本日、猪瀬都知事が辞任しました。オオボラ吹きの東京電力のウソを追及していた急先鋒が、また、オオボラふきだったことが、今の日本を象徴していますよね。阪急阪神ホテルズ、近鉄旅館システムズ等の「一流ホテル」、高島屋、日本橋三越、そごう・西武に小田急百貨店などの「一流デパート」もウソを平気でついていたことが、最近分かりましたよね。JR北海道の検査データのゴマカシもあります。
アメリカでは高速道路といえば、ただ(フリーウェイ)が普通なのに、日本の高速道路はなぜあんなに高いのか? 北欧やオランダの教員が、子どもとの対話を大事にしているのに、日本の教員は、なぜこんなにエバっていて、一方通行なのか? マンデラ元大統領のように、国民の人間らしい暮らしを目指して命懸けで戦った政治家がいるのに、日本の政治家は、国民を力で支配しつつ、国民に「愛」を求めるのか?(高橋源一郎、「朝日新聞 今日付け2013.12.19の朝刊『論壇時評』」)ウソとゴマカシの最たるものは、日本の政治(政治家と役人[学校の多くの教員も、日本の今日では教育者ではありません。お役人です])です。
「バレなきゃいいや」という、道徳的無秩序が瀰漫した、日本の社会情勢の中で、パレーシアとパレーシアステスを学ぶことの意義が、自ら明らかでしょう。
つまりそれは、一般化して言えば、「パレーシア」と言う言葉の肯定的意味でして、ギリシャ語のテキストの多くそうなのです。「パレーシア」は紀元前5世紀から5世紀までの間に出てきます。
最近、私自身が「パレーシア」をやってみたことを最後にご紹介して、フーコーの1日目の講義のまとめの代わりと致しましょう。
私が関わる中学校で、管理職が、最近1か月、ずっと空咳をしています。実際の勤務時間[彼女は通勤に片道1時間半くらいかかります、通勤時間も含みます]は、普段15~16時間だと思われます。朝6時ころ自宅を出て、夜帰宅するのがふだん9時か10時でしょう。その空咳が過労から来ていることは、火を見るよりも明らかです。当然本人も知っているはずです。
でも、そのことをこの職場で、話し言葉にした人はいなかったのでしょう。私は「咳が1か月以上続いていますね。お気付きの通り、過労が原因と疑われます。咳が収まらないということは、神様から『早く(職場から)お帰りなさい』と言われているんじゃないですか?」と申し上げました。すると間髪を入れずに、別の教員が『○○先生が、早く帰るのは、難しいんじゃないですか?」と切り返してきました。私も間髪を入れずに「難しいことをせずに置くのも、(管理職として)どんなものでしょうか? (難しいことをすることも、管理職の役目ではないですか?)」と応じました。職員室の空気が、冷え冷えしたのは想像できますでしょうか? その時、彼女は「分かりました。なるべく早く帰ることにします」と、本音とは異なるけれども、その場の冷え冷えした空気をそれ以上凍り付く空気にしないための思いを話し言葉にしましたね。
そのやり取りを聞いた別の職員は、どう思ったか、正確なところは分かりません。分かりませんが、一様に硬い表情と落ち着かない雰囲気に支配されなかった職員は、1人もいなかったことを、ここにはっきり記しておこうと思います。
短期的に見て、私のパレーシアを、評価した人がいたとは思えません。しかし、管理職が空咳を1か月以上している、そんな非人間的な仕事を強いられている職場で、はたして子どもたちに、人間らしい暮らしを実現していくために英知を分かち合うことが、果たして、「できる」と言えるでしょうか? むしろ逆だと思います。管理職が無理して非人間的な働きぶりをすればするほど、職場の雰囲気として、「私が無理して、非人間的な働きぶりを我慢して働いているのだから、あなたたちも泣き言を溢さずに、非人間的な暮らしを我慢して、勉強(仕事)をしなさい」ということになると私は考えます。
そして、私は考えます。そのようなメッセージには、私はハッキリ「NO」を言います、と。