アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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 詳しくは→こちらを参照の事。
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参院選を安倍・ネオリベコン不信任の国民投票に!

2007年05月16日 23時29分00秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 「教育基本法のやらせ改悪」の強行採決に続いて、「お手盛り改憲投票法」(改憲手続法、国民投票法)も密室でのスピード審議で通ってしまいました。特に後者については、前者の教育基本法改悪の時以上に、「国民が気が付かないうちに、ドサクサに紛れて強引に通してしまった」という感じです。公聴会での反対・懸念意見の噴出や、18本にも上る法案付帯決議(法律施行に当って国会が付けた但書き)を見ても、この法律が「如何にウソ・デタラメの欠陥法案か」という事がよく分ります。

 らんきーブログさんが作ってくれた安倍内閣の悪政一覧表を見ると、「よくもまあ、これだけ次から次へと、しでかしてくれたものだ」と、もう怒りを通り越して半ば呆れるばかりの心境です。これでまた安倍マルコスに対する怨嗟の念は、更に増大するでしょう。この6月からは定率減税全廃で住民税が今までの倍になりますし、参院選後にはホワイトカラー・エグゼンプション法案が再び国会に上程されてくるでしょうから。

 そういう意味では、安倍政権の「と金」「マルコス」ぶりに更に磨きがかかったという事ですが、これが一路「体制変革」や「政治革新」に結びつかない所が、日本の政治の悲しさです。何故ならば、これは単に「安倍政権」だけの暴走によるものではないからです。

 私は以前の拙稿記事の中で、今の安倍政権について、「ネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)の結託=ネオリベコン」によって生まれた「中曽根と小泉の最悪の部分を掛け合わせた内閣」だと書きました。

 ネオリベ(新自由主義)というのは、規制緩和・競争激化・民営化・自由化で、企業活動の自由をどこまでも拡大していこうとする考え方です。そして、ネオコン(新保守主義)とは、「君が代」「日の丸」強制や「靖国史観」復活を通した国家統制の強化で、緩んだ国のタガを締め直して行こうとする考え方です。前者の「規制緩和」と後者の「統制強化」は、一見すれば矛盾するような取り合わせですが、全然矛盾しません。それは、誰の為の「規制緩和」「統制強化」であるのかを考えれば、直ぐに分ります。

 前者の「新自由主義」の「自由」とは、「資本家にとっての自由、搾取の自由」にしか他ならないからです。「能力別授業編成や学区制撤廃で競争・序列化を煽りながら、それに対する反発は道徳教育や国家統制の強化で締め上げる」「労働法制の規制緩和で成果主義やホワイトカラー・エグゼンプションを導入しながら、それに対する抵抗は治安弾圧で押さえつける」という構図を見れば、それが一目瞭然です。

 つまり、ネオリベ(新自由主義)とネオコン(新保守主義)は相互補完の関係にあるのです。そして、本質的には相互補完の関係にありながら、表面的には時には相互に対立するかのように見せつけて、昨今の「ゆとり教育の見直し」「必修科目の未履修対策」や「少年法改悪」「番組捏造問題」の時の様に、「規制緩和や自由化で緩んだタガを統制強化で締め付ける」という姑息な演出を弄したりするのです。

 この「ネオリベとネオコンの結託」は、ひとり安倍政権のみの問題に止まるのではなく、グローバリゼーションの下で更なる「搾取の自由」拡大を目論む財界・国際資本の動向から生まれてきたものです。だから、日本でも安倍や石原慎太郎が大手を振ってまかり通っているのと同様に、フランスの大統領選挙でも同じ様なキャラのサルコジが当選してしまうのですが、封建的な政治風土+日本の歴史の中ではまだまだ短い戦後60年+戦犯政治家(岸信介など)の温存・再生+対米従属・米国流新自由主義の支配+企業寄り労働運動・保守二大政党制下の今の日本では、その悪政の矛盾がとりわけ鋭い形で現われるのです。ネットカフェ難民やワーキング・プアがその良い例です。

 安倍の「バカ殿」「マルコス」ぶりも、財界にとってはとっくに計算済みで、それでもこの憲法改悪の火急の時には、敢えてあの様な時代錯誤の国家主義者を「嫌われ役」「と金総理」(5月15日付「転成仁語」)として、正面突破に使っているのです。それで万一安倍マルコスがお役ゴメンになっても、麻生や小沢民主党を次のリリーフに使えば良いだけですから。その「と金」ふぜいによる「中国・韓国と闘う」パフォーマンスや参院選候補のタレント起用ぐらいで、早速政権支持率が下げ止まりだしたというに至っては、もうお話にもなりませんが。

 こんな中で闘われるのが、次の参院選なのです。この参院選の当選者が、次の衆院選の当選者と一緒になって、改憲投票法の具体的な改悪審議とその実行に乗り出してくるのです。これは絶対に負けられない闘いです。


・へんな改憲手続法のうた(You Tube)
 旗旗さんがアップしてくれたYou Tubeの動画。拙ブログにはダウンロード出来る機能が無いので、とりあえず当該動画へのリンクだけ張っておきます。
 http://www.youtube.com/watch?v=BoL9ijU7iKY

・安倍政権における改憲の新段階 国民投票法案にいかに立ち向かうか(JANJAN)
 http://www.janjan.jp/government/0705/0705135423/1.php

・安倍首相は「と金総理」?(五十嵐仁の転成仁語)
 http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

・アベシンゾーとエキスポランド社長の接点(きっこのブログ)
 http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/05/post_fc5b.html

・[AML 13933] 9条改憲反対運動は今のままでよいのか
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-May/013482.html

・「安倍晋三でいいのか?投票法案」を出したい^^(らんきーブログ)
 http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-date-20070515.html

・安倍晋三政権のまとめ(同上)
 http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-544.html

 ↓これがその「まとめページ」のバナーです。転載歓迎との事です。

 

 
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臨時トピックス:何でそこまでいちいち「台湾」に拘るの?(仮題)

2007年05月16日 08時07分41秒 | その他の国際問題
 過去の拙稿記事「差別助長・バカウヨ量産の全国学力テストなんて止めちまえ!」(2007年04月26日 00時18分39秒投稿)文中の、「台湾のウヨク女」という表現に対して、先日「むじな」という人からコメントが寄せられました。詳しい議論経過については、当該コメントをそのまま、本稿のコメント欄に「これまでの議論の経緯1・2」として転載しましたので、そちらをご覧下さい。

 彼「むじな」がここで問題にしているのは、全国学力テストを批判した先の拙稿記事の、コント爆笑問題の司会によるテレビ番組「太田総理と秘書田中」の内容に言及した部分の中で、番組コメンテーターの一人である金美齢に対して、私が「台湾のウヨク女」と揶揄した事についてです。これを彼は、金美齢に対する「女性蔑視」であり「台湾人全体を貶めるものである」と問題にしている訳です。私は全然そうは思っていませんが。

 読者の方の中には、上記の説明だけでは「一体何が何だか分らない」人もおられると思いますので、この件でもう少し、台湾問題の歴史的経過も交えた解説を行っておきます。

 台湾は、戦前は日本の植民地統治の、戦後は長らく中国国民党の独裁体制の下にあった国で、ここ十数年は野党の民主進歩党が政権を担当しています。中国国民党の統治下では、国連の中国代表権問題とも絡んで、大陸の中華人民共和国とは鋭く対決してきました。そして、大陸からの亡命政権である国民党も、かつては「外省人」の政党として、台湾省民(本省人)を中心とした反独裁・民主化運動を徹底的に弾圧してきました。
 金美齢は、その中にあって在日台湾人として台湾の反独裁・民主化運動の一翼を担ってきた文化人の一人ですが、ここ十数年来は、黄文雄などの在日台湾人民主化運動人士と共に、戦前の日本による台湾植民地統治や今の日本の保守体制を盛んに美化する言説を展開しています。コント爆笑問題司会の前述の番組でもその様な言説を展開していたので、私は彼女を「台湾のウヨク女」と表現したのです。

 「むじな」はそれに対して、「かつては台湾独立・民主化運動内の左派であった金美齢が、何故あれ程までに右傾化していったのかといえば、それは戦後の日本左翼が、人民中国に媚びる余り、台湾の民主化勢力を見捨てていったからだ」「戦後の日本左翼も、台湾をイデオロギーの道具としか見ない点では、徒に親日の一側面ばかりを恣意的に強調して植民地主義肯定に走る日本右翼と、同じ穴の狢でしかない」と主張している訳です。

