エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

依存性が高いお薬(ベンゾディアゼピン系の薬)も危険です

2016-01-17 15:44:24 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 ヴァン・デ・コーク教授は、マインドフルネスとヨガをやるようになってからは、薬は、眠剤以外は、あんまり使わないらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.227の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 トラウマを負わされたクライアントは、鎮静剤、クロノピン、ヴァリウム、ハナックス、アティヴァンと言った、ベンゾディアゼピン系の薬、を使いがちです。鎮静剤は、多くの点で、アルコールと同じ働きをします。というのも、鎮静剤を飲めば、気分が穏やかになりますし、あれこれと心配しなくて済みますから(カジノを経営する者らは、ベンゾディアゼピン系の薬を使っている客を喜びます。というのも、その客は存しても、起らないし、ギャンブルを続けてくれるからです)。しかも、アルコールみたいに、ベンゾディアゼピン系の薬は、私の大好きな人たちに対して、傷つけるようなことを言わないようにしてくれます。多くの開業医がこの薬を不承不承処方するのは、この薬には高い依存性があるからですし、トラウマを解消する邪魔をするからです。ベンゾディアゼピン系の薬を長期に使って、使うのを止めたクライアントは、ひきこもりやすくなって、そのクライアントは、PRSDの症状を悪化させ、増やすことになります。

 

 

 

 

 

 薬と言っても、依存性のあるものは、やっぱり危険ですね。ベンゾディアゼピン系の薬の薬も、一見良さそうですが、依存性が強いのですから、危険すぎます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8番目の舞台も、実感が大事

2016-01-17 12:37:36 | エリクソンの発達臨床心理

 


人を大事にすることで学ぶべきものはない、との誤解

2015-01-17 11:30:43 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 人を大事にする時でさえ、交換して得することしか考えない。愚か者。

 p4の第2パラグラフ。

  人を大事にすることなど学ぶことはない、などという前提に繋がる第三の過ちは、恋に「落ちる」最初の経験と、人を大事にするという、不変の状態、あるいは、人を大事にする事に「踏みとどまる」状態を混同している、ということですね。もし2人が見知らぬ同士で、私どもみんなと同じように、2人を隔てる壁を不意に壊して、親しみと一体感を感じるのならば、この一体になる瞬間が、人生の中で、最も気分爽快で、最もドキドキする体験の一つになるでしょう。その瞬間は、バラバラで、孤立し、人から大事にされたことがない人たちにとっては、なおさら素晴らしく、なおさら奇跡的です。不意に親しくなるという奇跡が生まれるのは、性的な魅力とセックスのクライマックスが結び付くか、端緒となるか、そのどちらかの場合が多いのです。しかしながら、この種の、人を大事にすることは、その性質からして、長続きはしません。この2人はお互い馴染んできますし、2人の親しみは次第に奇跡的な性質をなくしてきますが、終いには、2人は、敵意、失望、退屈さを感じて、最初のドキドキした感なくしていることに気づきません。お互いに「夢中」だと感じることが、2人がお互いに相手を大事にしている強さを証明するものと思われがちですが、お互いに「夢中」であることは、2人が今まで述べた一人ぼっちである、その程度を証するだけなんですね。


 

 エリクソンのライフサイクルの地図には、8番目の舞台を、ユッタリ見ていきましょう。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.4の、最初から。

 

 

 

 

 

 8番目の舞台

 ホワイトハウスの会議に間に合うように、generativity ジェネラティヴィティ《次世代の人や事を、自分が損しても、育むこと》を受け入れるようになってからも、子育て、旅行や科研費、他の目的のために忙しくしていました。かなりのエネルギーを失ってしまったけれども、老年期が始まったと感じるまで、頑張りましたよ。たぶん、私どもは2人とも、時には坂道を下っていたんでしょうけれども、自分らが下り坂に差し掛かっていることを深刻に捉えていませんでしたし、友人たちも、それで良しとしてくれてました。

 

 

 

 

 実感がないと、分からなかったのでしょう。8番目の舞台に、エリクソン夫妻が実際に差し掛かってから、この8番目は実感にあるものになって行ったのでしょうね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デッカイ東電のフクシマ事故とちっちゃいバス会社の碓氷峠バス事故

2016-01-17 11:29:22 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 


自分自身に気付く方法 +どこでも通用するやり取りの技術力

2015-01-17 07:44:01 | アイデンティティの根源

 

 黄金律はやり取りする際の鉄則。

 そろそろこの章も、終わりが近くなりましたね。

 p243の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 しかしながら、臨床の知のある人たちは、私がここで当然と見なしている次元に対する視点を見失ってはなりません。古典的な黄金律を読むと、最高善を目指して意識的に努力したくなりますし、とんがった意識でお互いに傷つけあうことのない様にしたくなるものですが、私どもはよくよく考えれば、倫理的な強さという土台が無意識にあることが分かると同時に、破壊的な激しい怒りという兵器庫も無意識にあることが分かります。前世紀において、動物の祖先からも、経済史からも、人間の内なる「敵たち」からも、無意識的な動機が出てくることを、人類は痛いほど人は気づきましたよね。しかしまた、前世紀においては、(あらゆる観点で)建設的に自己分析する方法もできました。こういったことは、自分を精密検査にかける方向へみんなが向かう傾向の、実用的な西洋版だと私は見なしていますが、その傾向は、アジアでは、このように高度なものにすでに達していました。自分自身に気付く方法を、新しい方法でも古い方法でも、どこででも通用する、微に入れ細にうがった、具体的なやり取りの技術力と結び合わせることが、次の世代の課題となるでしょう。

