アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

これの一体どこが枝葉末節なのか?

2016年01月14日 05時06分21秒 | 戦争法ではなく平和保障法を




例の「パート月収25万」答弁で、「25万はあくまでたとえ話で、パートに出る人が増えるほど景気が上向いてきた事を言いたかっただけだ」と安倍は言い訳。しかし、不況で賃金が下がり、夫の給料だけでは食べて行けなくなったからこそ、主婦もパートに出なければならなくなったと考えるのが普通では?

安倍は拉致問題でも「政治利用だ」と言われて逆ギレしたそうだが、政治利用は拉致問題だけに止まらないだろう。新国立競技場の設計見直し問題も、橋下一派との野合も、軽減税率も、衆参ダブル選挙も、名護市長の頭越しでの辺野古への札束攻勢も、税金使ってのマスコミ接待も、全て政治利用じゃないか!

非正規雇用が増えれば実質賃金の平均値は当然下がる。我々はその非正規雇用の低賃金を問題にしているのに、安倍は「雇用は増えた、野党は揚げ足取りばかり」とはぐらかし、ネトウヨ(ネット右翼)は「格差問題なぞ枝葉末節」と見下し。幾ら国益や天下国家がどうのと論じても、国民不在のブラック国家なぞ有害無益。

右翼作家の百田尚樹も、小説「永遠の0」の中では、「こんな素晴らしい方をむざむざ犬死にさせるような国なら一層の事滅んでしまえ」と、同僚の特攻隊員に喋らせておいて。自分は安倍の太鼓持ち宜しく、国民に「お国の為に死ね」と扇動w。そんな天下国家論なぞ糞食らえだ。俺はお前らの奴隷ではない。

安倍は一体誰の為に政治をしているのか?若者が生涯ハケンで一生を過ごさねばならなくなり、中高年がブラック企業のリストラにおびえ、デリヘルがシングルマザーの駆け込み寺と化し、下流老人が貧困ビジネスの餌食になる。日本をそんな国にしまって、何が「美しい国」か「絆」か、ふざけるな!

「国民生活が第一」と聞けば今風に聞こえるが、こんなもの大正デモクラシー当時の民本主義のスローガンと同じじゃないか。「パンがなければケーキを食え」とマリー・アントワネットが言ってフランス革命の引き金になった。今でも安倍を支持している奴らは、大正時代やフランス革命当時の民衆以下だ。

西アフリカにブルキナファソという国がある。そこでトーマス・サンカラという男が大統領になり、汚職撲滅と国民生活向上に本気で取り組み「アフリカのチェ・ゲバラ」とまで言われるようになった。残念ながら同志の裏切りで暗殺されてしまったが、資源も何もない小国でもやればこれだけの事ができるのだ

ところが安倍はどうだ。昨年2月の山梨豪雪でも、県全域が孤立し県知事がSOSを出している時も、側近と高級料亭で天ぷらに舌鼓を打っていたではないか。そして、戦争法(安保法制)・原発再稼働反対、辺野古移設ノーの民意を機動隊を使って抑えつけ、金の力でマスコミをねじ伏せ。俺は安倍を絶対に許さない。

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初投稿の身で乱文長文をお許しください (とある一凡人)
2016-01-20 02:47:54
はじめまして。日本のどこかでしがない労働者をしている凡人です。
以下、不躾な物言いや乱文、あるいは貴方の癇に障るような発言を何度も繰り返すことになるかと思いますが、私なりに真剣に考えていることであり、どうか平にご容赦いただきたい旨、先にお断り致しておきます。

地方三流大学を卒業し、幸運にも恵まれた環境の職場で正社員となって数年が経ちました。今の私はどこにでもあるような仕事を、残業も少なからずこなしつつそれなりに相応の給料を貰い、帰宅後や週末の束の間の休息日にはインターネット掲示板やツイッターを渡り歩いたり、漫画やアニメに興じたり、ふらりと買い物に出るような生活を繰り返す日々を送っています。世間一般に言うならば、ゆとり世代やさとり世代と呼ばれる年齢層の、ネトウヨに近い思想の持ち主だとご理解ください。

しかし学生時代、政治や外交関係に興味を持ち始めたころの私はこれとは逆を行っていました。いわゆる左派団体に属すことこそありませんでしたが、世間一般に「サヨク」と呼ばれる思想の持ち主でした。ネットリテラシーという概念が現れる前からインターネットに接していましたから、ネットで様々な情報を得た上で、労働者や社会的弱者の保護を叫ぶことに始まり、日韓併合以降の朝鮮統治あるいは満州事変に始まる対外戦争は日本の貪欲で傲慢なナショナリズムがもたらした大罪であり贖罪するべきである、南京大虐殺や従軍慰安婦は中国や韓国の主張が全面的に正しく日本は永久に謝罪の姿勢をとらねばならない、愛国心教育は軍国主義の復活に他ならない、君が代日の丸は拒否すべき、憲法9条と平和思想を死守すべき、自民党政権は腐敗だらけで信用ならない・・・など書き連ねればきりがありませんが、要は世間一般の「サヨク」の主張に共鳴していったとご解釈ください。右翼団体を特集した番組を見た日には、憎悪の念が留まるところを知らずテレビに唾を吐き捨てたものです。そんな当時の私ですから、共産党や社民党を支持し、毎日新聞を愛読し、政権交代の実現した民主党が沖縄の在日米軍普天間基地の県外移設を要求したときは快哉を叫びました。こういったことをネット掲示板で主張し論争に加わっていたのもこの頃です。

しかし、転換点は突然やって来ました。若い間はえてして過激な思想に染まりやすいもので、東アジア反日武装戦線の存在を知るところに辿りついたのです。彼らは日本人を「日帝本国人」と定義し、民族としての生まれながらにおぞましい侵略思想を抱いた人類の敵であるから、革命に同調した革命浪士を除いて一人残らず人民裁判により処刑されるべし、としていました。初めはなんと革命的で斬新な思想だろうかと同調するところでしたが、ふとそこで何か違和感を覚えたのでしょう、それまでに集めた知識を振り返りました。本当に日本人とはそういうものなのか?日本とは本当に歴史から抹消されるべき大罪国家なのか?と疑問符を抱くようになりました。

そこからの転換はあっという間でした。それまで私が主張してきたこと、主張のもとになったソース、その全てに疑問を抱くようになり、調べ直せば調べ直すほど、今度は世間一般に「ウヨク」と呼ばれる思想になっていったのです。皮肉にも私の場合、それまでいわゆる「サヨク」的主張のソースがそのまま反証としていわゆる「ウヨク」的主張のソースになっていきました。折しもちょうどその頃、政治では自民党崩れの平和鳥と壊滅的リーダーシップの短気遍路によって民主党政権はガタガタになり、政権三代目の無難な首相ではもはやどうしようもなくなっていました。国民の支持が離れていくのと同じように、私も民主党政権に失望していきました。共産党や社民党への評価を全て幻想だったと切り捨て、批判一筋に転じたのもこの頃です。

いわゆる「ウヨク」的立場に転換してからは、安倍政権や橋下氏率いる大阪維新の会を支持するようになったのは言うまでもありません。かつて私が参加していた論争も含むいわゆる「ウヨク」といわゆる「サヨク」の論争も転換して見返してみると、それまでナショナリズムに救いを求めていた「ウヨク」に対し「サヨク」が真実を示す構図だと解釈していたものが、感情的に煽って反対意見をレッテル貼りし拒絶する「サヨク」に対し「ウヨク」がその論理的破綻を正す構図だと解釈するようになりました。産経新聞が愛読紙になり、いわゆる「歴史修正主義」に同調するようになりました。自らの政権の求心力維持のために反日活動を続けるから国家としての中国と韓国が嫌いになりました。民主党政権下で円高不景気が止まらなかったと信じたからアベノミクスに期待しました。電気料金の上昇やCO2排出量増加を信じたから原発再稼働に賛成しました。中国脅威論を信じたからオスプレイ配備と集団的自衛権に賛成しました。大阪が荒んでいるものの復活する価値もあると思ったから大阪都構想に賛成しました。さすがにTPPとヘイトスピーチには同調しませんでしたが、「サヨク」思想からの反動と民主党政権への失望で、安倍政権の政策には概ねイエスの立場になったとご理解ください。

しかし、それにも疑問を抱くようになってきました。少なくとも今はリアリストを自負する私なので陰謀論めいたことは噴飯ものだと思っていますが、安倍政権も程度の多少は別としてダーティなところがあるのではないか、支持率が安定していることをいいことに傲慢になっているのではないか、とも感じるようになりました。ただし、自民党政権に政策実行力があるとは思い続けています。また、いわゆる「サヨク」からいわゆる「ウヨク」に転換した経緯から、もはやいわゆる「サヨク」を再び支持する気にもなれません。民主党などもってのほかですし、国民連合政府などというものを提唱した共産党もまた然りです。そんなこんなで、今の私はもはや政治への興味そのものを失いつつあります。無政府主義ならぬ、無政治主義と呼んでも良いかもしれません。ネットには一生かかっても読み切れないほどの意見や主張が右から左まで溢れに溢れ、もはやどれが事実なのか、どれがまともな意見なのかの見極めさえできなくなってしまいました。テレビやネット上のニュースサイトを見ると必ず現れるような政治、国内外のあらゆる出来事に対しても、今や受け流すか右派問わずシニカルに嘲笑することがほとんどになりました。政治そのものに関わることに疲れて、嫌気がさしている気がしてならないのです。

もちろん、民主主義において政治への無関心が一番危険であることは承知しています。いわゆる「サヨク」だったときもいわゆる「サヨク」だったときも冷めてからも、少なくとも平和と民主主義を尊重する点は変わっていません。まだまだ勉強不足であることも自覚しています。だからこそ、私はここに投稿させていただきました。いわゆる「サヨク」であろうといわゆる「ウヨク」であろうと、その主義主張に真っ直ぐな芯が一本通っている方は失礼な言い方ですが尊敬に値すると思っています。更に反対意見にも一定の理解を示せる方ならば、尚のこと信用できると思っています。貴方は謙遜されるかもしれませんが、貴方の記事やコメントに対する返信を幾つか拝見した結果、凡人のど真ん中にいるような自分にとっては充分「師」であると思うに至りました。

長々とした文章で申し訳ありません。でも教えてください。これをお読みいただいた上での貴方の主義主張でも構いません。

私は、どうすればいいのでしょうか?
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とある一凡人様へ (プレカリアート)
2016-01-20 13:02:05
 とある一凡人様(以下、一凡人様と略させていただきます)、初めまして。このたびはようこそ当ブログにお越し下さいました。これを機に、今後も当ブログをごひいきに宜しくお願い申し上げます。

 「昔は左翼に心酔したが、ある出来事をきっかけに右翼に宗旨替えする事になった。それで、以後はずっと右翼に心酔してきたが、今は右翼の言う事も段々信じられなくなって来た。でも、政治に無関心であってはいけないとは思っているので、自分なりの考え、思想、生き方を再確立したい。さて、私はどうすれば良いか?」・・・一凡人様の言わんとする所はこの様なものであると私は理解しました。もし違っていたらご容赦下さい。

 その上で、もし私みたいな者の意見でよければ申し上げると、何事も自分の生活に即して判断する事をお勧めします。

 たとえば、TPPや新自由主義について申すと、私は、これらについては昔も今も反対ですが、今から思えば、昔の反対論はいささか頭でっかちの教条論だったような気がします。いくら外国人労働者が増えると言えども、昔は「それなりに日本語もペラペラで専門知識に秀でた外国人技術者が日本企業に雇用されるようになる」というイメージがあり、その上にたっての外国人労働者の使い捨て反対論でした。

 ところが、実際に非正規雇用の現場で外国人に接してみると、勤務シフトなどの体裁だけは整っているものの、それを受け入れる側の社員教育は一切皆無で、単に使い捨ての対象が日本人ワーキングプアから外国人ワーキングプアに広がっただけにしか過ぎませんでした。それは、私がこれまでブログでたびたび取り上げてきた通りです。

 また、このたびの安倍「パートで月収25万円」答弁の件も、昔の正規雇用だった時分の私なら、せいぜい「非正規雇用で月収25万なんて有り得ないだろう」という批判に留まり、「元旦の早朝から働かされる身になって考えてみろ!」とまでは言わなかった(言えなかった)ような気がします。

 そういう意味では、「正規雇用から非正規雇用になって初めて当事者の気持ちが分かるようになった」「頭でっかちの反対論から生活実感に根ざした反対論に転換する事ができた」と言えると思います。

 しかし、物事には必ず裏表があります。当事者の気持ちが以前よりは理解できるようになった一方で、当事者であるが故の甘えというか、一種の傲慢さみたいな物に絡み取られる恐れもあるんだな、という事も、一凡人様のコメントから逆に学ばせていただきました。

 東アジア反日武装戦線の掲げる血債論、「自分たちの同調者以外の日本人は、(たとえ左翼の労働者であっても)自分たちの敵」という思想に、その傲慢さが現れています。今で言えば「自分たちの同調者以外は、(たとえ穏健イスラム教徒であっても)自分たちの敵」というIS(イスラム国)の主張が、それに当たるのでしょう。

 うちの会社の正社員にも、自分の保身の為には、非正規労働者の人権を平気で踏みにじるような輩が大勢います。その現実を前にして、それまで掲げていた「労働者はみんな団結して悪徳資本家に立ち向かわなければならない」という理想なぞ、ただの建前にしか過ぎないという気持ちになります。

 しかし、そこに落とし穴があります。もし、そんな東アジア武装戦線やISの主張を認めてしまえば、今度は自分たち非正規労働者も、ホームレスやシリア難民からすれば、まだまだ「恵まれた階級」である以上、「敵」として攻撃されても文句が言えなくなってしまいます。それではもう堂々巡りにしかなりません。

 自分の生活実感が必ずしも普遍的な価値基準である訳ではありませんが、まずはそこから判断するしかないでしょう。但し、それが変な被害妄想に結びついてしまったら何にもなりません。あくまでも、そうならない範囲で、という事で。以上、答えになっているかどうか分かりませんが、私なりに無い知恵絞って書かせてもらいました。
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ご回答ありがとうございます (とある一凡人)
2016-01-22 02:54:01
プレカリアート様。とある一凡人です。早速のご回答に御礼申し上げると共に、返信が遅くなったことをお詫び致します。

「『生活に根ざした判断』と言われても今の生活では無関心のままであることを肯定してしまうのではないか」と思いましたが、ご回答を拝見していくにつれ改めて私の考えの浅薄さを痛感した思いです。特に貴方は非正規職に転職され、低賃金の外国人労働者の方々と仕事を共にすることが多いようですので、貴方が身に染みて感じておられる現状は私の陳腐な想像なぞ遥かに及ばないものなのでしょう。裏を返せば、私が今置かれている環境は一見幸運なように見えて、当事者意識が芽生えにくく無関心を招きやすい、ある種の危険なものだと気づかされたように思います。

ただ私は凡人であって聖人君子にはなれません。「下には下がいる」の思考が危険であることは私も感じていましたし、今の環境ゆえの甘えと言われればそれまでですが、「当事者意識を持つために低賃金労働者の待遇を身をもって知ろう」と行動を起こすことは今の私にはとうてい不可能でしょう。ですが、少なくとも貴方のお話から非正規労働者や低賃金労働者の置かれた具体的な実例を知ることはできました。そういったところから当事者がどう思っているかを知り、私の考えを確立することも大切な一歩だと言って良いでしょうか。

ネトウヨ思考の私ごときに真摯なご回答をいただき、本当に感謝しております。たとえ今後も信ずる立場が異なったとしても、物事を考える上で重要な視点をご教授いただいた点で貴方はやはり私の「師」です。相談して本当に良かったと思います。

ありがとうございました。
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