神様を日々冒涜している人の、つづき。朝っぱらから、達の悪い、国会前のウソとゴマカシに付き合わなくなったことは、幸いです。達が悪いのは、国会内だけにして欲しい。
Young Man Luther 『青年ルター』p.249の、第3パラグラフ から。
これはコインの裏側です。私は、ひとりの青年が退歩することについて、図式的に示しましたけれども、それは、大人の方が優越していることを示したものではありません。それを示すためには、もう一冊の本を書かなくちゃいけませんからね。そのような本がもし書けましたら、それは、人生の巡り合わせに関する別次元の言葉で書かなくちゃいけませんでしょうね。つまり、新しい環境、一部は自分自身が創り出したものも含まれる、その新しい環境と、差し迫った死という、生きている者ならだれでも感じる悲劇によって、影を帯びる、心の中の新しい最前線を克服する成熟した大人です。価値をもたらす指導者の悲劇とは、その価値の指導者は、ありとあらゆる真実を利用する、ということです。それは、自分自身の真実さを、その指導者の苦しい苦しい立場に、心痛める誰か他の人に、つぶさに調べて貰わなくちゃいけないことにはなるでしょうね。
価値を創造する指導者は、真実でなければなりません。しかし、価値の創造は、1人でできるものではないことも確かです。したがって、価値を本気で創造しようとするものは、多くの人の、特に多くの若者の真実を「利用」せざるを得ません。それは、本意ではないのかもしれません。
本気で価値を創造しようとするものは、他者の真実を利用しなくてはならない。ですから、本気でその価値創造に参加しようといる者は、真実を利用されても悦べるだけの覚悟が必要だ、というのが、今の私の覚悟です。