 私は、過去拙稿記事「差別助長・バカウヨ量産の~」本来の話題(全国学力テスト、安倍教育反動)とは直接関係の無い議論で徒に時間を費やされるのを避けたかったという事の他に、この問題については「むじな」とはまた別の観点から色々考える所がありましたので、それでわざわざ当初の拙稿記事から切り離した上で、別途専用のトピック記事としてアップしたのです。

 私がこのトピック記事で集中的に取り上げたいと思っているのは、下記の論点です。

(1) 「ある国の独立・民主化運動が、過去の宗主国による帝国主義・植民地主義を肯定し、その論理に寄りかかった形で、自国(民)だけの解放を進める」「かつては自分たちが見捨てられたからといって、今度は自分たちが他の搾取されている人々を見捨てる」などという、皮肉じみた事が何故起こるのか?これは何も台湾の独立・民主派だけに限った現象ではなく、他でもまま見られる事例ではあるが(その際たるものがイスラエル・パレスチナ紛争)。

(2) 日本とアジア諸国との関係は、戦前は侵略・被侵略、戦後は上辺だけの謝罪や一面美化に終始してきた。その中で、今まで日本の戦前帝国主義や戦後の日米安保体制を非難してきた中国・北朝鮮における政治の実態が明るみになるにつれ、それにかこつけて、今度は日本人中心史観とも言うべき立場が勢いを増してきている。この様な「互いに目糞、鼻糞を笑う」の対立・反目ではなく、「善き隣人としての、普通の付き合い」を今後日本(国、人)が出来るようにする為に、双方にとって必要な事は何か?

(3) 以上の論点の中で、「むじな」の言説・主張は如何なる立ち位置を占めるのか?
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鍼灸への誘い

2007年05月15日 11時02分18秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 

※約1週間前に書きかけでいた記事を、遅ればせながらアップします。当初はホンの気分転換のつもりで書くつもりだったのですが、安倍マルコスが次から次へと政治茶番劇をやらかせて悪法をどんどん製造してくれるので、おかげで記事のアップが1週間も遅れてしまった(怒)。ついでに言うと、「なにわB級グルメ探訪」シリーズの記事編集が遅れているのも同じ理由によるものです。


 昨夜仕事帰りに近所の整骨院で鍼を打ってもらったので、身体が心持ち楽になりました。いつもいつも政治がらみの記事ばかりではアレなので、今回はこの鍼灸の話題について少し。

 古代中国から日本にも伝わった鍼灸治療。モノの本には、「気血の流れ」だとか「陰陽五行説」がどうだとか、何やらおどろおどろしい解説がされていますが、「自律神経を整えて身体の自然治癒力を高める」というのが、治療の基本です。私は鍼治療だけで灸治療の方は殆ど受けたことがありませんが、これは鍼も灸も同じです。

 人間、デスクワークや肉体労働で無理な姿勢を続けたり、気候や環境の変化で体調を崩したり、ストレスで過度の緊張が持続したりすると、自律神経の働きが鈍くなります。筋肉はこわばって固くなり、血の巡りも悪くなります。そうすると、身体のあちこちに凝りや重だるさが現われます。その凝りや重だるさが現われた所に鍼を打つ事で、筋肉の緊張を緩め血液循環を促し、自律神経を整えるのです。

 この、身体の中で凝りや重だるさがよく現われる場所が、「経穴(けいけつ)」とか「ツボ」とか呼ばれる箇所なのです。WHO(世界保健機構)に認定された公認のツボだけでも365ヶ所あり、その他にも非公認のツボが何箇所もあります。そして、経穴が一連なりになったラインが「経絡(けいらく)」です。この経絡は、昔は「気の通り道」と呼ばれていたものですが、これは現代的に言うと、筋肉・血管・神経などの分布状況と、ほぼ一致しています。

 ツボに鍼を打たれると、その時の体調にもよりますが、痛いという程の事ではありませんが、一瞬チクッとして、その後少し身体に響くような感覚に見舞われる事があります。これが俗に「鍼の響き」と呼ばれる感覚で、これで「ああ、鍼が刺されているな」と分ります。また、鍼治療が終わった当日から翌日にかけての間は、体調によっては、ちょっとした脱力感を感じる時があります。これは重だるいと言うよりは、風呂上りのノボセみたいな感じに近いものです。これが「めんげん」と呼ばれる現象で(げんは眩惑の眩、めんの字は何やら難しい字なので、ここでは平仮名で表記します)、あまりキツイ鍼を打つと副作用として出ますが、一般には鍼の治療効果の一つの現われであると看做されています。その「めんげん」が収まると、身体がそれまでより軽くなって、身体の凝りもマシになるのです。勿論、「めんげん」が出ずにそのまま良くなる場合も多いです。

 下記が、私が鍼灸治療の時によく鍼を打ってもらったりマッサージをしてもらうツボです。背中のツボ(腎兪)以外は自分の手でマッサージする事が出来ますし、腎兪も椅子の背もたれ等を利用してやれば出来ます。一度試してみられては如何。

(慢性的な肩こりに効くツボ)
●天柱(てんちゅう):首筋の太い筋肉の外側で、頭骨の直ぐ下。
●風池(ふうち):天柱から指の幅1本分外側のくぼみで、頭骨の直ぐ下。
●肩井(けんせい):肩の、首の付け根と肩先の丁度中間。
 上記のツボのおおよその位置については、こちらの図を参照の事。

(慢性腰痛に効くツボ)
●腎兪(じんゆ):背中の、肋骨の下縁の高さで、背骨から指の幅2本分外。
●大腸兪(だいちょうゆ):腰の、腎兪から指の幅3本分下、腰骨の高さにある。
 上記のツボのおおよその位置については、こちらの図を参照の事。

(その他、疲れ目や体調不良全般に効くツボ)
●合谷(ごうこく):手の、親指と人差し指の骨の付け根の間。
●湧泉(ゆうせん):足の裏の、人の字形のくぼみの中央。
 
 以上、ツボの位置に関する記述は、主婦の友社刊「目で見る家庭医学シリーズ」より抜粋・引用。同じく図解は、「推拿で簡単ツボ療法」、「ツボのツボ」のHPを参照。
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ここまで来た権力による陰湿なメディア操作

2007年05月14日 09時23分46秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
Yahoo!トップページのトピックス(7時51分更新)

 ・全国初の民営刑務所が開所
 ・母の日 花配達を装い強盗
 ・30代の82%「仕事の将来不安」
 ・男性のたるんだ腹にガードル
 ・露鵬「待った」通らず行司批判
 ・琢磨8位入賞 アグリ初ポイント
 ・24時間TV司会にタッキー&翼
  昨日の話題(37件) 一覧

MSN・Japanトップページのニュース(更新 5月14日 02:34)

 ・約15億円!サッカーくじ繰越金
 ・大阪で「母の日」強盗
 ・「マイはし」手にギャル行進
 ・東国原知事、自民ベタぼめ
 ・フジTVイケメンアナが7月に結婚

朝日新聞トップページの主要ニュース(2007年05月14日08時11分更新)

 ・ヤクルト子会社、売れ残り回収し再納品 賞味期限の間際(07:31)
 ・指紋の一部残る、袋は特殊な業務用 大阪湾の女性遺体(05:56)
 ・「賢いカラス」脳地図で証明 慶応大グループ(00:56)
 ・イチロー、松井秀、ともに2安打 マリナーズが競り勝つ(08:01)
 ・宮里はスコアを2つ落とし、6位 米女子ゴルフツアー(08:05)
  全記事一覧
 

産経新聞トップページの注目ニュース(05月14日08時28分)

 ・電気ドリルで「金を出せ」 東京・世田谷区のコンビニ
 ・中国、食品・薬の安全確保へ本腰 5カ年計画に盛り込む
 ・「母の日の花」配達装い押し入り強盗 大阪のホテル客室
 ・前日3位の宮里藍、逆転優勝ならず 米女子ゴルフ
 ・宝くじ当せん者アンケート、当せんの秘訣は…「運」

