エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

言葉のイメージ

2014-11-29 13:45:55 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「言葉のイメージ」という言葉を知っていますでしょうか?

 

 この「言葉のイメージ」と対になるものが「眼に見えるイメージ」、人形、フィギアのようなモノですね。この2つは似ているようで、全く違うものなんですね。「言葉のイメージ」は生きているのに対して、人形、フィギアのような「眼に見えるイメージ」は死んでいるからです。生きていることの特色は、躍動的であること、人とやり取りがあることですが、死んでいると、固定的、人とのやり取りがありません。

 絵本の読み聞かせの時に働くのが、この「言葉のイメージ」ですね。松井直さんから教えていただきました。2002年に、NHKの「人間講座」でこれを知った時の感激が忘れられません。それから私はすっかり絵本ファンです。「言葉のイメージ」は心の中の言葉になるからですね。

 心の中の言葉で大事なのは、私が繰り返し申し上げているように、≪見通し・イメージ≫と≪話し言葉・声≫と≪出来事≫の結びつき。この3つが結び付くためには、誠実にこの3つを結びつける遊びを「共にする」、共にしてくれる、1人の大人の遊び相手が必要です。その絶好の機会が、私が絵本セラピーで日ごろやってもらっている、「≪約束≫に基づく絵本の読み聞かせ」セラピーなんですね。このセラピーは子どもの心の発達において強力な力があるもので、成功事例しかないんですね。こんなセラピーは寡聞にして他に私は知りません。

 人の心は、≪見通し・イメージ≫と≪話し言葉・声≫と≪出来事≫が結び付くとき、発達するんですね。そのためのイメージが、この「言葉のイメージ」なんです。そして、これは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教はじめ、まともな宗教が何千年も昔から、ずっと大事にしてきた知恵なんですね。

 私どもも、いまこそ、この「言葉のイメージ」という知恵に学ぶときですよね。

 

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技術 << 目的

2014-11-29 10:53:01 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 「人を大事にする=上手にセックスする」という短絡は、どこから生まれたのでしょうかね?

 p82の15行目途中から。

 

 

 

 

 

正しいセックスをすれば、幸せになれるし、人も大事にできる、という考えの裏に潜んだ考えは、人を大事にすることは、性的快楽の産物だということです。あるいはまた、もし2人がお互いに性的に満足させるようになれば、2人はお互いに相手を大事にすることになる、ということです。正しい技術を用いることが、技術的な問題の解決になるだけではなくて、あらゆる人間の課題の解決にもなると考えるのが、この時代の一般的な幻想にピッタリしますよね。この裏にある前提の真逆こそが真実だということを忘れちゃってるんですね。

 

 

 

 

 

 技術は役立ちます。でもそれは単なる技術ですべてを解決できるわけじゃぁない。大事なことを忘れてるんですね。技術はあくまで、限定的な目的を果たすためにある。大事なのはね、その目的でしょ。「何のために生まれて、何をして生きるのか?」

 いつでもそこに立ち返って、今使っている技術が、その目的にどれくらい叶い、どれくらい不十分なのか、を何時でも点検しておく必要がありますよね。

 

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道徳的な感じと、騙されやすい青年

2014-11-29 06:46:44 | アイデンティティの根源

 

 青年期は危うい。それは、権力から利用されて、戦争に持って行かれかねない。

 p226の2行目から。

 

 

 

 

 

 道徳的な感じは、そのとどのつまりと捻じ曲げにおいて、人間の「進化」に本来ついて回るものですね。たほう、価値が力を回復する感じには、人間の「革命」が付いて回ります。そのご当人の「革命」には、預言者のような理想主義がついて回ることもあれば、破壊的な熱狂主義がついて回ることもあります。青年期の人は、理想に対して敏感ですから、ウソの千年大国の約束に騙されやすいものですし、新しくて、しかも、傲慢なほど排他的なやり方で、自分を確かにしようとする約束に取り込まれやすいんですね。

 

 

 

 

 青年の理想の危うさについて、フロムが的確に指摘してくれています。フロムもユダヤ人ですから、ヒットラーが示したウソの千年大国に騙された若者が、いかに残忍な形で、ケダモノのように、自分の仲間を殺したか、をよくよく知っていたはずです。その残忍を働いたのは、「理想」に燃えた若者たちでした。

 私どもは、青年がそのような愚行に走らないようにするために、何ができるというのでしょうか?

 

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