エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

過去を宝の山にしましょう! 改訂版

2015-08-05 18:21:27 | アイデンティティの根源

 

 どこまでも大事なのは、≪いまここ≫です。

 Young Man Luther 『青年ルター』p216の最後の目途中から。

 

 

 

 

 

 ルターは、スピリチュアルな神の顕現として≪いまここ≫を強調しましたし、人間はいつでも初めに戻る必要があることを強調しました。それは、信頼の足場であるばかりではなくて、心の状態を占める時空の性質に近いものがあります。それを精神分析は、「自我の強さ」と呼びました。自我にとって、過去は曲げられない過程ですし、今にも起りそうなこととして経験することです。いやむしろ、過去は≪いまここ≫を自分でコントロールすることに一部なんですね。それは、過去を≪いまここ≫に合わせるために、忘れたり、偽ったり、理想化したりすることを都合よく混ぜ合わせることですが、知らない内に幻想に陥ったり、わざとウソをやったりするまでにはなりません。

 

 

 

 

 

 ここも本当のことを教えてくれることです。≪いまここ≫と始めが大事なことですね。過去は、未解決のままでも、ほっとけると思われがちなのですが、それは、知らないうちに、過去にある否定的感情が、≪いまここ≫に侵入していることに気付かないからです。ですから、≪いまここ≫を十分に自分のコントロールしたいと願うのなら、過去の否定的感情に向き合って、解決しておく必要があります。そして、繰り返し赤ちゃんの時代の根源的信頼感を、いつの年代になっても、豊かにしていくことが、新たな年相応の課題を解決する上で、非常に力があるものなんですね。

 ですから、過去をよくよく見つめ、否定的に思えた過去の、その向こう側にある真実を見つけてくださいね。その真実から、自分なりの素敵な物語に組み上げ、根源的信頼感を繰り返し豊かにすることが、≪いまここ≫を豊かにすることに繋がります。

 

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「良い人生だった」と言える人生

2015-08-05 06:55:15 | エリクソンの発達臨床心理

 

 いろんなものを失いながら、まとまりを付けることには、それなりのエネルギーが必要ですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p65の9行目から。

 

 

 

 

 

ここで求められるのが、integrality 「二律背反があっても、まとまりを付ける力」と単純に呼ぶことができます。つまり、物事をまとめておくことです。実際高齢期には、過去を振り返って物語をつくることがあることを認めなくてはなりません。それは、心密かに隠れている絶望に対する防衛として、偽物になる場合もあります。(もちろん、この防衛は、表の対角線上を支配する耳触りのいい性質から出来ている場合もあります)しかし、あらゆるところで、人間の潜在能力が、条件さえよければ、前の舞台で経験したことが実を結ぶようにまとまりを付けるようになることを考慮しなくてはなりません。また、私どもの表は、縦方向に一番上まで、徐々にintegrity 「二律背反があっても、まとまりを付ける力」が成熟することを考慮しています。

 

 

 

 

 

 物語を作る時に、過去の失敗や、みじめだった自分も、「無駄ではなかった」と感じられるように物語の中に組み込むことが大事です。それが、integrity 「二律背反があっても、まとまりを付ける力」です。 

 そのとき、「いろいろあったけど、良い人生だったなぁ」と人は思えるものですよね。そしたら、死も怖くなくなるはずですね。

 あなたも、そんなintegrity 「二律背反があっても、まとまりを付ける力」を見つけてくださいね。

 

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ユングが教えてくれる、本当の自分とは?

2015-08-05 05:35:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
丸山眞男教授の「無責任の体系」と、ハンナ・アーレントの「無人支配」
  儀式化はドッコイ生きる “陽気で楽しい”があるから2013-08-04 01:49:...
 

 今晩は、ユング(Jung, C.G.)の第2夜です。

 ユングは、本当の自分はどうやって育つと教えてくれるのか?

 昨日、教師の役割としてユングが薦めているのは、教師自身が自分の人格を掛けて、本物の心理教育をすることだ、と申し上げましたね。それはつまり、子どもが親に対して無意識に抱いている一体感から解放して差し上げて、本当の自分に上手に気付けるようにして差し上げることだ、ということだとも、申しましたよね。

 今晩は、その「本当の自分」がどうやって育つと、ユングが考えていたのか?を、皆さんと一緒に考えてみたいと思ったんですね。これは、昨日と同様、ユング著作集の第17巻(The collected Works of C.G.Jung, Vol.17)にある 「本当の自分の発達」The development of personality という文書を読んで、考えてみたい、ということなんです。なぜなら、エリクソンの著作以外で、本当の自分が育つことを、これほどクリアーに描いている文書はない、と私は常々考えているからです。

 ユングは別の文書で、親が子どもにもたらす心理的影響力は猛烈で、時には破壊的に作用する、と言ってんですね。それが、無意識裡に子どもが親との一体感を感じていることです。先の文書でユングは、「この一体感は、無意識であるがゆえに、猛烈な慣性(a tremedous inertia)があって、あらゆるスピリチュアルな発達を妨げる最悪のものとなります」と言ってんですね。ですから、その一体感から子どもを解放することが、子どもと関わる大人にとっても何よりも大事なことになる訳ですね。

 ユングは「本当の自分」を育てようっていう人は、それほど多くないと言います。なぜなら、「本当の自分」を育てることは、シキタリに反することだからです。逆に申し上げると、シキタリに従っている限り、「本当の自分」を育てることは、出来ないんですね。

 それじゃあ、どうすれば「本当の自分」は育つんでしょうか? 誰が「本当の自分」を育てるように、人を誘うのか? それについてユングは「それは普通、vocation 『天の声』と呼ばれます」と言ってます。さらには「『本当の自分』はいつでも、『天の声』に従うことですし、神様を信頼するように、『天の声』を信頼することです」とも言うんですね。ですから、いつでも、組織の意向、強者の都合を考えて、外ばっかり見ている人、付和雷同の日本人にはできない話ですね。なんせ、「天の声」は「心の声」だからです。なんか、『青年ルター』の話に似てきましたね。しかも、その「天の声」について、「普通の人は、そんなの『単なる気分でしょ』と言います」と言うんですね。ユングは続けます。「『天の声』は神の掟みたいに、そこから逃げることなどできない話です。多くの人が自分勝手なことをしてみじめな結末を迎えるという事実は、『天の声』に従ってる人とは何の関係もありません。その人は自分自身の掟に従わ『なくてはなりません』。まるでそれは、悪魔のささやきみたいに、『新しい、素晴らしい道に行け』と囁くんですね」。

 ですから、内省して、自分の内なる声「天の声」に忠実に従うことが何よりも大事になりますね。自分の内なる声に従うものだけが、「本当の自分」になることができます。ユングはそれを次のように言います。

「この内なる声の力に、意識的に同意できる者だけが、本当の自分になれますよ」(p.308)と。

 あなたも、自分の内なる声を見つけて、『本当の自分』になってくださいね。

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