 上記が、改憲投票法案(国民投票法案)が参院本会議で強行採決されようとしている5月14日当日朝のメディア状況(トップページのニュース一覧)です。おそらく、毎日や読売も似たような状況なのでしょう。Yahoo!と朝日新聞については、一応記事一覧をクリックして当日の記事見出しを全て見てみましたが、そこにも改憲投票法案関連の記事は全然見当たりませんでした。
 おそらく、国内政治や国会のカテゴリーに絞って検索をかけていけば必ずヒットはするのでしょうが(記事そのものはアップされ、ネットでも議論にはなっていますので)、それにしても、こんな重要な一大事がトップページの何処にもアップされていないのは、やはり異常です。

●再掲:改憲投票法案関連の拙稿ブログ記事より

 ・我々は「出来レース」など許さない
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/f2ec2604497007ea6f36f75d486abb7f
 ・転載:全国革新懇の改憲手続き法案阻止アピール
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/8ec4072b165919822ab6be52f1f72b30
 ・国民投票(改憲手続)法案粉砕!安倍マルコスの居直りを許すな!
  http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/5ee304a554fa22935bf6cbda643fe97e

●更に、「本当は恐ろしい国民投票法」HPには、次の様な解説まで載っていました。私も正直言って、非民主的な法案だとは認識していましたが、ここまで恐ろしい代物だとは思っていませんでした。これではもう、単なる「手続き法」の範疇を超えた、立派な「弾圧立法」ではないですか。

「国民投票法」は、単なる国民投票の手続きを定めただけの無害な法律であるように見せかけながら、実のところ、憲法改悪に反対する運動を弾圧するための法律です。大手メディアは、この法律の問題点が、あたかも、投票年齢やメディア規制に関することだけであるかのような報道しかしていません。国民投票運動の規制の危険を具体的に明らかにするような報道をしているメディアはほとんどありません。表現の自由、言論の自由が圧殺されようとする法律が作られようとしているのに、その沈黙ぶりには不気味なものすら感じざるを得ません。(以上、引用)
 http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/honto-ha-osoroshii.html

 大阪・エキスポランドでのジェットコースター事故の記事も確かに重要です。また、ネットやニュースで一部話題になった「中国・石景山遊園地のミッキーマウス・パクリ疑惑」も、GW絡みのネタとしては確かに面白いかもしれません。まあ私個人としては「あの程度でパクリだと言われるなら、日本の鉄腕アトムもパクリにされかねない」という気もするのですが、中国が海賊版やパクリの宝庫である事も確かに事実でしょう。しかし、改憲投票法案の参院本会議での強行採決は、それよりもっと重要なニュースである筈です。でもこれでは、朝のあわただしい出勤時間に新聞の見出しだけ流し読みするだけのサラリーマンにとっては、改憲投票法案(国民投票法案)の企みを何も知らないまま会社に出て、ひょっとしたら夕方のニュースで通り一遍の事を知っただけで、直ぐにまた現実の生活に引き戻されるだけではないですか。

 教育基本法のやらせ改悪の時から薄々感じていましたが、マスコミ・メディアによる報道規制が、ここまで進んでいるとは思いませんでした。これではまるで、グーグルが中国でやっている事と、本質的には全く同じじゃないか。中国では言論弾圧が露骨に行われ、日本では陰湿な形でそれが行われる、という違いだけで。
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「生徒諸君!」―安倍政治悪乗り教育ドラマとしての側面

2007年05月13日 00時15分50秒 | 映画・文化批評
 お手盛り改憲投票法案(国民投票法案)が5月11日に参院の憲法調査特別委員会で可決されました。予定では14日の参院本会議にも、この悪法案は可決・成立させられてしまうでしょう。審議すればするほどボロが出るデタラメ法案で、無理やりでっち上げられた地方公聴会ですら124人の公述人のうち108人までが今国会での採決に反対している法案を、中央公聴会すら開かずにドサクサに紛れて強行採決されたのです。

 この悪法案に基づくお手盛り改憲投票は、公布から3年後の2011年に施行されます。それまでの3年間の間に、護憲派(反改憲派)との間で勢力が拮抗している今の状況を変えるべく、改憲派は権力とマスコミを総動員して、民主勢力の運動を弾圧し孤立させようとしてくる事が、もう目に見えています。それを阻止する為にも、今後3年間の間に施行される衆参両院の国政選挙が、改憲阻止の天下分け目の闘いとなります。

 そういう大変な政治状況であるにも関わらず、日本のマスコミのこの異常な沈黙ぶりは一体何なのでしょうか。この間の国会の動きや反対運動の未曾有の広がりを全然報道せず、しても市井の三面記事と同程度にしか取り上げないのは、どう見ても異常です。教育基本法のやらせ改悪の時もそうでしたが、命令放送や捏造問題を口実にした番組介入・報道管制が、国民の目から隠蔽された所で、強力に行われているのではないでしょうか。

 それでマスコミはと言えば、こちらも社会の木鐸とは名ばかりの、もう時流に阿り悪乗りするような報道や番組ばかりが、やたら幅をきかせ始めているような気がして仕方がありません。これは何も別に、産経・読売の体制翼賛報道や、「あるある大事典」などのやらせ番組だけに限った事ではありません。スポーツ新聞の三面記事の紹介に終始するだけのバラエティ番組の時事解説や、視聴率稼ぎの魂胆が見え見えのお涙頂戴リポート、CM前後でチャンネルを切り替えさせない為の「焦らしのテクニック」に汲々としている様など、報道のレベル・モラルの低下は、もう覆うべくも無い惨状を呈しています。

 そんな中で何と、この安倍改憲政治を、側面からヨイショしているとしか思えない教育ドラマまで登場しています。朝日放送系列で4月20日以降の毎週金曜日に21時から放送している、「生徒諸君!」というテレビドラマがそれです。このテレビドラマは、元々は70年代に少女雑誌に連載されていた漫画を、現代風にアレンジしてテレビドラマにしたものですが、そのアレンジの仕方が、もうどうみても、安倍マルコスの教育反動に阿り悪乗りしたものにしか思えないのです。

 このドラマのあらすじは、内山理名が扮する新米女性教諭の北城尚子が、教師不信の塊と化した御園中学2年3組の担任として、3TDと呼ばれるゲシュタポ紛いの番長グループが支配するクラスや、事なかれ主義の校長たちや、問題児排除に走る教育委員会のメンバー(椎名桔平が扮するイケメン教育委員の日向悠一郎)と、丁々発止を演じるというものです。その中学生というのがまた揃いも揃って、現実離れしたほどひねていて、まるで高校生みたいな中学生ばかりなのですが。

 そして、そのイケメン教育委員がよく登場するのが、何と、例の文部科学省の教育再生ナンチャラにそっくりな会議の席なのです。私が見た5月4日放送の第3話でも、この教育再生ナンチャラもどきの席で、イケメン教育委員がキャリアとして文部官僚をフォローする場面が登場していました。
 その第3話のあらすじと言うのが、北城尚子が担当する2年3組の生徒が教師不信に陥るキッカケとなった、ある過去の出来事を取り上げたものでした。―集団登山でクラスごと遭難した時に、前担任の教師が、生徒の食糧を奪って自分だけ助かろうと下山した。生徒はこの時のトラウマが基で教師不信に陥った。その前担任が、何と文部省事務次官の御曹司で、今も別の中学校で教師をしているのを、北城尚子が捕まえてクラスの生徒の前で謝罪させようとするも、前担任と先のイケメンに裏切られて、尚子は余計に生徒から恨まれる―という、救いようの無い話です。

 この番組ストーリーの荒唐無稽さも然る事ながら、私が一番作為を感じたのが、このドラマの新番組予告編の際のナレーションなのです。「虐め、給食費の未払い、不登校、云々・・・この現実にどう立ち向かうか、云々」という感じのナレーションだったのですが、これではまるで、今の安倍マルコスの進める教育反動路線に、無批判に阿り悪乗りして、その上で安易にストーリーを組み立てているだけでしょう。
 確かに、私利私欲に走る文部事務次官の御曹司やイケメン・キャリアは出てきますが、それに抗う北城尚子も、教育反動化を進める安倍や伊吹からすれば、教育再生ナンチャラの葵のご紋を背景に、小役人の悪事を暴く「九の一」でしかない訳です。もっと言えば、中国の毛沢東時代の女紅衛兵や、小泉が抵抗勢力に差し向けた刺客みたいな役回りです。

