エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自分の心の時空を生きることが オートノミー自律

2015-08-24 07:59:24 | アイデンティティの根源

 

 仕事は、自分が全うになる一本道にも、終身刑にもなります。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.220のブランクの後から。

 

 

 

 

 

 私どもは、自我、衝動、良心にある3つの時空すべてを生きています。どの時空を強調しても、私どもは違った人生を生きることになります。私どもは時に衝動に駆られることもあれば、良心の呵責を覚えることもあるでしょ。でもね、いつでも、自我の時空を優勢にして何とか生きようとするものです。「正しいこと」、武器、お金といった、全体主義的な力で、特定の世界観をしつこく押し付けられることがあっても、自我の時空を優勢にして生きようとします。

 

 

 

 

 

 それだけ、自分が大事です。あるいは、自己コントロールすることが大事です。自己コントロールとは、この場合、他人をコントロールすることとは対極的ですね。自分自身を自分でコントロールすることで、人からコントロールされることでもなければ、ましてや、人をコントロールすることでは全くない。自分で自分を律すること、自分の中に自分の法則を持つことです。それが、オートノミー=自分の“オート”の法則“ノミー<ノモス” なんですね。まぜなら、それぞれの人は、自分の心に、かならず、オリエンテーション、心の向きがあるからですよね。

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大人でしたら、子どもに喜びをプレゼントするのが当たり前だ!

2015-08-24 06:56:56 | エリクソンの発達臨床心理

 

  rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」の猛烈さが分かりますよね。無意識の暴力が働くからなんですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p70の第2パラグラフから。

 

 

 

 私どもの約束に従って、それぞれの人生の舞台に、その舞台ならではの礼拝を当てはめてみますね。大人でしたら、子どもの目に、ヌミノースの圧倒的な悦びを示す模範にならなくちゃあね。それから、悪いことは「ダメ」と言ってやり、理想的な価値を伝えてやらなくっちゃあね。ですから、大人になったら、礼拝が司れるように日々礼拝してなくちゃあいけませんし、礼拝を実際に司ってもいます。いろんな儀式に与ることが昔から必要でしたし、慣習でした。この儀式は、儀式に参加する人たちを価値ある存在と認めてくれますし、礼拝を司る役割を強めてもくれます。大人の礼拝のすべての要素は、generative 次世代を育むことと呼べるかもしれませんね。generative 次世代を育むことには、親らしいことをする礼拝、教える礼拝、物事を作り出す礼拝、癒しの礼拝などの補助的な礼拝もあります。

 

 

 

 

 

 「『正しいこと』を教える」のが好きな人は注視していただきたいですね。「教える」こと“教える礼拝”はあくまで大人の役割としては、 “補助的“ なものだということですね。大人の役割 “大人の礼拝” の中心は、子どもの目から見て、ヌミノース 圧倒的な悦びの模範になることですね。大人がヌミノース、天にも昇る、圧倒的な悦びを生きてないと、そりゃ無理でしょ。ですから、日頃から、そのような、圧倒的な悦び、それは結構静かな悦びでもあるんですが、そんな悦びの日々でありたいものですね。

 

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「眼の前の地球は1つという感覚」と「新しい人」

2015-08-24 01:41:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 先日、宇宙飛行士の野口総一さんが語る、宇宙開発のヴィジョンが素晴らしいものでした。それを引き出した、キャスターの小野文恵アナウンサーも素晴らしい。野口さんは、宇宙から見た地球の写真を掲げながら、「私は、こういう絵を子どもたちにずっと見せて生きたい」と語るんですね。小野キャスターは、「それを見ることでしか得られない感情がある?」と問います。小野さんさすがです。それに応えて、野口総一さんは語ります。「まさに、眼の前の地球は1つだという感覚が持ってもらえると思います」。素晴らしいなぁ、と感じました。それは≪超越≫と≪真の平和≫に繋がる話だからです(8月28日(土曜日)「週刊 ニュース深読み どこまで進む? 日本の宇宙開発」)。この番組は、NHKの人たち自身が「平和」について、ハッキリとは語れない苦しい事情がある中で、たぶん小野さん自身が語りたいであろうことを、宇宙飛行士の野口総一さんに、代わりに語ってもらった感じが、如実に伝わってくる感じでしたからね。

 この「眼の前の地球は1つという感覚」は、「人間皆兄弟」と同じですよね。これはキリスト教で言う「自分を大事にする程度に、あなたの身近な人を大事にするようになっています」、あるいは、禅でいう「自他不二」に通じますよね。自他を分け隔てせずに、共に大事にしようという発想です。この発想で真実に生きていけば、たとえ紆余曲折があろうとも、仲良くやっていけますでしょ。平和と平安が生まれます。

 この逆は、ご承知のように、「人類を上下2つに分けるウソ」ですよね。これに、、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」が加わると、あらゆる意味の戦争でしょ。それも、諍いや戦争がなかなかやめられないように、無意識の生け贄になっている状態ですからね。そういう人は、特に日本人は、「内輪と外」、「ウチとソト」を知らず知らずのうちに分けていますでしょ。それはすでに、「人類を上下二つに分けるウソ」に、やられている状態なんですね。心の中に、「万里の長城」、「ベルリンの壁」、「イスラエルのパレスチナ居住区の壁」がありますよね。それは無意識にできている心の壁です。ですから、意識してその心の壁を取り除き続けることが必要ですね。そのためには、やっぱり、信頼が必要ですね。

聖書には、

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 」(新約聖書「エフェソの信徒への手紙」第2章14節~15節)

とありますもんね。

 「眼のまえの地球は1つのいう感覚」を豊かに持つ「新しい人」になりたいものですね。

 

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