エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターのイライラは、病気にせい

2013-12-08 03:56:40 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターに対する無理な見方が紹介されています。今日はその続きです。

 

 

 

 

 

とにかく、この精神科医が指摘したことは、ルターの最晩年の数年、ルターの「精神的なバランスは、十分ではない」時期でさえ、彼の心理状態は、「かなり調子がよかった」ということです。 この普通という物差しを使って、この精神科医は、ルターが自分の父親の理にかなった計画を受け容れ、法律の勉強に進学して喜んで学ぶことができませんでした。つまり、ルターは聖職者叙任式の最中、他の若い聖職者のようには、気持ちをほぐすことはできませんでしたし、ルターは、聖アウグスティヌス修道会の体制同様、実用的で、しかも、高貴な体制に中で、落ち着いていられませんでした。さらには、ルターは、ずっと後になっても、寛いで、自分が反抗した成果をゆっくり味わうことはできませんでした。この教授も、この驚きに近い感じを感じているのです。しかし、神は、神のいつくかの理由から、ルターをこのような自然で実用的な態度からイライラさせました。この精神科医は、このイライラは心の内から、内因性の精神病から来ている、と確信しています。

 

 

 

 

 

  

 

 この精神科医は、ルターのイライラが内因性の心の病のゆえだといいます。

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「良い方」のパレーシア

2013-12-08 03:21:06 | フーコーのパレーシア

 

 まず、「悪い方」のパレーシアが紹介されました。つまり、ペチャクチャしたおしゃべり、無駄口というような非難する響きのあるパレーシアです。今日は「良い方」のパレーシアです。

 

 

 

 

 

 しかしながら、たいていの場合、パレーシアは、古典的な文献では、このような非難する感じの響きのある意味はありません。むしろ、肯定的な意味があります。「パレーシアゼスタイ パレーシアな話をする」ことは、真実を告げることを意味します。しかし、「パレーシアステス パレーシアな話をする人」は、当人が真実だと考えることを話すのでしょうか? それとも、実際に真実なことを当人が話すのでしょうか? 私の考えでは、パレーシアステスが真実を話すのは、当人が真実を知っているからなのです。パレーシアステスは、「言うこと」と「やること」が一致しているだけではなくて、また、自分の意見を話すだけではなくて、その当人の意見もまた、真実なのです。この人は自分が真実だと知っていることを話します。パレーシアの第2の性質は、しかだって、信念と真実が、いつでも何度でも、ピッタリ一致している、ということです。

 

 

 

 

 

 「悪い方」さえいいのですから、「良い方」のパレーシアは、とってもいいですね。今まさに、日本に必要なのは、この「良い方」のパレーシアだと言って、マツがいないでしょう。なぜなら、その逆があまりにも多いからです。真実と分かっていても、それを話すことが損だと、実際は話さないでしょう。「内で出す肉は、脂肪注入加工肉です」、「原発は、実際はコストが猛烈に高く、人類の生存を犯します」、「特定秘密保護法は、原発にまつわるヤバい話しが外の洩れないようにするために、作ったのですよ、黙っててくださいね」、「事故があっても、道民はうちの列車を使うから、点検は手抜きでいいや」、「徳洲会の金の話も、75日。ホウッカムリをしていれば、そのうち新聞は別のことを書くようになる」…。

 パレーシアとパレーシアステスがぜひとも必要な時代です。

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