いのちの不思議を、心ふるわせながら感じていたい。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p94の下から4行目途中から。
もしも、8月の朝、浜辺で、渡りのイソシギが来ているのを見て、何故なんだろう?と何となく感じていることが分かる問いを、一人の子どもがしてくれたなら、その子が単に、イソシギとチドリの区別を知っているという事実よりも、はるかに嬉しゅうございます。
いのちの不思議は、子どもと分かち合いたいものですね。
いのちの不思議を、心ふるわせながら感じていたい。
The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p94の下から4行目途中から。
もしも、8月の朝、浜辺で、渡りのイソシギが来ているのを見て、何故なんだろう?と何となく感じていることが分かる問いを、一人の子どもがしてくれたなら、その子が単に、イソシギとチドリの区別を知っているという事実よりも、はるかに嬉しゅうございます。
いのちの不思議は、子どもと分かち合いたいものですね。
人が何を信頼し、あるいは、何も信頼しないのか、ということは小さなことと思われがちです。しかし、それは、全人格、全人生、世の中全体に深い影響力を持つことなんですね。
Young Man Luther 『青年ルター』のp187の第3パラグラフから。ホイジンガの引用の続き。
実在論はおしなべて、中世の意味においては、擬人化をもたらしました。すべての実在は、イデアに帰しましたから、人はこのイデアがイキイキしているところを見たいと思いますし、イデアがイキイキするのは、イデアを擬人化することによって可能です。このようにして、寓話ができました。
寓話と言ったら、子供だまし、と思われる向きもおありでしょう。ところがそれが大間違い。キリスト教は、寓話なしには、力を持ちえなかったのではないのか? と私は考えています。
寓話化と偶像化は、音の響きは近いのですが、これ真逆のものなんですね。寓話化は言葉のイメージの力を物語るものです。偶像化は、言葉のイメージを蔑ろにして、眼に見えるイメージに頼ろうとします。
寓話は、言葉のイメージの力そのものです。
「上州かるた」から
内村は教員としては、失敗者でした。しかし、失敗者は「辺境者」でもありますね。マックス・ウェーバーの辺境変革説は、教育の世界でも当てはまるようですね。
内村と教育を語る場合、「教育基本法」について触れないわけにはまいりません。なぜなら、「教育基本法」を作った主要メンバーは、内村の弟子だからですね。教育基本法制定の言いだしっぺ、当時の文部大臣、田中耕太郎は、内村の弟子です。また、教育基本法を作った教育刷新委員会の主要メンバーも、内村の弟子です。初代委員長の安倍能成(当時、第一高等学校校長)、初代副委員長の南原繁(当時、東大総長)もしかり、その他の主要メンバー、天野貞祐、森戸辰夫もしかり。
戦後の文部大臣は三人連続、内村の弟子でした。まずは前田多門。神谷美恵子さんのお父さんでしたね。次が、「教育基本法」制定の言いだしっぺこと、田中耕太郎。さらに次が、前出の天野貞祐。
東大総長も、そう。最初は、リベラルと言われた政治学者、南原繁。南原先生の弟子が、丸山眞男教授や宮田光雄教授です。次が、矢内原忠雄です。わが恩師、西村秀夫先生も、矢内原忠雄の弟子です。南原繁は、内村と新渡戸稲造に共に学んだ人で、「白雨会」メンバー。それに対して、矢内原忠雄は、やはり内村と新渡戸に学んだ人で、「柏会」メンバーです。よこみちですが、内村と新渡戸に共に学んだ人たちに優れた人が多い、と指摘するのは、ICU教授だった武田清子さんですね(たとえば、武田清子 1995 『峻烈なる洞察と寛容』教文館, p28)。
こう振り返ってみる時、戦後の民主主義教育の基礎を作りだした人は、その大事な部分が、内村鑑三の弟子たちだったと言っても過言ではないでしょう。
内村の弟子が、創成期の戦後民主主義教育の中心にいたのは確かでしょう。これは、内村自身が、何よりも「信頼」を重んじ、その「信頼」に基づく「個の尊重」、「個の確立」を大事にしていたことと、無関係ではありません。
私どもも、いまの教育を考える時、「信頼」と「個の尊重」に立ち返る必要がある、と私は考えます。
つまり、子どもを信頼し、「あなたは特別です」と繰り返しメッセージすることが、何にもまして大事だ、ということです。