「本物」と言って思い出すのは、信仰の恩師、西村秀夫です。西村先生の口癖の一つは、間違いなく「本物」でした。
その中でも、忘れならないのは、西村先生が、先生の信仰の恩師、矢内原忠雄について語る語り口です。西村先生ははじめ塚本虎二先生の集会に出ていたそうですが、矢内原先生の集会にも出るようになった時に、誰かが塚本先生の悪口を言っているのを聞いた矢内原先生が、その悪口を慎むように、「やめなさい」とカミナリを落としたのだそうです。その時に、西村先生が矢内原先生に「『本物』を感じ」て、正式に矢内原集会に参加するようになったという話です。
この西村先生の言う「本物」と、エリクソンがここで言う「本物 authentic」は同じものだと私は強く感じます。いずれも、ギリシア語のΠιςτιςのことだと考えて間違いありません。そして、Πιςτιςこそは、根源的信頼感でもあるのです(文字化け防止のため、気息記号などを割愛、修正)。
p322第二パラグラフ。
しかしながら、まず初めに「本物」という言葉に異議を唱えなくてはなりません。それは、この言葉が、実際問題、いくつかの言葉の、まことしやかな歴史以上の意味がある場合です。なぜならば、福音書記者が伝える様々な言い伝えが、何となく「ウソくさい」と思われるからです。ところで、四福音書そのものは、創造的な芸術の表現形式ですし、一連の、イキイキ、ピチピチしたエピソードを自由に選んでもいいという自由があるところに特色づけられています。それぞれの福音書は、物語の場の中で、イエスとガリラヤの人々の出会いを描いています。しかし、福音書が紙に書かれたのは、1世紀末ごろ、イエスが死んでから数十年たってからですし、実際問題、紙に書かれた福音書は、イエスが死んだ後に復活した、という光を当てることによって、報告されている言葉を見直しました。そのイエスの言葉は、イエスの伝道の第2の地域、すなわち、ユダヤやエルサレムで報告されたものでした。そのころまでに、福音書の目的は、明らかに、パレスチナ内外で発展するキリスト者グループに、福音に基づく気骨を与えるものでした。そのキリスト者グルーブは、イエスご自身が目の当たりにしたものではありませんでした。こういったキリスト者グループの発展すべては、それ自体の正当性があります。それは、新しい伝統となる儀式と礼拝の形式でしたが、それは、福音書記者個人が体験した啓示の特色にふさわしいものでしたし、当時の社会的傾向にも合うものでしたし、当時の読者の理解力と関心にもふさわしいものでした。このようなあらゆる伝統的な礼拝も、遅かれ早かれ、生命力を失った儀式主義になりやすいのは、私どもが今後繰り返し立ち返る論点です。しかしながら、最初は、このような礼拝すべては、それ独自の歴史的な「本物らしさ」があります。
形骸化した礼拝も、その最初においては、歴史的な必然性があり、生命力がもともとはあるものなのですね。
しかし、これは礼拝形式にだけ当てはまるものではありません。あらゆる制度、あらゆる集団にも、当てはまるものでしょう。制度や集団にも、最初はそれが作られた目的やヴィジョンがありました。そこには「制度を作る精神」、「集団が共有するヴィジョン」がもともとはあったはずです。
いったん制度や集団ができて、その精神、そのヴィジョンを見失う時に、生命力を失うことになるわけですね。
本物は、精神とヴィジョンが必ず、イキイキ、ピチピチ生きているものです。