ルターに対する無理な見方が紹介されています。今日はその続きです。
とにかく、この精神科医が指摘したことは、ルターの最晩年の数年、ルターの「精神的なバランスは、十分ではない」時期でさえ、彼の心理状態は、「かなり調子がよかった」ということです。 この普通という物差しを使って、この精神科医は、ルターが自分の父親の理にかなった計画を受け容れ、法律の勉強に進学して喜んで学ぶことができませんでした。つまり、ルターは聖職者叙任式の最中、他の若い聖職者のようには、気持ちをほぐすことはできませんでしたし、ルターは、聖アウグスティヌス修道会の体制同様、実用的で、しかも、高貴な体制に中で、落ち着いていられませんでした。さらには、ルターは、ずっと後になっても、寛いで、自分が反抗した成果をゆっくり味わうことはできませんでした。この教授も、この驚きに近い感じを感じているのです。しかし、神は、神のいつくかの理由から、ルターをこのような自然で実用的な態度からイライラさせました。この精神科医は、このイライラは心の内から、内因性の精神病から来ている、と確信しています。
この精神科医は、ルターのイライラが内因性の心の病のゆえだといいます。