 


 一昨日、15日の未明に軽井沢の手前の碓氷(うすい)峠で、格安バスの転落事故があり、14人もの大学生らが殺されたといいます。乗員も2人なくなっています。下の新聞記事は、その事故を伝えるものです。このバスを運航していた、ちっちゃなバス会社「イーエスピーESP」やツアーを企画した旅行会社「キースツアー」は、さっそく悪評が書きたてられていることでしょう。パス会社は、おそらくつぶれることになります。零細のバス会社が事故を起こすと、潰れてしまう場合が少なくないからです。

 長野県警や国交省も、それぞれの法令に従って、バス会社に捜査や監査に入ったことも、新聞は伝えています。

 東京電力の福島原発事故に伴って殺された人は、1,000人とも、4,300人とも言われています。政府も東京電力も、その数を公表しないので、本当のところは分かりません。真実を知らせると、まずいことがあるからだと思われます。(避難)難民は、今も10万人以上です。その他に、もう100,000の自主避難者がいるのではないかと言われています(http://fukushimabadge.blog.fc2.com/blog-entry-683.html)。しかし、勝俣勝久 東京電力元社長はじめ、1人の逮捕者も出ていません。会社そのものも、事故のまともな賠償をしたら、倒産するはずですが、現在も平気の平左?で存続しています。

 この事故2つを比較してみて、あなたはどう感じ、何を考えますでしょうか?

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安でたまらない現代人には、新しい祈りが必要です!

2016-01-17 04:32:26 | アイデンティティの根源

 


20年前の1月17日 改訂版

2015-01-17 14:21:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 20年前の1月17日。読者の皆さんは、どこで何をしていましたか? まだ生まれていない方もあるかもわかりません。

 私は、その前日、米沢興譲教会の田中信生先生の講演を、浦和の労働会館で初めて伺い、その後、その講演を一緒に聴いた友人と一緒に過ごして、朝帰りをした朝の事でした。空いた高速を飛ばして帰って、寝て起きてみたら、テレビで無残な神戸の姿が目に飛び込んできました。私はその日は年休を取っていたので、週末から4連休でした。

 一月ほどしてから、職場で順番に神戸市三宮近くに派遣され、1週間ほど震災支援をしてきました。近隣の独居老人を回って、声を掛ける、というボランティアでした。宿舎は賀川記念館の3階だか4階だかを借りて、シュラフで寝ました。余震がまだあり、電気は何とかついたものの、水もまだ来ていませんでしたね。トイレは、汲んだ水で流しました。東京から賀川記念館まで行く途中でも三宮も、10階建てくらいのマンションが倒れていたり、2階がつぶれて一階になり、一階の駐車スペースの車が、ペシャンコになっていたり。一端ことが起きる時は、立派に見えた街もこんなになっちゃうんだ、と感じました。でも、線路近くの商店街は、食べ物を売っていたりしましたね。また、近くの学校の校庭に、自衛隊がテントの銭湯を設置して、近隣住民に提供していました。その風呂をたくモーターの音が今も耳の奥に残っている感じです。


 今晩は、ルターからブログを始めましょうね。とっても大事なことをエリクソンが語ってくれているからです。

 エリクソンは、ルターとフロイトには、共通点があるといいます。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.252の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターとフロイトの2人は、自分が悩んでいることのど真ん中を内省することによって、人間が自由でいられる範囲を広げようとしたんですね。そして、この人間の自由を広げていくと、人は、その人ならではの生き方が増々できますし、正気でいることも、人類に対する奉仕も、増々できるようになるわけです。ルターは、儲けのためには客を騙しても平気な儲け主義が教会と商業に登場した時、人から褒められる「正しいこと」という思想と行動に対抗して≪祈りの人≫を置いたんですね。結局は、ルターが信頼によって自分を確かにしたことは、儲け主義に吸収されてしまいましたし、その結果、信頼によって儲け主義を正当化することになってしまいました。フロイトは、果てしない産業化が始まった時に、精神分析という、内省する方法をもう1つ編出しました。その精神分析によって、フロイトは、人間が機械のように社会に適応すれば、適応はしているけれども、本当は不安でたまらないロボットになってますよ、と警告したのは明らかです。フロイトの業績は、フロイトが警告したことを一層進めるために使われているのは、また、ルターの時と同様、明らかです。

 

 

 

 

 

  実に見事な記述です。もしかしたら、今日のところをエリクソンは言いたくて、このYoung Man Luther 『青年ルター』を書いたのではないのかな?と思うほどです。

 人から褒められる「正しいこと」をしても、一時安心があるだけで、社会に適応しているように見えるだけの、不安で不安でたまらない現代人を、エリクソンはよくよく知ってたんですね「正しいこと」を強調する人ほど、不安が高い。そして、そういう人ほど、イジメをやる張本人です。イジメることで、自分と同じ不安を相手にも味わせたい、と無意識裡に思ってるからです。

 ルターは、それに対して祈りを、フロイトは、精神分析という内省、もう1つの祈りを対抗させたわけですね。エリクソンも、「正しいこと」を強調する、不安でたまらない現代人に対して、内省する≪祈りの人≫が力を発揮するライフサイクルの地図を提案している点で、ルターやフロイトと同じです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする