エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

教育は、誰のもの?  改訂版

2016-01-26 12:54:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
あらゆる真実の源 改訂版
  子どもの世界はピチピチ、キラキラしているのに、大人になる前に、失われてしまいやすい。何故なんでしょうか? レイチェル・カーソンの『The Sense of...
 

 教育は、宝にもなるものですし、下の写真のトリカブトよろしく、猛毒にもなります。

 それは、その教育が誰のものか、誰のために行われているのか? と関係するのではないでしょうか。たとえば「お国のため」の教育は、猛毒になる典型です。何十万の若者が、3~4年の間に、次から次へと殺されるために、「お国のため」と言う教育は行われた歴史を、私どもは持ってますからね。

 じゃぁ、教育は、親のためのものなんでしょうか? 今の日本では、例えば、普通学校に行くのか? それとも支援学校に行くかは、市町村の教育委員会が決めるものではありません。義務教育においては、保護者が希望する学校に入れなければならないとされます。でも、親の希望通りの「良い子」を演じている子どもは、得てして深い心の病にかかってますよね。

 じゃぁ、教育は子どものためのものなの? 私はそういいたい気分なんですね。でもね、教育哲学者の太田堯先生が、「教育はパブリックなものです」と言いますでしょ。教育は子どものもの、と断定するのは、言い過ぎなのかもしれませんね。

 このパブリックな教育について、何度かに分けて、考えていきたいと思います。

 ところで、パブリックな教育は、今日のルターのエリクソン(?)が、「(人と人が関わり合うことが、世代の繋がりにも一定のパターンを持ち込むことになるのは、)世代と世代の繋がりを繰り返し新たなパターンには変えていくためですし、人々が関わり合うことが、いろんな世代によって、新たな力を得るためなんです」と言ったことと、関係する、と私は考えます。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい関係、新しい在り方が生まれる時 改訂版

2016-01-26 08:03:00 | アイデンティティの根源

 

 

 
一生懸命、一途な道
  日本人はconformism 同調主義。みんなと同じでなければなりません。日本人ほど制服が好きな人種も少ないでしょう。制服を卒業した後でさえ、同調主義、多数派...
 

 

 

 世代の新陳代謝のお話。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、1行目途中から。

 

 

 

 

 

新しく生まれたひとりびとりは、伝統と伝統と思しきものが準備した生き方をするようになります。同時に、そのひとりびとりは、その生き方を壊していくのも、伝統の性質の故です。伝統がひとりびとりを「型にはめる」といいますし、それぞれの生きる道を「切り開く」とも言いますからね。でもね、人々が関わり合っていくプロセスは、単にひとりびとりを飼い馴らすために、新たに生まれて来たものを型にはめるのではありません。人々が関わり合うのは、いろんな世代にも一定のパターンをもたらすものですが、(人と人が関わり合うことが、世代の繋がりにも一定のパターンを持ち込むことになるのは、)世代と世代の繋がりを、繰り返し新たなパターンには変えていくためですし、人々が関わり合うことが、いろんな世代によって、新たな力を得るためなんです

 

 

 

 

 

 人々が関わることに、力を貰うのは、新しい関係、新しい在り方が生まれるからですし、逆に、人々が関わり合うことに力を貰うからこそ、新しい関係、新しい在り方が生まれる訳です。

 世代のあたらな関わりが、新しい関係、新しい在り方を生み出すのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言うは易く行うは難し

2016-01-26 07:13:06 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
思いがけない発見
  コペルニクス的転換を行った、ダーウィン、アインシュタイン、フロイト。しかし、3人とも、当初はそんなつまりはなかったらしい。 p177下から3行目途中から。...
 

 人生の巡り合わせの8番目の舞台の生きる力、人間力は「叡智」と「まとめる力」ですが、こう言われたら、高尚な響きがあるために、歯が浮く感じがする場合があります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.5の、下から3行目から。

 

 

 

 

 

 高齢者と、「叡智」と「まとめる力」と言う言葉の関係が、ひどく歪んだものになってしまうのは、こういった「叡智」と「まとめる力」の性質が、地に足のついた人間力であると分からないからです。こういった「叡智」と「まとめる力」の生きる力は、高尚すぎるし、定義しがたいものになりがちです。私どもは、こういった人間力をやり取りのある関係に当てはめなくてはなりません。私どもは、こういった言葉の本当の意味を書き留めなくてはなりません。たとえば、たしかに、叡智は、百科事典に載っている意味は適切ではありませんし、事実も常とう句も盛り過ぎです。大学辞書(ランダムハウス)も、同様に芳しいものではありません。「賢い性質、ないしは、賢い状態。真実なこと正しいことを知っていて、しかも、正しい判断力があること。学問的な知識、ないしは、学問的な学び。賢い言い回しや教え」ですからね。

 

 

 

 

 

こう言う定義を並べられても、「それじゃあ、今日から、「叡智」と「まとめる力」のある関わりをしてください」と言われても、出来ませんよね。知ることは大事ですけれども、知ったからって、それがその通り出来る訳じゃぁ、ないでしょ。

 言うは易く行うは難し。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争トラウマ? 発達トラウマ?

2016-01-26 01:31:58 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
あらゆる真実の源 改訂版
  子どもの世界はピチピチ、キラキラしているのに、大人になる前に、失われてしまいやすい。何故なんでしょうか? レイチェル・カーソンの『The Sense of...
 

 ビルは、ヴァン・デ・コーク教授の治療の時には、安心感がありました。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.229の、下から5行目から。

 

 

 

 

 

 

 私はその後ビルとの付き合いもなかったんですね。ビルが、初めて会ってから18年後に私に電話を掛けてくるまではそうでした。ビルは昔と全く同じ症状、すなわち、フラッシュバック、ひどい悪夢、がずっと続いて、狂いそうだって感じてたんですね。それは、赤ちゃんが生まれてすぐ後のことでした。その息子が18才になって、ビルは息子を徴兵登録しに来たんです。それはビルがベトナムに送られたときの部隊でした。その間、私はトラウマ・ストレス治療がずっと詳しく分かったので、ビルと私は、ビルがフラッシュバックの最中に甦ってくる、ベトナムで見て、聞いて、嗅いだ特定の記憶の治療をしましたけれども、その詳細については、私たち2人が最初にあった時には怖くて思い出せないものでしたね。私どもは、これらの記憶は、EMDRの治療法で、いまは折り合いのつくものすることが出来ましたから、その記憶は、昔にあったことの物語になっていますし、もはや、ベトナムの地獄にすぐに連れ戻されることもなくなりました。ビルはもう少し治療が進んだ後では、自分の子どもの頃のことも治療したいと思うようになったんですね。すなわち、ビルが暴力にされされて育てられたこと、ベトナム派遣軍に入った時に統合失調症の弟を残していくことに対して、自分を責める気持ちがあったこと、父親が突然暴力をふるうことに対して、無防備だったことも、治療したいと思うように、ビルはなったんですね。

 

 

 

 

 

 ビルは、ベトナム戦争での体験が、トラウマになっていました。フラッシュバックとひどい悪夢があったのですから、典型的なPTSDの症状です。しかし、そのビルは、子どもの頃から父親の暴力にされされていたんですね。゛ビルは、戦争トラウマなのか? 発達トラウマなのか? それが問題だぁ!

 シェークスピアのパクリでした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする