ルターは悪魔が大好きだった、なんてね。
Young Man Luther 『青年ルター』のp187のブランクのすぐ上、引用部から。
ホイジンガが言っています。
「いまや、実在論が通用するのは、信頼(信仰)の領域くらい。実在論は、哲学的な態度と言うよりも、時代全体に対する心理的な態度と言った方がよいでしょう。こういった広い意味で、実在論は、中世の文明にあっては、固有のものであると考えられるかもしれませんし、思想や想像力を表現するあらゆるものにおいて支配的であると考えられるかもしれません。」
中世においては、実在論が通用するのは、信頼(信頼)の領域くらい。こう申し上げれば、それは極々一部の領域に限定されている、と言う響きがあります。でも、実際には、当時の文明に固有で、しかも、思想や想像力を表現したものすべてに支配的だった、と言います。音楽、美術、演劇、詩、文学…。あらゆる芸術は思想と想像力の産物ですから、中世では実在論、実在の神が支配していたわけですね。中世は、実在論が支配的でした。
こう考えると、信頼の中身がいつの時代もとても大事ですね。「神が死んだ」今の時代、信頼の中身が薄っぺらでしょ。私どもの思想や想像力も、薄っぺらになりがちだ、ということでしょう。
よくよく顧みる必要がありそうですね。