 しかし、私に言わせれば、「給食費の未払い」などというデマゴギーや(これが何故デマゴギーなのかは別の記事を参照の事)、「虐め、不登校」云々で、教育再生ナンチャラと同じ土俵の上に立ち、それを無批判に受け入れた上でドラマを組み立てている時点で、完全にアウトなのです。これでは、形を変えた安倍教育反動のプロパガンダだといわれても、仕方がないでしょう。
 何故なら、「虐め、不登校」の最大の元凶が、差別・競争の学力テストや国家・企業にのみ奉仕する「勝ち組」教育を推し進め、通常授業を潰しての学力テスト対策や、成績の悪い子は無理やり欠席させてまでテストの平均点を上げる事に汲々としている、そういう状況にまで教育現場を追い詰めているのが、当の安倍や伊吹や教育再生ナンチャラの面々である事に他ならないからです。そんなマッチポンプを恰も既成事実であるかのように無批判に受入れられる、そういう感性の鈍感さには呆れざるを得ません。

 しかもご丁寧な事に、同番組のHPには視聴者向けアンケートとして、「自分と他人、どっちが大切?」なんてものまで用意してあります(「ThemeBBS」>「バックナンバー3」のページ)。しかし、これも私に言わせるならば、無意味な選択にしか他なりません。だってそうでしょう。「イザとなったら、自分の命を捨ててまで子どもを守れるか?」なんて質問、答えようがないですもの。そんな質問は「自分の命と親の命、どちらか捨てろと言われたら、どちらを捨てるか?」という質問と同じですから。
 それに対する私の答えは「どちらもゴメン蒙る、そんな悪魔の選択を強いられるような状況に陥らないように、それまでにあらゆる手立てを尽くす」です。それを安易に「自分の命を捨てても子どもの命を守る」と言えるのは、私からすれば「ウソ」以外の何物でもありません。その人は、「何も考えていない」か「偽善者」であるかの、どちらかです。

 もう見え見えなのです。「自分も他人もどっちも大事」など、その他の選択肢を最初から奪っておいて、そんな中で「自分と他人、どっちが大切?」と悪魔の選択を迫り、踏み絵を踏ませる。そうして、抗う事の出来ないような雰囲気の中で、一方的な滅私奉公に誘導しようとしているのが。
 第2次大戦中の沖縄戦では、米軍の艦砲射撃や日本軍の住民見殺しの中で、心ならずも教え子を見捨てざるを得なかった教師の悲劇が伝えられています。また、終戦直前の満州でも、関東軍から見捨てられた住民が、必死の逃避行の中で、自分の子どもを置き去りにしなければならなかったという、中国残留孤児の悲劇があります。そうせざるを得なかった当時の沖縄の教師や満州開拓団の住民の行為を、エゴとして切捨てる事が出来ますか? そんな事よりも、沖縄の教師や満州開拓団の悲劇を引き起こし、数千万以上の中国・アジア人民を虐殺した、その張本人の末裔どもが、自分たちのしでかした行為を棚に上げて、人に一方的に悪魔の踏み絵を踏ませる事の方が、私にはよっぽど許せない事だと思うのですが。
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小・中学生の作文

2007年05月10日 08時51分23秒 | お笑い安倍政権
・教育再生会議:親向けに「親学」提言 母乳、芸術鑑賞など(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070426k0000m010157000c.html

>「親学」は、親も子育て学習をする必要がある、との認識から一部の保守系有識者が提唱している考え方。子育ての知恵や文化を伝えることが主眼で、再生会議では17日の同会議第2分科会(規範意識)で提言を行う運びとなった。山谷えり子首相補佐官や池田守男座長代理らが概要をまとめた。<(同上新聞記事より)

 下記が、その「親学のススメ」の内容なのだそうです。

(1)子守歌を聞かせ、母乳で育児
(2)授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
(3)早寝早起き朝ごはんの励行
(4)PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す
(5)インターネットや携帯電話で有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の実施
(6)企業は授乳休憩で母親を守る
(7)親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞
(8)乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
(9)遊び場確保に道路を一時開放
(10)幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させる
(11)思春期からは自尊心が低下しないよう努める

 何ですか、これは。まるで「エエトコのボンボン」(上流階級のお坊ちゃま)の小・中学生が書いた作文みたい。いや、小・中学生でも、今日び、もう少しまともな事が書けるのではないか。
 5番目の「親の責任で有害サイトにフィルタリングをかける」にしてからが、パソコンも持てず、仮に持ててもダブルワークで親自身がインターネットをする時間もないのに、一体どうしろと言うのでしょうか。9番目の「遊び場確保に道路を一時開放」にしても、では具体的にどうしろと。あの石原に向かって、「首都高速道路を遊び場に一時開放しろ」とか「三宅島の公道をバイクレースに使うな」とか言ってくれるのなら、その度胸だけは多少評価してあげても良いのですが。
 今の北欧諸国みたいに、父親や母親の仕事が定時きっかりに終わって、夕方には帰宅できて、有休も育児休暇もいつでも好きなだけ取れるようにならない限り、こんな事は到底実現不可能です。

 実際に教育学者で、このウチの幾つかについては主張している人はいます。しかし、そういう人たちは、未だ大なり小なり、今の家庭の置かれた現状も知った上で、「それでも、何とかそのウチのいくつかでも実行出来るようにするにはどうしたら良いか、一緒に考えて見ませんか」という主張のされ方をしています。少なくとも、こんな教育再生ナンチャラみたいに、今のワーキング・プアの搾取の上に胡坐をかいたままで、「提言」とは名ばかりの、まるで国が国民に命令するかの如くのような物言いはしていません。こいつら、「君が代」の次は、「子守歌」や「母乳子育て」の強制に踏み出すんじゃないか。

 一事が万事こんな調子だから、安倍マルコス夫人ブログの、「私たちセレブなの~、貴方たちド貧民とは違う世界に生きてるの~」的な記事の内容が、世間の顰蹙を買っている事にも、一向に気が付かないのです。
 「親学」か何か知りませんが、余計なお世話です。こんな下らない提言をしている暇があるなら、ホワイトカラー・エグゼンプションや偽装請負合法化なんて止めて、普通に暮らしていけるような経済政策を、トットと実行しろよ。
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鉄砲玉、株主資本主義、カンバン方式

2007年05月10日 00時02分33秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 この間忙しくて、ブログの更新がなかなか出来ません。記事にしようと思っている題材は既に幾つかあるのですが、文章化する所まではなかなか。根を詰めれば立て続けにアップするのも可能なのですが、そこまで気力が続きません。そうこうしているうちに徒に時間だけが経ち、とうとう「もういいや」となってしまう(苦笑)。本当は、フランス大統領選挙の事も、教育再生ナンチャラが出した「親学のススメ」とかいう提言についても、言いたい事は一杯あるのですが(特に後者に対しては)。とりあえずそういう事で、今回はまた身辺雑記絡みの記事でご勘弁を。

 この5月連休は、世間の休みとは裏腹に、私の職場は非常に忙しかった。GWは夏・年末と並ぶ業務繁忙期のヤマの一つで、連続9日出勤と毎日30分の昼休みで、少ない人数の中で何とか乗り切ってきた。それでやっとGWが終わったと思ったのもつかの間、ある朝出勤したら、それまで現場で一緒に作業していたいつもの社員がいない。聞けば、前日の私の定休日に、その社員が出勤したら、いきなり本社部長の直々の命令で、東京の方に単身赴任で出向応援を命じられたのだと。お陰で、その日はただでさえ少ない人数なのに、さらに一人欠員状態の中で、てんてこ舞いさせられてしまった。

 出勤したらいきなりアカの他人の会社に出向応援、それも大阪から東京ですよ。命令する方も命令する方なら、その命令をそのまま伝える方も伝える方だし、それに何も言わずに従う本人もすごいものがあると思うのは、私だけなのだろうか。

 よくよく話を聞くと、その出向先というのが、なんとあの、某国経団連のトップの、ベンジョガミみたいな名前の人が会長をしている、あの会社ですよ。カメラやコピー機を作っている、そして偽装請負が発覚して新聞ダネになった事でも名を売った、あの超有名企業。その有名企業が、このたび東京近郊の某所に(実際の場所は既にネットで突き止めている)、某倉庫会社に業務を委託して新しい物流センターを立ち上げた。それで「急遽50人からの人を集めろ!」という事で、それで回りまわって、二次か三次か知りませんが、下請アウトソーシングのウチの会社にも出向応援の要請が来た、という事だそうです。

