ルターをうつ病と見なす見方もあったのでした。エリクソンはそれには懐疑的なようです。しかし、ルターやその流れのプロテスタントから鋭く批判されたカソリックは、ルターその人を相当「悪く」見ざるを得ない気持ちになったことは、創造できます。
さらに関して申し上げれば、若いころのルターやあの精神科医の主張、すなわち、ルターのtentatiiones tristitiae 、つまり、「宗教的動物」が陥る一つの伝統的な誘惑、という悲しみは、うつ病に最もよくある症状のイメージの、古典的ないくつかの特色に当てはまるという主張に関しては、私どもは明らかに疑り深くなっています。なぜなら、徹底して、ルターに関する、この精神科の教科書は、ルターと、他の真実に宗教に没頭した例なら、ルターに匹敵する賜物の持ち主と比べるのではなくて、「落ち着いた」標準事例と比較しているのです。普通の人がもっている、心のバランス、人生を単純に楽しむこと、普通の上品さ、決まって努力する方向性、と比較しているのです。この精神科医はルターが天才であると認めてはいるのに、それなのに、ルターに対して、私が知る限りでは、創造的な歴史的関わりを維持すること等、期待できないような、心の状態を求めるのです。
この精神科医は、ルターに無理な要求をしていることになりますよね。