今日から、エリクソンが『エール・レヴュー The Yale Review』1981というエール大学の機関紙に書いた、「ガリラヤの言い伝えと≪私≫という感じ」の翻訳もしたいと思います。
私もいろいろエリクソンの文書を読んでいますが、この文章ほど大事なのは、最初に翻訳しました、「日々の生活の中の “礼拝” Ritualization in Everyday Life」位でしょう。
私は今まで、ritualizationを「儀式化」と訳してきましたが、私のギリシア語の恩師、 武藤陽一先生の文書「『礼拝』とは何か」を繰り返し読みまして、気づきを与えられました。それは、エリクソンの言うritualizationは、まさに、パウロが「ローマ人への手紙」第十二章1節bとc(後半)で言った「礼拝」である、ということです。
それを新共同訳でここに引用しておきましょうね。
「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとしてささげなさい。
これこそ、あなた方がなすべき礼拝[την λογικην λατρειαν υμων]です」
(文字化け防止で気息記号などは割愛)
その意味では、エリクソンは、この「神なき時代」に、ボンヘッファーがいう「神のみ前で、神とともに、神なしで生きる」を徹底的に、ハッキリした形で明示し、生きた人だということが、ようやく分かりました。
散々読んできたエリクソンが、散々読んできたボンヘッファーと、このようにして鮮やかに繋がりましたよ。
その感激を、その感動を、皆さんにもお分けしますね。