだけの為に、当事者個人にとっては月2万円以上にもなる賃下げが強行されたのだ。
しかも、おかしな事に、60歳以上の人間すべてが対象ではないのだ。60歳以上の該当者が昼勤ではA~Gの7名いるのに対し、実際に削減対象になった者(マーカーで線が引かれた人)はE、Fを除く5名なのだ。E、Fが削減対象から外されたのは、この2人に辞められたら昼から農産の検品者やコレック(小型フォークリフト)乗務員が手薄になるからだろう。
しかし、それでも仕事がやりにくくなる事は間違いない。たとえば8月27日の和風ドーリー部門では、14時以降は定休(公休)者と合わせて3名もの実質削減となる(当該表の青枠部分参照)。確かに、14時以降に入荷するドーリー商品の量なんて、たかが知れている。でも、その商品が入荷するたびに、その時間帯は既に別の持ち場についている残りのメンバーから、その商品の検品・仕分けの為だけに、わざわざ人を回さなければならなくなったと、話題提供者も私に愚痴をこぼしていた。
それがどれだけ大変な作業なのかは、別部門の私(プレカリアート)には判断がつかない。しかし、そんな大事な話を、直前になるまで明らかにせず、1回きりの通り一遍の契約更改面談だけで済ませ、マーカーで線が引かれたシフト表も、全員には渡さずに、こっそり当事者だけに配布して強行しようとする会社の姿勢に、さらに不信感が募る事になった。
確かに、それまでも予兆はあった。うちの会社が物流センター業務を請け負っている大手スーパーも、業界再編がらみのリストラ話が今までも噂に上っていた。その業界再編のあおりで、商品の入荷パターンも変わりつつあった。作業が午前中と夜間に集中するようになり、間の午後からの作業が少なくなって来ていた。だからといって、午後の少ない物量に人員を合わせていたのでは、午前中の仕事が回らない。かと言って、午前中や夜間の多い物量に合わせていたのでは、午後から人が余ってしまう。また、同じ午後でも平日と週末とでも違う。週末なぞは今でも終日てんてこ舞いの状況なのだ。
だから、同じ非正規雇用の契約社員の中でも、さらに立場の弱い60歳以上の人間だけを、ことさら狙い撃ちに出てきたのだろう。
しかも、高年齢者雇用安定法の適用を受ける事で、給与支払いを国に一定肩代わりしてもらった上に、リストラを定年延長と言い繕う事まで出来るのだ。
高年齢者雇用安定法というのは、国が年金支給開始年齢引き上げの穴埋めとして、60歳から年金が支給される65歳の間まで、雇用継続を望む労働者の年齢による解雇を禁じた法律だ。企業はその見返りに、国から給与の2分の1から3分の2相当の助成金を受け取る事が出来るようになった。おそらく、ウチの会社も、この法律の適用を受けているのは間違いないだろう。
この法律によって、高齢の労働者は解雇だけはまぬがれる事が出来るようになったが、雇用の内容までは立ち入る事が出来ない為に、定年延長に名を借りた賃下げがまかり通る事になったのだ。
しかし、こうなったのは、そもそも俺らの働きが悪いからか?つまり俺らの責任なのか?違うだろう。業界再編のあおりで商品の入荷パターンが変わったのも、企業サイドの勝手な都合でしかない。
なるほど企業は、「センターへの納品時間を前日の午後から深夜にシフトさせ、翌日の開店時間ギリギリまで遅らせる事で、より新鮮な商品を提供できるようにしたのだ」「これも他のスーパーとの競争に打ち勝つためだ」と言うかも知れない。でも、その結果、労働者の給与が下げられ、生活が苦しくなり買い控えに走る様になっては、元も子もないではないか。
そんなに無理してまで、消費者が新鮮な商品を望んでいるとは到底思えない。それよりも、普通に働いて普通に生活できて、買い物もゆったりとできる方が、消費者にとってもよっぽど有難いのではないか。本当は自分たちの金儲けと生き残りしか考えていないくせに、お為ごかしにサービス向上なぞ持ち出すなと言いたい。
定年延長にしてもそうだ。本当は助成金目当てなくせに、さも労働者の事を考えているようなふりをして、従業員の給与も国民の税金から出させるような真似をしておいて、それを賃下げの口実にするとは、正に「焼け太り」以外の何物でもないではないか。
