鴨武彦教授のお写真を、インターネット上に探したけれども、見つからないので、先生の岩波新書『国際政治をどう見るか』を代わりに出しました。
鴨さんの、国際政治の教科書を引っ張り出したら、鴨さんの訃報記事が出てきたんですね。あまりにも、タイミングが良すぎなもんだから、早速、その記事を載せました。
早稲田大学政治経済学部政治学科で、藤原保信教授と共に「二大巨頭」と言われたその一翼が、鴨武彦教授。お二人とも50代の若さで亡くなりましたね。「若死にするのは善人だけ」を、お二人の死に思いました。
鴨武彦教授は、私と同じ国立市民。何度か国立で偶然お目にかかりあいさつしたことがあります。一度はバス停で。私は当時、知的障害の子どもの施設の職員でしたから、その子どもの登校に付き添っていました。鴨先生も、同じ学校に通う、まだ小学二年生?の娘さんを連れておいででしたね。政治学科の出身だとお話すると、労を労うような言葉をかけてくださいました。心根のお優しい先生。
その先生の授業で忘れられないことがいくつかありますね。その一つが、第2次世界大戦の時に、なぜ日本人は「戦争反対」を口に出して言えなかったのか?という件。先生は、相当数の、当時、力ある人にインタヴューして分かったこととして、教えてくださいました。鴨先生は、腰から剣を抜く格好をされて、「これが怖かったからです」とおっしゃいました。特に2・26事件以降、その傾向が強くなったと言います。「戦争反対」を唱えると、身の危険を感じたんですね。
今はどうかしら?
「戦争反対」を唱えると、身の危険を感じる、というほどではない。でもね、隣町の国分寺祭りでは、「戦争反対」を唱える、ご当地の「九条の会」が、毎年参加していたその行事に、行政から「参加できない」と言われちゃう時代になっちゃってる。鴨先生が教えて下さったようにね、私どもは「身の危険を感じる」ことなく「戦争反対」をハッキリ主張できるように、したいですね。