 その新物流センターですが、とりあえず人だけは集めてみたものの、受け入れ体制が全然出来ていなかったらしくて、「船頭多くして船山に登る」の如くシッチャカメッチャカの状態になっているそうです。当初は一週間の予定だった出向予定が、もう一週間延びる可能性が濃厚です。その関係もあって、私の今週のシフト休日も、本当は明日だったのに土曜日に伸ばされてしまいました。

 それで同僚のバイトとその話をしていたのですが、「日頃から、人にはやれ日本の名目賃金は高いとかなんだとか言っておきながら、自分の出身企業でのこの体たらくは一体何」「コストダウンしたつもりが、全然コストダウンになっていないじゃん」と私が言ったのに対して、「外注化で既に人件費がコストダウンされているので、現場作業でどんなにロスが出ようと、そんな事は知ったこっちゃ無い」「ダメな経営者の本音を言えば、作業効率や信用失墜のロスを無くす事よりも、目に見える金額のロスを無くす事の方が大切なのだ」という趣旨の事を、そのバイト君が言っていました。なるほど、これが「株主資本主義」というものか。まあ、立ち上げ当初という事で、天下の某国経団連会長企業としては、こんな現場サイドのロスなど最初から織り込み済みという事なのでしょうが。

 しかしこれでも、「トヨタのカンバン方式でないだけ未だマシ」と思わなければならないのだろうか。横にトヨタの社員がぴったり付いて、ストップウォッチ片手に一挙手一投足まで秒単位に監視される、チャップリンのモダンタイムスさながらの、トヨタのカンバン方式でないだけ。
 最近は物流の現場にも成果主義が浸透してきていて、アルプス方式とか、色々あるようですが。進んだ現場では、スキャナーでバーコード読み取りに自動倉庫と、殆どの作業が自動化されているのですが、ピッキング(集品・出荷)に何秒、検品に何秒、棚入れに何秒と、ノルマがあって、それもピッキング作業だけでなく周辺作業まで含めて、逐一パソコンで個人別にデータ管理されて、脱落すればペナルティが課される所もあるそうで。

 そういう事なので、忙しい日はまだ当分続きそうです。 
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日本国憲法の価値を貶める曲学阿世の言説を粉砕する

2007年05月07日 23時37分43秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 NHK教育テレビのETV特集で昨夜再放送された「焼け跡から生まれた憲法草案」を見ました。日本国憲法の制定に至るまでの歴史を検証した、稀に見る良質のドキュメンタリー番組でした。今の平和憲法が、一部で取り沙汰されているような「占領軍の押し付け」などではなく、それどころか、自由民権運動や大正デモクラシーを始め、それまでの日本と世界の民主主義の流れを受け継ぎ発展させた、当時としては最良に近いものであった事が、番組を見てよく分かりました。

 番組は「憲法研究会」の活動に焦点を当てたものでした。この在野の研究会は、鈴木安蔵や森戸辰男などの7人の日本人有識者によって構成されていました。この研究会の下で、戦前・戦中に弾圧されていた自由主義者や言論人が中心となって、戦後日本の再建には新憲法制定が不可避との認識で、終戦直後から活動を開始したのです。
 日本民主化を定めたポツダム宣言に沿ってGHQから人権指令や五大改革指令が出るも、その実施をサボり天皇制護持にのみ汲々としていた政府側の憲法問題調査委員会(松本委員会)とは対照的に、「憲法研究会」では日々真剣な討議が続けられました。

 その討議の中で一番議論になったのは主権の問題でした。統帥権などの天皇大権を削除し国民主権を打ち立てるという方向では大筋一致していたものの、天皇の地位を巡っては「行政権は残す」「国民的儀礼のみ行う」「君臨すれども統治せず」「天皇制を廃止して共和制にする」など様々な意見が出る中で、最終的には当時の国民感情も考慮して、今でいう象徴天皇制を目指すという点に結論がまとまりつつありました。
 この「憲法研究会」の活動を通して、それまで皇国史観によって封印されてきた日本各地の自由民権運動の歴史遺産が、初めて世に出てきました。アメリカ独立宣言・フランス革命やルソーの民約論から革命権の思想を受け継いだ植木枝盛の憲法草案(東洋大日本国国憲按)も、この時に初めて発掘されたのです。

 やがて続々と政党が結成・復活し、各党も来るべき新憲法の草案や要綱を公表し始めます。保守党の自由党・進歩党からは天皇主権が、社会党からは「天皇を含む国民共同体」主権が、共産党からは人民主権が盛り込まれた憲法草案が出されます。政府側の松本委員会は、なかなか憲法草案を発表しようとしませんでしたが、当時の新聞のスクープによって、その内容が明治憲法と殆ど変わらない事が明らかにされました。

 そんな中で、前述する「憲法研究会」の民間草案がGHQ民政局の目に留まります。GHQは、その自由主義的で先進的な内容を高く評価しつつも、そこに欠けていた、憲法の最高法規としての性格付けや違憲立法審査権、刑事被告人の人権保護の規定などを、「憲法研究会」の草案に付け加えていきます。それを基にして、GHQの憲法草案が作られたのでした。
 そしてGHQは、相も変わらず明治憲法の内容に固執する松本委員会に対して、「GHQ案を呑まなければ、この案を今度は自らの手で直接日本国民の前に公表する」と迫ったのでした。そうなれば、政府はもう、民主主義を希求する国民を前にして、自分たちがその敵対物でしかない事が白日の前に晒される事になります。それで政府は、それまでの抵抗を諦めて、GHQ案を新憲法草案として国会に上程するに到ったのです。

 そしてその後の国会審議の中で、それまでは無かった社会的生存権や、国民の「普通教育を受ける権利」(単なる初等教育、つまり読み書き・算盤の範囲に止まらない事に注意)の規定も、「憲法研究会」出身の国会議員や在野有識者の声を背景に、GHQ草案の中に盛り込まれるようになりました。これらの規定はまた、戦後の食糧難に直面し、もう二度と封建主義・軍国主義・ファシズムに辛苦を舐めされないよう公民としての政治的教養を求めていた国民の願いを代弁したものでした。これが現在の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)や「普通教育を受ける権利」(同26条)となって結実したのです。

 ただ、この番組の中では、「戦争放棄」(同9条)については殆ど言及されていなかった様に思いますが、この件については、5月連休中に、また別の特集番組(NHK総合「その時歴史が動いた」5月2日放送「憲法九条 平和への闘争」)が組まれていて、そちらの方で取り上げられていたと思います。

 いずれにしても、この番組を見ると、今の日本国憲法を「占領軍の押し付け」としてしか見ない、先の5月3日憲法記念日における安倍マルコスの憲法談話の内容は、現憲法の価値を一方的に貶めただけの「為にする言説」でしか無い事が、よく分ります。

 こう言うと必ず出てくるのが、北朝鮮や中国の例を挙げての、「周辺国には未だに拉致や核軍拡や人権侵害・少数民族弾圧を続けている国があるというのに、今の憲法みたいに、平和愛好諸国民の公正と信義に信頼してとか、戦争放棄とか言っていたのでは、埒が明かない」「目には目を、歯には歯を」「その中国や北朝鮮を平和勢力のように看做してきた左翼・人権派の体たらくは何だ」という意見です。この種の意見については、私は次のように考えます。

 この「目には目を、歯には歯を」というのは、「北朝鮮にはこちらも"北朝鮮的なモノ"で対抗しよう」という考え方ですね。「相手が反日教育や反日デモを仕掛けてくる以上は、こちらも愛国心で国を守っていかなければならない」「その中心になるのが日本の伝統・国柄であり、皇室だ」という訳です。この理屈については、私も言いたい事が多々あるのですが、とりあえず、ここでは次のポイントに絞って答えておきます。

 そういう"北朝鮮的なモノ"、具体的にはファシズム・軍国主義・強権支配などを指すと思われますが、私はそんな論理に平伏すなどは真っ平ゴメンです。何故ならば、そういう論理というのは、外国の仮想敵に対してだけでなく、国内の仮想敵や、戦争の足を引っ張ると思われる弱者一般に対しても、牙を剥いてくるものだからです。それは、戦時中にハンセン病患者がどういう扱いをされたのかを考えれば、直ぐ分ります。
 それは取りも直さず、今で言えば、ホームレスやニートや虐められっ子やネットカフェ難民やワーキングプアが、有事体制の中では、過去にハンセン病患者がされたのと同様の扱いを受けるという事です。昨今は安倍が、何やら虐められっ子の味方や守護神であるかのように振るまっていますが、奴の本音は石原と同じ、「虐められるような、お国の足を引っ張るような役立たずは、死んでしまえ」です。私はそんな論理はゴメンです。

 そんな「目には目を歯には歯を」「北朝鮮には和風・北朝鮮で」で対抗するのではなく、あくまでも日本国憲法の平和・人権思想で、北朝鮮に対抗すれば良いのです。従軍慰安婦の犯罪が許せないからこそ、北朝鮮の「喜び組」も許せない。広島・長崎・第五福竜丸・「核の冬」の悲惨や「核独占・核恫喝」の横暴が許せないからこそ、北朝鮮の核実験も許さない。ネットカフェ難民の悲惨が許せないからこそ、北朝鮮のコッチェビ(浮浪児)の悲惨も許せない。それが、「日本国憲法の平和・人権思想で北朝鮮に対抗する」という事の、そもそもの原点なのです。その上で、日本と北朝鮮のそれまでの歴史や置かれた環境の違いも踏まえて物事を見ていく事も必要なのですが、あくまで根本には、搾取や不正義に対する義憤が無ければなりません。それが「日本国憲法に基づく平和・人権思想」の原点である筈です。

 それが、ややもすれば今の日本では、拉致被害者家族や北朝鮮の人々の人権をさも憂えているかのようなポーズを取っている輩が、日本国内では得てして、「日本は弱者天国」だの「強者は弱者を支配してナンボ」だの「ホームレスは反社会的」だの「虐められるような役立たずは死んでしまえ」だの、凡そ聞くに堪えないようなヘイトスピーチを垂れ流しているのは、それこそダブルスタンダード以外の何物でもありません。

 「左翼・人権派は中国や北朝鮮を平和勢力のように看做してきたではないか」という批判については、左派や人権派の中にある「ある種の判官びいき」とも言うべきものが、悪い方向に作用した例である事は、これはこれで認めなければならないと思います。中国の五四運動、朝鮮の三・一独立運動、中国革命や抗日戦争の歴史を評価する余り、中国の文化大革命や、北朝鮮の帰国事業やチュチェ思想までも一面的・一方的に賞賛・美化してしまった事については、左派として総括しなければならない点があるのは事実です。
 しかし、それは同時に、左派・人権派を批判する側の右翼の方にも同じ様に跳ね返ってくる問題であると、私は思っています。真に普遍的人権・国際人権の観点から、中国や北朝鮮の問題を捉えていたのか、それとも、ただ単に人権思想や左翼思想を貶める為の「格好のネタ」として、中国や北朝鮮の問題を捉えていただけだったのか。私は、右翼側の批判については、中には前者の立場からの批判もあるにはあったが、大抵は後者の立場からの批判であり、なかんずく安倍マルコス政権中枢からの批判に至っては、殆どが後者からのものでしかないと認識しています。

(関連記事)

・NHK ETV特集 焼け跡から生まれた憲法草案(とくらBlog)
 http://ttokura.exblog.jp/5123917 
・日本国憲法の作者は日本人(Made in Japan)(津久井進の弁護士ノート)
 http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-230.html   
・今夜はETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」(お玉おばさんでもわかる政治のお話)
 http://otama.livedoor.biz/archives/50694330.html
・植木枝盛について
 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/uekierori2.htm

(追記)

 前掲のNHK特集番組の内容に噛み付いているネットウヨクのブログを読みました。そのネットウヨク曰く「終戦後に世に出た11の憲法草案の大半は明治憲法と大差の無い内容だった」「一個の異端にしか過ぎない憲法研究会の憲法草案ばかりを取り上げるNHKは偏向している」のだそうです。そして、後はまた例によって例の如く「これは天皇中心の国柄を貶めようとしている反日工作員の陰謀で」云々と、ご丁寧にも多色刷りのデカ字フォントまで動員しての戯言のオンパレード。

 こんな手合いにマトモに取り合うのは時間と労力の無駄なので、簡単に結論だけ。そんな事を言い出したら、坂本竜馬や勝海舟などの幕末・明治維新の志士たちも、全部「当時の異端思想家」にしか過ぎないじゃないか。幕末当時は、天皇なんて存在は殆どの人が知らなかった。何せ享保や天保やらの元号にしてからが、使いこなせていたのはせいぜい江戸や大坂の町人止まりで、圧倒的多数の民百姓は干支で年を数えていた位なのだから。幕末の志士が、当時からすれば少数異端であったにも関わらず、何故歴史上の人物として取り上げられるのか。それは、彼らの思想が当時の時代を先取りしたものに他ならなかったからだろう。憲法研究会の「主権在民」憲法草案も、それと同じ事じゃないか。
 伝統でも何でもないものを、国柄だなんだと勝手に決め付けて人に押し付けるな。戦後60年以上が経過して21世紀にもなっても、未だに「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」から一歩も抜け出せない化石は、人類が月や火星に行くようになっても、ずっとそのまま「尊王攘夷、草莽クッキ」のレベルで思考停止していろ。 
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転載:共同声明 『私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します』

2007年05月05日 21時08分42秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
※みなさんも是非、下記の共同声明への署名・宣伝にご協力をお願いします。


★『私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します』
「私たちは現日本政府による全面的憲法改定に反対します」

現在、日本の政府与党は「戦後レジームからの脱却」というスローガンのもとで憲法改定をめざしています。その最大のねらいは、日本国憲法によっていましめられている国家権力をそのたがから外すことです。

この「レジームチェンジ(体制変革)」の意図は、政権政党である自民党の改憲草案(2005年10月28日発表)に目立たないように盛り込まれています。

第一に、そこには、「公益」による基本的人権と市民的自由の留保、平和主義の縮小あるいは実質的停止、政教分離原則の緩和あるいは実質的廃止などが示されています。これは、「国民主権」・「平和主義」・「基本的人権の尊重」という三大原則をかかげる日本国憲法の根幹に反民主主義的な改変を加えるものです。

第二に、硬性憲法である現憲法の改定に関して定められた条文「第九十六条」が、主権者である国民の意思を正当かつ公平にはかる手続きなしで、国政の側からの憲法改定の発議と採決のみによって憲法の改定ができるよう変えられています。この条文の改定が行われれば、日本国憲法は硬性憲法の性格を実質的に失い、主権者である国民の意思と無関係に、政権側の都合でいつでもどのようにでも憲法を、その根幹すら変えることができるようになります。

この二つの点から、「戦後レジームからの脱却」をかかげるこの改憲は、単なる条文の部分的修正にとどまらず、憲法そのものの全面的改定、すなわち、日本の政体の非民主的変更を宣言するものだと考えることができます。今回、現政府与党の思惑通りの改憲がなされれば、日本国憲法はその民主主義の理念と立憲的性質を弱められ、まったく違うものに変えられてしまうでしょう。

実際に、現在の日本の政府与党の多数を占める自民党の政治行動には、民主主義的観点から、多くの危険な具体的兆候がうかがえます。特に1990年代以降、自民党は国権の発動を容易にし、基本的人権に制約を加え、軍事を優先するという国家主義的な政策を段階的に推しすすめています。現政府与党幹部、特に自民党執行部は「戦後レジームからの脱却」をかかげ、自らの改憲草案(2005年10月28日発表)に沿って、国の最高法規である現行憲法をないがしろにし、「第九十九条」に定められた国務大臣、国会議員、裁判官などの公務員の憲法尊重・擁護義務などあってなきもののごとく振る舞っています。この自民党の議員たちによる、「時代に合わない」という現行憲法への抽象的で一方的な非難、人権はエゴイズムを肥大させて社会の秩序と規範に悪影響を及ぼすものだとして執拗に繰り返される言説、自らに都合のいいようになされる強引な憲法解釈。そして、憲法の原理を逸脱し、憲法違反さえ疑われる、すでに実施された、あるいは立案・計画されている数々の政策。これらを日々目の当たりにして、私たちは十分にリアリティのある危惧を抱いています。

つまり、現政府与党のもくろむ改憲とは、「主権者である国民が国家に命令する」立憲主義を否定し、「国家が一方的に国民に命令する」ことを可能にするための全面的改憲であると言うことができます。

もちろん、ただ一度の改憲だけで民主主義や立憲主義を犠牲にした「レジームチェンジ(体制変革)」が完遂するわけではなく、また、平和と自由を愛する日本人とその構成する日本社会とが、危険な全体主義へとその行動様式を今すぐに変えることはないかもしれません。しかし、今回の改憲の意図により、日本という国家が、反民主主義的、反立憲主義的な方向に歩をすすめることを止める法体系上の枠組みが無力化されることは避けられません。また、日本が第二次世界大戦中の全体主義・軍国主義体制の中で経験したとおり、体制変革が中長期的に日本人の政治的意識・行動を非民主的な方向に変えてゆくことも否定できません。すでに、現状においても、ジャーナリズムの少なからぬ部分が自民党のめざす民主主義的、立憲主義的とはいえない改憲を意図的に、あるいは誘導的で恣意的な政府公報の主張に沿う形で支持しています。この状況の中でひとたびそのような「レジームチェンジ(体制変革)」を許してしまえば、今後の日本と国際社会の未来に大きな禍根を残すであろうことは、第二次世界大戦中の従軍慰安婦をめぐる昨今の日本の政権政党の責任逃れの態度や人道的視点の欠如を見ても容易に想像できます。

もうひとつ、日米関係のあり方も私たちに少なからぬ危惧を抱かせます。日本では、半世紀にわたる東西冷戦時から、グローバリズムの波が世界を席巻する現在にいたるまで、その折々にアメリカの軍事戦略を支援・補完するために、その要請によって数多くの規約がつくられてきました。日米安全保障条約の締結、戦時での行動指針の定められた新ガイドライン、アーミテージレポート、年次改革要望書、在日米軍の再編成のための膨大な予算支出、そして集団的自衛権の範囲を広げる憲法解釈変更の試み。時を経るにつれて、それらの規約は、国の最高法規であり、上位法であるはずの憲法の条文を実質的に無効化させ、国民の側にあるはずの主権を国家へとシフトさせてきています。そして、今回の改憲は、これまでで最も露骨な形でその最終目的を達しようとしています。

今まさに、日本国民は、同盟国アメリカと政治・外交的に一体をなす現政権の「利益」に完全に屈従する危機に直面しています。それは同時に、日本という国が本来の主権を失い、アメリカの軍事戦略上の実質的な属領となることを意味しています。そうなれば、現自衛隊はアメリカの支配下の兵団として、その軍事戦略にいやおうなく追従させられることになるでしょう。
残念なのは、日本で、その全面的な憲法改定、あるいは新憲法制定の目的が、大部分の国民に十分に理解されないまますすめられていることです。その理由は、その意図を理解すれば大多数の国民が反対するからにほかなりません。私たちは、一国至上主義を貫く米国の軍事戦略に奉仕するために、国外へ日本の軍事力を展開すること、戦争によって日本と、そして世界の人々の血を流すことを許しません。

戦後の歴史をふりかえると、第二次世界大戦の戦前戦中の支配勢力にルーツを持ち、日本で戦後、ほぼすべての時期を与党として過ごした自民党は、第二次世界大戦敗戦直後に作られた民主的な現日本国憲法を否定する「自主憲法」の制定を長期的目標としてかかげてきました。今、第二次世界大戦時の「大東亜共栄圏」という他国への侵略、占領施策の責任者の一人であった岸信介の孫であり、岸信介の遺志を継ぐ安倍晋三によって、その危険な策謀が実行されようとしています。安倍晋三は2006年9月の総理大臣就任直後に、前回2005年8月の衆議院総選挙では公約として明示されていなかった「戦後レジームからの脱却」をスローガンとしてかかげ、その具体的な方策を憲法改定という形で早期におこなうことを公言しており、絶対多数の議席を持つ自民党全体でそのアクションを強くすすめています。これは国民主権、立憲主義をとる民主主義国においては、自国の基本的価値を自ら否定する暴挙といえます。

今や、「経済大国」として国際社会に大きな影響力を持つ日本によるみずからの民主主義の明示的で意図的な縮小あるいは否定は、世界平和にとって大きな脅威となることでしょう。1930年代に世界を悲劇に導いたファシズムの横暴を21世紀の日本で繰り返してはならない。これが、過去のあやまちによる戦争の惨禍を深く反省し、現日本政府の推しすすめる国家主義的政策とその非民主性に疑問を持ち、将来の日本国の脅威とその国権による専横とを危ぶむ私たちの願いです。それは、真の民主主義の力を信じる私たちひとりひとりの願いなのです。



★「私たちは現政府与党が成立をめざす、『憲法改定手続法案(国民投票法案)』に次の理由で反対します」

憲法の目的は主権者である国民が国家権力を規制することであり、その憲法改定手続は、国民主権と基本的人権の尊重という民主主義の基本理念にのっとった公平で公正で明快な内容であるべきです。そのため、第一に、憲法を改定する手続きである国民投票は民意を正確に反映する投票制度であること、第二に、国民の的確な意思決定のためにできるだけ多様な政治的意見に接することができること、第三に、広く深く国民的論議がなされるために自由で公正な国民投票運動が保証されることが必要です。現政府与党の法案は、次のような点で先の「公平で公正で明快な国民投票の要件」を満たす内容とは考えられません。

1. 本国民投票法案には最低投票率の規定が設けられておらず、有権者の二割程度の賛成票だけでも条文の改定が可能なこと。(憲法の基本原則、民主的・立憲的根幹が簡単に変更されてしまう内容であること。)

2. 国民投票において、投票運動での自由な言論活動に罰則とともに設けられている制限があり、罰則の適用が恣意的になされる危険性を排除できないこと。(その罰則・制限が、現憲法を擁護する立場の者にとってのみ不利にはたらくと考えられること。)

3. 国民が改憲案についての賛否を判断するための広報の公平性が保証されないこと。(国民投票広報協議会に参加できる人員、及び公費で賄われる広報が国会の議席数に応じて割り振られるため、多数の議席を占める政党が一方的に有利になること。また、制限なしの有料広告は財力のある側だけに一方的に有利になること。)

4. 憲法改定についての国会の発議から国民投票までの期間が短いこと。(国民が的確に意思決定できるかどうか疑問があること。)

5. 国民投票における、賛否を問うための投票方式があいまいになっていること。(抱き合わせによる恣意的な誘導を避けるため、個別の条文ごとに賛否の意思表示ができる投票方式にするべきだが、その点があいまいであること。)



★「私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対し、現行憲法の民主主義原理の発展と具体化を求めます」

私たちは、現日本政府がめざす体制変革(レジームチェンジ)によって、日本が与党や行政指揮者の意向によって何の留保もなく戦争のできる国にされてしまうことに反対します。

私たちは、日本が非民主主義的あるいは立憲主義を否定する国に変えられてしまうことをなんとしても食い止めたいと願っています。

私たちは、日本が国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現行憲法の原理を発展させ、具体化させることを求めています。

私たちは、日本の平和と民主主義の恩恵を世界中の人々と共有することを望んでいます。

私たちは、それが自由と平和を愛し民主主義の擁護・拡大を望む世界の諸国民の願いでもあると信じます。

日本の政府与党である自民党が、「体制変革(レジームチェンジ)」の意思を公言して憲法改定手続法をスタートさせようとしている今、残された時間は多くありません。

私たちは、私たちのこの意思が歴史の審判に耐えうるものであることを祈念しながら、このメッセージを世界中に送ります。そしてこのアクションが、国際社会全体を次のステージへと導く「平和への道」を切り開くことを願っています。心ある世界市民が、私たちの日本と、そして全世界の平和と民主主義を勝ちえるためのこのプロジェクトに、それぞれの国で、その地域社会で、その生活の場で連帯してくださることを心からお願いいたします。

2007年5月3日

http://kokumintouhyou.blog98.fc2.com/
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我々は「出来レース」など許さない