上記シフト表の60歳以上の該当者たちが、元々高給取りの上級公務員や大企業の重役だった人で、既に十分な年金を支給されているなら、たとえ、このような学生バイトのような低待遇でも、別に生活には困らないだろう。でも、現役時代も、安月給なのにサービス残業てんこ盛りで、過労死と紙一重で働かされてきた人に、この処遇はないだろうと思う。
もはや合法でありさえすれば何でもありなのか。特に上記の表の該当者Cさんなぞは、今でも和風ドーリー部門の責任者として、当該部門のシフト作成に携わっているのに。片方で社員並みの仕事をさせながら、人の足もとを見透かして、バイト以下の待遇を押し付けられたのでは、Cさんも、もうやってられないだろう。Cさんを賃下げにするぐらいなら、まともにシフトも組めない社員の井下こそ、真っ先にバイトに降格すべきではないか。
「若者奴隷」時代 “若肉老食(パラサイトシルバー)”社会の到来 (晋遊舎ムック) | |
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山野車輪という漫画家がいる。「嫌韓流」という韓国人差別をあおる漫画を描いた作者としても有名な人物だ。その山野車輪が、上記の「若者奴隷時代」という本の中で、「悠々(ゆうゆう)自適の年金生活を送る金持ち老人が、国民年金も払えない非正規雇用の若者の上にあぐらをかいている」という事を述べた事があった。
しかし、一体どこにそんな「金持ち老人」がいるのかと思う。少なくともうちの職場には一人もいない。本当は「老人」ではなく「金持ち」が我々を搾取しているのだ。その「金持ち」の中には、当然「若者」もいれば「老人」もいる。「貧乏人」の中にも、「若者」もいれば「老人」もいるのと同様に。
だから、本当は「若者奴隷時代」ではなく「貧乏人奴隷時代」と呼ぶべきなのだ。その階級間の対立を、あたかも世代間の対立であるように、いくら思い込ませようとしても、いざ自分も60歳以上になれば、否(いや)が応でも真実を思い知らされる事になる。
このシフトですが、該当者にすらこのシフト表が行き渡ってない事実にまずビックリ。当事者曰く、面談では確かに時間削減の話はあったが、その時点ではまだ実施時期は未定だったと。それが、シフト表も既に出回っているのを知り、あわててコピーさせてもらったと(呆)。
そして、昨日は水曜日で、普段は午後からはそんなに物量は多くないのだが、翌日の木曜日に特売が入った為に、昨日の午後も週末並に忙しかった。でもシフト上ではS勤で、所長からも勝手に日程変更できないと言われていたのに、社員からは残業する様に言われて、とうとうブチ切れ。めいめい自分勝手な事ばかり言うなと。そりゃあ、その通りだわ。こんな事がまかり通るなら、シフト組む意味がないし、こちらもプライベートの予定すら立てられなくなる(さらに呆)。当然の事ながら残業拒否。
>本当は自分たちの金儲けと生き残りしか考えていないくせに、お為ごかしにサービス向上なぞ持ち出すなと言いたい。
プレカリアートさんも実際に自ら販売やサービス提供の現場に立てば実感すると思いますが、日本の消費者が求めるサービスレベルの水準は、世界でもトップレベルだと思いますよ。西友を買収したウォルマートも、米国直輸入のエブリデーロープライス戦略では日本市場では立ち行かず、結局日本流のクオリティ重視路線を取り入れていますね。
そうしたサービス偏重が、過重労働や低賃金という形で「労働者」自身の首を締めているとは思いますが。
食品のパッケージに「ここからお切りください」などと書き込まれ切り口カット加工が施されているようなことなども「余計なこと」だと指摘されています。日本のケイタイが中国市場でシェアを伸ばせない理由に、過剰機能が価格に跳ね返っていることもあるなどと揶揄されされていましたが、一事が万事、日本の製品やサービスには過剰労働投下の影がうかがえる。
過剰機能や過剰サービスも、資本主義経済の不朽性や寄生性の表れではないでしょうか?
