エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

1日分の命

2015-11-22 15:01:44 | アイデンティティの根源

 

 
「自分にうそのない充実した時間を過ごされてください」
  誰の言葉だと思いますか? 写真がすでに出ていますから、分かりますよね。これは、高倉健さんの遺作となった「あなたへ」のロケ地、小倉北区の映画館「小倉昭和館」の館...
 

 

 

 ルターは、キルケゴールよりも、一枚上でしたね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.241のブランクから。

 

 

 

 

 

  2

 

 1527年1月(息子のハンスは、まだ乳呑児です)、ルターは、一番長く続くことになる不安と鬱が始まりました。それは、ルターが、自分のキリストに対する信頼を確かなものだと言ってくれ、と繰り返し友達に頼んだ時期でした。そう言ってもらえば、ルターは自分でもキリストを信頼していると思えたからでした。不安の一番ハッキリした訳は、元を糺せば、ルター自身が火を点けた民衆蜂起に直面して、内なる自分の声がしたことでした。すなわち、「お前だけが、全てを知ってるのか、そうじゃないだろう。もしも、お前の間違いで、人々が過ちを犯し、地獄の罰を犯しているのなら、どうなるのか?」という声でした。あるいは、ルターはその声を、半ばユーモラスに言い換えようとしました。「いつでも、聖霊様は、自らの巣の卵として、『あなた達』を巣喰ってくださる」と。

 

 

 

 

 

 繰り返しになりますが、ルターは信頼を劇的に回復させました。しかし、民衆蜂起を目の当たりのして、自分のキリストへの信頼を疑うようになった、とエリクソンは言います。ルターの信頼の回復は、「サイコー(最高)」だったはずなのに、その信頼も長続きしなかったらしい。面白いですね。信頼は一度しっかりしたものを感じれば、一生盤石だ、ということにならないことが面白いですね。信頼も、生もの、命があるからですね。いつでも、命を戴き、新鮮にしてないと、信頼も地に落ちることになります。

 私どもは、毎朝 1日分の命を戴き、1日分の信頼を、隣の人と分かち合う人生を、楽しく陽気に生きたいものですね。

 

 

 

peace !!

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大人のレーゾン・デートル:倫理的な感じ

2015-11-22 12:41:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
無思考の≪悪の凡庸さ≫と≪最深欲求≫
  自由はある意味厄介です。自らの頭で考え、違う意見の人と調整し、その違い中でアクションしなくちゃぁ、なりませんでしょ。ですから、現代のように巨大なシステムの下で...
 

 今どきのニッポンは、子どもに見せてはいけない「悪の見本市」みたい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p93の、第2パラグラフの7行目途中から。

 

 

 

 

 

しかし、それ以上に、「成人期」(「弱い立場の人に、『正しいこと』を押し付ける」幼稚な道徳主義のやり過ぎや、「他に『正しいことがあること』を認めようとしない、偏狭な」青年期の教条主義のやり過ぎ、を乗り越える限りにおいては)に、「倫理的な感じ」を持ちうる、ということを割り当てて良いでしょう。この「倫理的な感じ」は、この舞台で次世代を育む、いろんな関わりとも響き合い、歴史的現実も織り込み済みの、ある程度は熟慮を重ねた、長期的な展望もなくてはなりませんね。

 

 

 

 

 

 大人になったら、こういう「倫理的な感じ」を身に着けていたいですね。 逆にこの「倫理的な感じ」を身に着けてないのは、子どもでしょ。今のニッポンは、この「倫理的な感じ」を身に着けている人は、残念ながら、絶滅危惧種なのかもしれません。こどもだらけ、しかも幼稚園も卒園してない人だらけ…。

 でもね、その少数の者が、これからの日本の道をハッキリと示して生くことでしょう。

 

 

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空 Tsimtsum

2015-11-22 03:38:43 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
無思考の≪悪の凡庸さ≫と≪最深欲求≫
  自由はある意味厄介です。自らの頭で考え、違う意見の人と調整し、その違い中でアクションしなくちゃぁ、なりませんでしょ。ですから、現代のように巨大なシステムの下で...
 

 今朝はもう一本

 

 

 

 

 セラピストが、場を譲って初めて、クライアントがその場で≪本当の自分≫が出せる。

 

 

 ジェームズ・ヒルマン(Insearch: Psychology and Religion )とヘンリー・ナウエン(Wounded Healer)、が教えてくれる、ユダヤの知恵 Tsimtsum  

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#発達トラウマ障害DTDのカウンセリングはこれだぁ! その8 安心出来る絆

2015-11-22 03:17:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「自分にうそのない充実した時間を過ごされてください」
  誰の言葉だと思いますか? 写真がすでに出ていますから、分かりますよね。これは、高倉健さんの遺作となった「あなたへ」のロケ地、小倉北区の映画館「小倉昭和館」の館...
 

 良いセラピストは、実は、セラピスト自身の傷を通して、クライアントと一緒に≪本当の自分≫を探してくれる人です。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.215の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 安心することが出来た人を、1人も思い出せない人もいますよ。そういう人にとっては、馬や犬と関わることが、人と関わることよりも、ずっと安心、ということかもしれませんね。この方針は、今では、たくさんのセラピーで活かされて、大きな効果を上げてますよ。たとえば、刑務所でのセラピー、入院治療のセラピー、退役軍人のセラピーにも活かされて、著効を上げています。ジェニファーは、ヴァン・デ・コーク・センターの最初の卒業生の一人で、やんちゃで、無口な、14才として、セラピーにやってきた人ですが、修了式で言ったことは、「馬の世話をする責任を任されたことが、自分にとって、とっても大事な段階だった」ということです。ジェニファーが自分の馬と絆を深めるほどに、安心して、センターのスタッフとも関わり出し、いろんな授業に集中するようになり、大検を取り、大学に入れましたね。

 

 

 

 

 

 安心が、発達トラウマ障害DTDの子どもに、どれだけ大事かが分かりますね。これはジェニファーに限ったことではありません。発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものセラピーの始めは、必ず安心感を提供することですね。安心感を感じる絆です。

 

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求めない

2015-11-22 00:09:50 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
憲法侮蔑解散
  2012年(平成24年)、一昨年の暮れ、野田佳彦首相(当時)とわが安倍晋三自民党総裁の党首討論の最中に、野田首相が「解散」を公にしました。いくつもの裁判所で、...
 

ジョン・カボット・ジンさん。『大きな不幸を生き切ること』から。今晩から、求めないこと。

 

 

 

 

5 求めない

 

 私どもがしているほとんどすべてのことは、目的があって、やってることですし、その目的は、何かを手に入れることだったり、どこかに行くことだったりします。しかし、瞑想する時には、この目的がある態度が邪魔になります。それは、瞑想は、人がやる他の活動とも、違うものだからです。瞑想はたくさんの作業と、ある種のエネルギを必要としますけれども、究極的には、瞑想とは、何にもしないことなんです。瞑想は、≪本当の自分≫になること以外の目的がありません。この皮肉な言葉が、自分の姿を示してくれますよね。こんなことを言ったら、二律背反に聞こえますし、キチガイじみてるでしょ。でもね、この二律背反とキチガイじみてることから、自分自身を別の視点から眺める方法が分かるかもしれません。それは、≪偽りの自分≫であることを少しずつ止めて、≪本当の自分≫にだんだんとなることです。これは、求めない態度を意識して養うことですね。

 

 

 

 

 

 エーリッヒ・フロムが、To have or to be ? という本を書いてますね。瞑想は、to haveを止めて、to beに徹することを学ぶことですね。beingに徹することです。ちょっと難しい響きがありますでしょ。でもね、頭でっかちになっちゃダメよダメダメ。beingって、生きていること、生かされていることを喜ぶことだからです。それは、

 これは、小さなことを見つめてもできますね。小さな虫や鉱物を見つめてもできます。あるいは、大きなもの、空を見上げたり、星座を見たり、望遠鏡で星雲を眺めても良い。そのときに、その美しさでも、精緻な姿でも良い、そういうことに気付いて、驚き、あるいは、畏れるところから、生かされていることにある、圧倒的な、しかし、静かな悦びを味わうことが出来ますよね。まど・みちおさんみたいに、ね!

 

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