2007年05月05日 20時41分41秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 「やらせタウンミーティング」やら「ナントカ還元水」やら「産む機械」発言やらで支持率急落の安倍マルコス政権ですが、とうとう迷走の果てに、「どうせ嫌われるなら毒食らわば皿までも」と、愈々地金をさらけ出しての居直りに転じました。教育基本法改悪に続いて、少年法改悪、全国学力テストの強行実施、米軍再編促進法の制定と、最近その暴走ぶりがとみに目についています。
 その中で今度は、自民党が、お手盛り「国民投票」による改憲を想定したスケジュール表を既に用意している事が分りました。「しんぶん赤旗」のスクープ記事によると、<2011年夏に改憲を発議し、同年秋に例のお手盛り「国民投票」で改憲クーデターを強行する>という事のようです。

 以下が、自民党の憲法審議会および国民投票法にかんする特命委員会(委員長・中川昭一政調会長)などの会合で示された、その「国民投票実施までの経過と見通し(イメージ図)」=「改憲クーデター計画」の概略です。

●2007年5月  改憲手続(国民投票)法案の成立・公布
●同年8月頃(参院選後)  臨時国会で「衆参に憲法審査会設置」。自民党は憲法審査会で「具体的改憲の骨子案の作成など」に入る。
●2010年5月  (改憲手続法案成立の場合)3年後の同法施行開始
●2011年夏頃  衆参両院で改憲発議→お手盛り手続法で承認
●同年秋頃  「対米従属、海外派兵、国家・財界優先、人民奴隷化」の現代版「大日本帝国憲法」公布

 どうりで、

少し審議するだけでも次から次へとボロが出て、ワザと参加しにくい日程を設定してでっち上げた各地の「拙速」公聴会ですら、圧倒的多数の公述人から改憲反対や危惧・疑問の声が噴出しているにも関わらず、それには一切耳を貸さず、

「何故、最低投票率の規定を定めないのか」(←仮に投票率4割なら僅か2割超の賛成で改憲出来る!)と聞かれても「ボイコット運動を扇動されるから」と的外れな答弁しか出来ず、「ボイコットも国民の意思表示の一つの現われじゃないか、それを何故頭から否定するのか」と改めて問われると、答弁不能に陥って、それ以上は何も答えられず、

「公務員や教師は自分の地位を利用して投票者に圧力をかけるから規制する」と屁理屈をこねて、「公務員や教師も、国民として意思表示をする権利があるのは当然じゃないか」「それを聞く聞かないは国民が決めることであって、政治家が規制する事ではない」とか、「大企業の経営者が従業員や下請け業者に圧力をかけたり、高級官僚が利益誘導で地元の業者を締め付けたり、そういう"ぐるみ選挙"については、今までもこれからも野放しにしているくせに、公務員や教師の一般職・労組員だけを目の敵にするのは、完全なダブルスタンダードじゃないか」と改めて問われると、これも答弁不能に陥って、それ以上は何も答えられず、

「その改憲手続や改憲投票を管理・施行するのは、国会の議席数に応じて(与党中心に)選ばれる選挙広報協議会がそれを行うという、これじゃあ完全なお手盛り選挙じゃないか」という疑問にも、何らまともに答えられず、

「公務員や教師の自由な意思表示を封じ込めておいて(←マバタキしただけでも捕まる恐れが大の共謀罪!)、与党改憲派・財界主導の有料意見広告や有料CMは投票日2週間前まで野放し」というのでは、 「金にモノを言わせての憲法ジャックじゃないか」という疑問にも、何らまともに答えられず、

 それでも 「ただひたすら先に結論在りき」で、誰から何と言われようと「どうせ嫌われるなら毒食らわば皿までも」で、遮二無二突っ走っているのです。
 それでなくても、アメリカからは、「ウソ・デタラメのイラク戦争から撤退する国が相次いで、このままでは米・英・豪州だけが「裸の王様」に成りかねないので、これからは日本にも、何くれと無くその穴埋めを図ってもらえるようにしたい」と、やいのやいのと催促されていますので。しかしこれでは、民主主義なんて形だけの、完全な出来レースじゃないか!

(関連記事)
・自民、改憲へ日程表 「11年夏発議 秋に国民投票」 手続き法成立 即「骨子」作り 党内会合で提示(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-01/2007050101_01_0.html
・「赤旗がスクープした自民党の改憲日程表です。」(日本国憲法擁護連合~法大OBのブログ)
 http://navy.ap.teacup.com/union/792.html
・国会で起こっている異常事態(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
 http://web-kenpou.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b52b.html


 しかし、こんな出来レースに易々と騙されるほど、我々はバカではありません。如何に安倍マルコスが必死になって、対米盲従・弱者切捨て・生活権蹂躙の「アジア版"バナナ共和国"(注)」「美しい国」や「戦前レジームの復権」にこれ勤めようと、ワーキング・プアやネットカフェ難民の現実に目を向ければ向けるほど、愛国心や自己責任論だけでは食ってはいけない事に、庶民も次第に気がついてきています。
 一頃の右傾化風潮ピークの時期と比べると、マスコミの世論調査でも9条改憲に躊躇する意見がじわじわと増えてきています。この5月3日憲法記念日の催しにしても、現職首相のウヨ・マルコスは公務員の立場も投げ捨てて露骨に現憲法を貶めるような憲法談話を吐きましたが、それとは裏腹に各地の「9条の会」主催の集会や講演会は、どこも過去最高の参加を記録しました。

(関連記事)
・日本国憲法施行60周年に当たっての内閣総理大臣談話(首相官邸HP)
 「現行憲法の基本原則は広く国民に浸透」云々の煙幕の後に「憲法制定時には想像もつかなかったような大きな変化に直面・・・戦後レジームを原点にさかのぼって大胆に見直し」云々とある。しかし、例えばその改憲理由の一つに「経済のめざましい発展やグローバル化・・・など、憲法制定時には想像もつかなかったような大きな変化」云々を挙げているが、それならば尚更の事、偽装請負やネットカフェ難民を生み出さないような、日本国憲法に基づいた政治が求められる筈なのに。なるほど、ネットカフェ難民やワーキング・プアや偽装請負の搾取の上に胡坐をかく側からすれば、確かにこの憲法は邪魔だわな
 http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/05/03danwa.html
・「憲法第9条は平和に貢献」78% 朝日新聞世論調査(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/politics/update/0501/TKY200705010415.html
・「九条」見直しに警戒感(沖縄タイムス)
 http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070430.html
・憲法施行60周年のつどい(9条の会・おおさか)
 当日は仕事でどうしても参加出来なかった。参加したかったなあ・・・。
 http://osaka9.hp.infoseek.co.jp/20070503syukaipr.html


 勿論、敵もそれを手をこまねいて座視している訳ではありません。改憲派の集会でも、「9条の会」「憲法行脚の会」などの護憲派の動きに対抗して、改憲ファシズムの「国民」運動に草の根ウヨクを動員していく事が決議されました。実際に権力を握っているのは安倍を筆頭にした靖国派であり新自由主義派であり、これらが内部では互いに矛盾・対立を抱えながらも、「アジア版"バナナ共和国"」「美しい国」の本格構築にむけて、野望を研ぎ澄ましています。北朝鮮・拉致問題や中国国内の人権蹂躙・少数民族問題などを、国内の不満逸らしと治安強化の、格好の奇貨として。これらの案件を国際人権問題としてではなく、ひたすら右傾化と政権安定、「資本家天国」維持の捌け口として。そして、その野望は日々一刻と現実にその姿を現してきています。
 片や、愛国心や自己責任論のメッキが次第に剥がれつつある一方で、改憲派の世論操作や権力を嵩にきての治安強化や「出来レース」も次第に功を奏しつつある、というのが現状です。護憲派と改憲派ががっぷり四つに組んでいるのが、今の政治情勢なのです。我々は決して奴らの野望を許してはならない。

・(注)バナナ共和国:
 アメリカ帝国主義に政治的・経済的実権を握られていた、かつての中南米の共和国を揶揄した表現。但し現在ではこの地域は、キューバ・ベネズエラ・ニカラグアなどを筆頭に、急速に「米国の裏庭」から脱しつつあります。
 翻って今の日本は、象徴天皇制の非共和国であり独占資本主義国でもあるので、この比喩は必ずしも適切ではないとは思いましたが、日本の対米従属ぶりはもう当該例ともドッコイドッコイなのが現状なので、敢えて比喩として使いました。
コメント (1)
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