エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

信じられないことを、信じちゃう危機

2013-10-31 03:17:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 精神分析は、その目標が倫理的な方向づけのやり直しであることがエリクソンによって示されました。この点は非常に重要です。

 

 

 

 

 しかしながら、このいつくかの意識的心構えを歴史的に妥当な物差しを用いて定式化するために、理解しなくちゃいけないのは、精神分析家は、理論上も、実践上も、その人種の情熱、不安、激怒を手当てするように求められるけれども、いつでも、一部分しか分かっていないことを材料にして、ある種の説得力のある哲学をひきださなくちゃならない、ということです。不安障害(神経症)の人々やびくびくした人々は、概して、非常に信念に飢えているので、宗教的確信のない人々の間に、全く信じられる代物なんぞではとてもないことを、熱に浮かされた如く、ひろめることになりますよ。

 

 

 

 

 

 今日、NHKの「クローズアップ現代」で、最近亡くなられた漫画家のやなせたかしさんが作詞した、アンパンマンのテーマが、被災地と呼ばれる地域で、特にリクエストが多かった、と伝えていました。この歌には、「何の為に生まれて 何をして生きるのか」、「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び / たとえ胸の傷が痛んでも。」など、哲学的命題とその答え(?)が含まれています。これは最深欲求に関わる問いと、その答えだと言えるでしょう。

 つまり、未曾有の危機に瀕している私どもは、最深欲求に関わる根源的な問いの答えを探さなくてはならない、ということでしょう。それなしには、再出発、再生が不可能だと、どこかで深く感じているからだろう、と考えられます。

 今日のところは、そんな日本人に対して、「要注意」とエリクソンが注意を促している、ととらえることができる箇所でしょう。未曾有の危機は、今までに経験したことのない不安をもたらすからです。そして、その不安は、今日エリクソンが教えてくれているように、「全く信じられる代物なんぞではとてもないこと」を熱狂的に信じる、という非常に危険な、「いつか来た道に」陥る可能性について、注意してくれているからです。

 1つはアベノミクスであり、1つは「秘密保護法案」です。こんな信用ならないものがまかり通るのであれば、それじゃなくても、「人間らしい暮らし」を守るためにある「正しいこと(人権 right)」が非常にもろい日本が、ますます「正しいこと(人権 right)」を見失うことになりかねない、と私は危惧しています。

 逆に「信じられること」と言ったら、真実を語ることが語る当人の損になること、たとえば、職場にいられなくなる(日本では、裁判所でさえも、裁判官が法と良心に従って判決を出そうとすると、裁判所に居づらくなる、と言われます)、命の危険があるといった事情があっても、その人が語る真理、ということになるでしょう。アンパンマン同様、「信じられること」も、それを語る人は自分の身を削る勇気と覚悟(παρρησια パレーシア)があって初めて、その存在を証明できるのです。

コメント
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