過剰部分が相対的過剰労働力人口の吐け口になっている?
本当の生産性を蔑ろにして消費を促進しようとするだけのインチキがあるのでは?
人間の幸福な生活にとっての生産性こそが、経済活動にとっての真の課題でしょう。原発事故の除染作業のように人間生存と人間労働をムダに消費しないということ。本当の経世済民!
○ 資本主義経済の腐朽性や寄生性
私事で恐縮ですが、私も今、会社で戦っております;
嫌がらせをする同僚がいまして、そいつとドンパチ中です。
その同僚は外面がいいもんで社長や重役には人気が高く、私は孤立ぎみですが「負けてたまるか」となんとかやっております。
管理人さんの会社へ向けて書いた書類など参考にさせて頂きました。ありがとうございます。(録音機は私も買いました)
お互い頑張りましょうv(記事とあんまり関係なくてすみません;)
まことさんやバッジさんが言われた、賞味期限や時間等にはうるさい、日本人のそういう几帳面な性格について。私も今までは、どちらかというと、そういう几帳面なタイプなので、他人からもそう言われて内心嬉しがったりしていました。
でも、「あんまり律義でクソ真面目なのも考え物だ」と最近は思うようになりました。これは、単に「過ぎたるは及ばざるが如し」というだけではなく、むしろ、逆にその律義さやクソ真面目が災いとなる場合もある、という意味で。
そもそも、労働者を酷使し労働基準法もまともに守らないブラック企業がこれだけ横行する中で、労働者だけが何故、ルールや法律を守らなくてはならないのか。何故、労働者だけが仕事をサボる事を許されないのか。
アクリフーズの農薬混入事件のように、人に危害を加えるような行為は論外ですが、場合によっては仮病や無断欠勤をしてでも、企業側に不服従の意志を見せつけるのも在りじゃないかと、最近では思うようになりました。
それに、最近の研究によれば、日本人も昔はそんなに律義でクソ真面目な民族ではなかったという事が、江戸時代の文献などで明らかになってきているそうですね。
「宵越しの金は持たねえ」というのが当時の江戸っ子気質でしたし、そもそも、当時なんて、「暮れ六つ」「明け六つ」等の、2時間ごとの大雑把な時間の数え方しかしなかったので、「時間厳守」しようにも出来なかったはずです。
実際、明治初期の外人の日本旅行記などを読むと、「日本人は何て時間にルーズなんだ」と外国人旅行者が嘆く場面が出てきたりします。
少なくとも150年くらい前までは日本人もそんな状態でした。そこから何故、今のような律義な性格が形作られるようになったのか?私が思うには、明治政府の富国強兵政策とも大いに関係があるのではないか。
欧米よりも遅れて近代化が始まり、「欧米に追いつけ追い越せ」と、国家による上からの近代化が強制される中で、とにかく「欧米の形だけを真似る」事が好しとされた。その為に、学校教育も、人間一人一人の個性を生かす事よりも、ただひたすら競争に打ち勝ち、国の奴隷や企業戦士になる事を強制された。
日本人の律義さや時間に几帳面な性格も、そういう「上からの近代化」の中で、後から無理矢理作られた物だったのではないか。その証拠に、日本の鉄道ダイヤが今のように1分1秒の狂いもなく運行されるようになったのも、第一次大戦後(大正時代)に、日本が次第にアジアの軍事大国にのし上がっていくようになってからです。
でも、いくら近代化を成し遂げたとは言っても、所詮は「欧米の猿真似」でしかなかった。欧米の人権思想も、既に自由民権運動などの形で日本にも伝わっては来てはいたものの、当時の国の在り方そのものが「富国強兵」の、天皇専制政治で軍国主義の政治体制だったので、本物の人権思想なんて根付きようがなかった。
当時の「大日本帝国憲法」の下では、国民は主権者ではなく、単に天皇の下僕(臣民=しんみん)として、言論の自由なども部分的にしか認められていなかった。天皇制を廃止して今のような民主主義を主張したりなぞしたら、死刑にされるような時代だったのですから。
その中で、「内容の伴わない、形だけの律義さ、真面目さ」や「お上への絶対服従」が強制されてきた。だから、今から考えれば狂気としか思えない特攻作戦や玉砕戦術で太平洋戦争が戦われ、戦後ようやく勝ち取った「民主主義」体制下でも、ブラック企業の搾取やセクハラ・パワハラ、学校での虐め、過労死などが後を絶たないのではないか。
そんな状態の中で、「悪法も法なり」なんて言ってたら、いつか全員殺されてしまいます。場合によっては、「引きこもり」「サボタージュ」「仮病」や「無断欠勤」といった手段も闘争戦術の一つとして選択肢に入れておくべきではないか。
もちろん、これは正攻法ではありません。「ルール違反」の非合法闘争なので、処分されるリスクは常につきまといます。出来る事なら、労働組合を作って労働者として団結する中で、会社に要求をぶつけ、組合の大会で決議を上げた上でストライキを決行するなどの、合法的手段で闘う方が良いに決まっています。
でも、今はもう、同じ職場で働いていても、社員もおればバイトもおり、社外の派遣会社からも何人も来ている。仕事内容も勤務時間も休日も給与水準もみなバラバラ。こんな中では、そんなに簡単に組合を作ったりは出来ない。しかし、そんな中でも、闘わなければならない時はある。
「すき家」のバイトがそうです。元々、ワンオペ(一人勤務)の無理なシフトが組まれていた上に、手間のかかる新メニューが導入され、おまけに大雪で交代要員も出勤できなくなった。その為、店で働いていたバイトも帰るに帰れなくなり、酷い場合は連続48時間も働かされる事になった。休憩どころか飯も食えない、トイレにも行けない。
そんな中では、労働組合なんて作っている暇なんて無いでしょう。でも、黙っていたら、このままでは確実に殺される。その結果、バイトの一斉退職により閉店に追い込まれる店舗が続出した為に、第三者委員会で「すき家」の労働実態が明るみに出され、経営陣に改善を約束させる成果を勝ち取れたのです。
もちろん、毎回こんな「サボタージュ」ばかりやっていたのでは、労働者にも迷惑がかかるし、会社に弾圧の口実すらあたえかねません。正に「会社の思う壺」です。そりゃあ、前述の合法的手段で闘う事が出来れば、それに越した事はありません。でも、時には敢えてこんな「サボタージュ」に踏み切らなければならない場合もあるのです。その中では、「律義さ」や「真面目さ」なんて、むしろ足かせにしかならないのではないでしょうか。
うろこさん、頑張って下さい。一緒にブラック企業をギャフンと言わせてやりましょう。
江戸時代の日本は、せいぜい半時(1時間)、小半時(30分、「四半時」と同じ)といった時間単位で生活してたもんねw
人類生活で「時」が厳格、細密に問題になってくるのは、マルクスも言うように「Time is money」の資本主義時代なんだよね。工業生産と賃労働に立脚する資本主義。
もっとも、一方ではそれが崩壊し始めているのも現代。
ホワイトカラー・エグゼンプションや裁量労働制度の導入策動も、その一面的でご都合主義的な反映です。
大量生産や同一物複数生産が求められない(つまりは、マルクスの言う「社会的必要労働時間」が不存在・無意味化する)非製造業分野での労働比重が増える資本主義崩壊期では「時はカネなり」は失効し始める。
ま、時間に追われて働かざるを得ない「必然の世界」も、やがては「自由の世界」を生み出さざるを得ないというのが経済や生産の世界の法則性なんですよね。
もっとも、その現実に追いついた社会制度が生まれているか否かは別問題だけど。経団連の弥縫策要求みたいなバカな足掻きもあるからね。