エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「正しいこと」を押し付ける人

2014-11-20 13:16:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 内村鑑三の人と思想を紹介する鈴木範久先生の番組「道をひらく」の再放送が始まりましたね。先日第2回目があり、その(再)再放送が明後日22日のお昼過ぎにあります。その中で「内村が最も嫌った人」として挙がった人、どんな人だと思いますか? それは「宗教を押し付ける人」だそうですよ。鈴木範久先生が、内村の思い出を語る人から聞いた話としてご紹介くださいました。なるほどなぁ、と感心しましたね。

 この「宗教を押し付ける人」は、現代日本語で翻訳すると、「正しいこと」を押し付ける人、だと私は考えます。それは、いろんな形でいますね。

 まず、思いつくのは、わが安倍晋三首相です。あの人、2度目の首相指名を受けた後がまさにこうですよね。わが安倍晋三首相が考える「正しいこと」、「違憲」判決のある議員定数のままで選挙をすること・集団的自衛権・原発再開・福島原発の現状の隠ぺい・放射能健康被害の基準のゴマカシなどなど。これらはひとつひとつは、どれも許しがたい暴挙ですね。

 でも、これだけじゃぁないんですね。

 私は小学生の母親や教員と日常的に付き合いがありますでしょ。その中の少なくない人数の人が、子どもに「正しいこと」を押し付けようとするんですね。これが子どもたちに心の病をもたらしますし、子どもにとって、最低・最悪のことだ、という自覚のかけらもない。「良いことをしてるつもり」なんですね。ある意味この人たちは「病識」がない。

 ですから、残念ながら、私の仕事のかなりの部分が、この「病識」を喚起することにならざるを得ません。まぁ、仕方ないことですが、「病識」喚起のしごとも、なるべく歓喜をもって、陽気で楽しくやってますよ。

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精神分家の最大の貢献 「正しいこと」を押し付ける最低・最悪

2014-11-20 10:11:50 | アイデンティティの根源

 

 まさか、「いいね」と「ダメね」の境界線が、あらゆる心の病、こじれた人間関係の「悪の元凶」です。

 p223第2パラグラフ。

 

 

 

 

 精神分析的に観察することは、第一に、東洋の思想家はすでに知っていた事実、すなわち、「いいね」と「ダメね」を根っこで分けることが、心の病になりうる、という事実の心理学的基礎を確立したことです。この分かれ目は、大人が子どもの舞台で、道徳的に良心が咎めたり、道徳的に追い詰めたりすることを辿ることになります。子どもの舞台では、「自分は悪い子」という感じと、「自分は恥ずかしい」という感じが高まりやすく、また、付け込まれやすいんですね。精神分析は「超自我」と名付け、これを研究します。「超自我」とは、自我に付きまとって、目上の者が抑えつけようとする意志に子どもが従うものとして、心の中にずっと残ってしまうことなんですね。超自我の声が、いつでも残酷で嘲笑的だという訳じゃぁないけれども、良い良心が狂ったときにはいつでも、残酷になり嘲笑的にも簡単になってしまいます。その時、この心を牛耳る秘密の爆弾が爆発するのですね。恥の汚名と良心の呵責です。

 

 

 

 

 

 ここが精神分析の洞察の最大のものです。良心がいかに一人の人を、人類を苦しめてきたのか? それをハッキリ見据えたのが精神分析です。

 子どもの前に登場する一番厄介な存在は「正しいこと」を押し付ける大人。善意の暴力以上ですね。「正しいこと」をその人はしているつもりでしょうが、子どもにとって、現実には、子どもにとって、最低・最悪のことをやっちゃってる。その自覚もない場合が普通です。

 クワバラ・クワバラ…。

 

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自由からの逃走

2014-11-20 06:32:26 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 個人は機械の部品よろしく、消耗品になっちゃっている、といいますね。

 p79の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 現代資本主義が求める人間は、大過なく、多くの人とやっていく人です。その人は、もっともっと、と欲しがります。また、その人の好みは既製品ですし、他人に影響されやすく、他人から期待されやすいものですね。資本主義が必要な人間は、自由と独立を感じる人であって、権威や原理原則や良心に従わない人です。しかし、同時に、命令に従順で、期待されていることを喜んで行い、もめ事を起こさずに社会システムの適応する人です。強制されずとも指導に従い、指導者不在でも指示に従い、目的がなくとも、みんなと同じ方向を見ている人です。ただし、その人は良いことをしますし、活動的ですし、よく働くし、前向きです。

 

 

 

 

 

 資本主義の好都合の人間は、矛盾に満ちてます。自由だけれども、その自由を権威に服従するために使っちゃうのですから。

 

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