エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ラッキーだったエリクソン夫妻

2016-01-18 07:17:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
20年前の1月17日 改訂版
  20年前の1月17日。読者の皆さんは、どこで何をしていましたか? まだ生まれていない方もあるかもわかりません。 私は、その前日、米沢興譲教会の田中信生先生...
 

 エリクソンのライフサイクルの地図の、8番目の舞台は、エリクソン夫妻でさえ、始めは実感のないものでした。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.4の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 エリックがThe lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』を書いた時、エリックは、まだ、90才になっていませんでした。80才になって、自分達が老境にあることが分かり出しましたけれども、90が近づくまで、その厳しさには本当は向かい合って来なかった、って思っています。私どもの暮らしは、解決できない困難に悩むことはそれまでありませんでした。90才になると、私どもは2人と、見知らぬ地平に目覚めていました。年を取ったら、こうなりますよ、という、どんな予告に出逢ったとしても、以前であれば、一時の、可笑しなこととして、受け流して来たのかもしれませんけれども、次第に解決することが出来ない、しかも、あまり面白くもない、いろんな現実に向かい合うことになり出しましたよね。

 

 

 

 

 

 90になるまで、高齢期の困難に直面せずに済んだエリクソン夫妻は、ラッキーでしたね。

 

 

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「戦争になっちまった」と言わないために

2016-01-18 02:57:34 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
自分自身に気付く方法 +どこでも通用するやり取りの技術力
  黄金律はやり取りする際の鉄則。 そろそろこの章も、終わりが近くなりましたね。 p243の第2パラグラフ。   ...
 

 戦争法案が成立して、いつ戦争に「なっても」おかしくない時代になりました。でも、これは言い方が間違いですね。

 上の写真は、先日の朝日新聞の「折々の言葉」です。太平洋戦争を起こした責任をだれも取らずに、「一億総懺悔」などと言って、ごまかした時代がありましたでしょ。東条英機でさえ、戦争責任を取らずに、「空気」のせいにしたんですからね。徹底的な無責任体制が、日本の組織にありましたし、いまでもあります。

 日本市民の人権を踏みにじり、貧困に政策誘導しているアベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが「一億総活躍」などといって、そのひどい現状を、ごまかしている時代でしょ。戦争もゴマカシで始めるために、「緊急事態条項」を憲法に入れて、ナチスが独裁を始めたときみたいに、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは独裁をやり始めている訳ですね。

 戦争は「なる」ものではなく、「始める」ものですから、戦争は始めない、阻止する、という積極的な政治参加が必要です。そのために、私どもがしておいた方が良いこと。

 1)「戦争反対」と繰り返し言うこと、書くこと。

 2)参院製でも、衆院選でも、「カネ」に騙されないで、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちには投票せず、野党に投票すること。

 3)近くの弱い立場の人の話を善く聴き、その願いが実現するように、具体的な協力すること

 4)自分が穏やかな気持ちでいるために、息を大事にすること、息を意識すること。

 

 

 5)空、星、風、雲、花、虫、土、草、雨、をじっと見つめること

 

     明朝は雪かな?

 

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人格的真理が反発を喰らう時

2016-01-18 02:20:22 | アイデンティティの根源

 

 

 
20年前の1月17日 改訂版
  20年前の1月17日。読者の皆さんは、どこで何をしていましたか? まだ生まれていない方もあるかもわかりません。 私は、その前日、米沢興譲教会の田中信生先生...
 

 エリクソンは、ルターとフロイトと、≪祈りの人≫として、深い共通点があります。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.252の第2パラグラフま、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

ルター博士とフロイト博士は2人とも、それぞれの時代に呼ばれた偉人ですけれども、昔から反発を喰らい、今でも反発を喰らうのは、敵から、ばかりではなくて、友達からも、でした。その友達らは、2人の考えには同意しておきながら、キルケゴールが心理的・道徳的な努力という、あの奮闘、と呼んだものを持ち合わせてはいませんでした。

 

 

 

 

 キルケゴールがここで言う「奮闘」とはどういうことか、ちょっと調べましたけれども、ちょっと調べたくらいでは分かるものではありませんでした。エリクソンの文書を読んで分かることは、ルターとフロイトの友達らは、それぞれの考えに賛成とは口で言ってても、彼らの考え方に従って生きる、という奮闘はしなかった、ということでしょう。すなわち、≪言ってること≫と≪やってること≫が分裂している人たちからは、たとえ友達でも、反発を喰らう2人だった、ということと考えて、間違いないでしょう。

 ルターとフロイトが言った考えは、頭で分かればそれでお仕舞いな科学的真理ではなく、人格的真理です。生きてみなければ、分からないのが人格的真理なんですね。ですから、実際にその人格的真理を生きてみる、という「奮闘」をしない者には、人格的真理は、反発されるのが世の常ですね。

 

 

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酒と薬には、飲まれてはなりません

2016-01-18 01:27:05 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
人を大事にすることで学ぶべきものはない、との誤解
   人を大事にする時でさえ、交換して得することしか考えない。愚か者。 p4の第2パラグラフ。   &...
 

 

 トラウマを負わされたクライアントは、鎮静剤、トランキライザーを使いがちなようですが、依存性が高いので使わない方が良いみたい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.227の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私は、求められれば、私のクライアントに、弱いベンゾディアゼピン系の薬を出す場合もあります。けれども、毎日飲むためには十分なほどは出しません。私のクライアントは、この貴重な量の薬をいつ使い切るのかを決めなくちゃぁ、いけません。それで、私は、「この薬、使った時にどんな様子だったのか、日記に書いてね」って、頼みます。日記を付けてもらうことから、どんなことが、トラウマ反応の引き金になるのかを話すきっかけが出来るからなんですね。

 

 

 

 

 

 薬の処方に、ヴァン・デ・コーク教授がいかに気を配っているかが分かりますよね。使うにしても、弱い薬を、少量、しかも、使い道を限定する、さらには、どんな時に使って、実際どうだったのかを、日記に付けてもらって、患者とヴァン・デ・コーク教授がきちんと話し合う機会を作る…。薬に頼り切ったどこかの国の精神科医療とは、雲泥の差がありますよね。

 酒にも、薬にも、飲まれてはならないでしょうね。

 

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