エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人間の暮らしに欠かせないものって、何かしらね?

2016-01-28 08:49:57 | アイデンティティの根源

 

 

 
子どもの心に応える大人
  大人が不思議を感じる心を持ち続けるためには、自覚的な心構えが必要です。 p55の4行目途中から。   &nb...
 

 

 伝統の中で確かな自分我形成され、なおかつ、確かな自分が新たな伝統を創り出す。確かな自分は、伝統の再生には欠かせないもののようです。ですから、伝統とは菓子を後生大事にするのとは正反対みたいですね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.254の、13行目途中から。

 

 

 

 

 

ここに最高に自我がまとまる、ということがあります。この最高に自我がまとまることこそ、ひとりびとりが願ってやまないことですね。また、ここに、社会的な新陳代謝があります。この社会の新陳代謝を、社会も文化も求めます。ひとりびとりの切なる願いと社会的な努力が相互依存していることを描きだす時、人間の暮らしに欠くことが出来ないものを何某か描くことになります。

 

 

 

 

 

 かくして、ひとりびとりが願うことと、社会が願うことが重なり合い、影響しあうという訳ですね。

 ところで、ここでエリクソンが言う、人間の暮らしに欠かせないものとはいったい何のことだと思いますか?

 

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叡智はよく見ることから

2016-01-28 07:49:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
価値の創造
  偉人は、時代の見方を先取りします。 p178第2パラグラフ。     時には、偉大な組織は、価...
 

 

 人生の巡り合わせの8番目の舞台の生きる力、人間力は「叡智」は、「見て知る」ことから生まれると言います。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.6の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 vedaという言葉は、私どもを大昔に誘いますね。インドのサンスクリット文書の神話や不思議なメッセージは、Veda ベーダ と名付けられています。このベーダは、ヴィジョンを理解することを永遠に求めることと叡智を1つにしたんですね。シュリーの神々が最初にVeda、すなわち、叡智を見出したんですね。すなわち、光を照らすことは、見ることによって、伝えられるものです。

 

 

 

 

 

 叡智は、見ることに始まる、というのが、洋の東西を問わない叡智そのものです。

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霊的な教育?   改訂版

2016-01-28 02:52:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
自分の人生の主人公であるためには?
  人生の主人公。さだまさしさんの優しい歌声で聴く「主人公」https://www.youtube.com/watch?v=rSlafdy2Lzgのなかに、「...
 

 

 今月[1月2016年]の「100分de名著」は、内村鑑三の『代表的日本人』ですね。昨日[1.27,2016]は、その3回目、中江藤樹と日蓮が取り上げられました。日蓮は、ご存じの通り、日蓮宗の開祖、「南無妙法蓮華経」と唱える宗派ですね。中江藤樹の方は、日蓮程知られていないかもしれませんが、江戸時代初期の「村の教師」です。

 昨日のブログ教育=パーソナル+パブリックで、「自分を確かにする生き方をプレゼントすることが教育です」と申し上げました。でも、教育はエデュカティオ、引き出すものであって、与えるものではありませんでしたね。プレゼントするという言葉には、「与える」と言うニュアンスもありますから、誤解を生む表現だったかもしれません。しかし、プレゼントには、「眼の前に見える形にする」と言う意味もあることをお忘れなく。私の言うプレゼントは、むしろ、この後者の意味なんですね。

 さて、中江藤樹に戻りましょう。中江藤樹は、江戸初期の「村の教師」らしい。その中江藤樹は、教育には、肉体的、知的、霊的な特性に従って、教えることが必要だ、と説いているそうです。ここで課題になるのが、霊的な教育でしょう。「100分de名著」の解説者の若松英輔さんは、「人間は、肉体と心だけではなくて、霊によって超越 ― 神や天ともつながれた存在であり、学校はその三つの触れ合う場所でなくてはならない、と内村か考えました」(テキストのp.70)と言います。

 今のニッポンの教育で決定的に欠けているのが、霊的な教育でしょう。内村によれば、それは明治期以降の教育で、欠けていたものだ、という訳ですね。今のニッポンの教育は、身体と知識ばかりで、超越は教えない訳ですね。

 私も身体は元気で、知識はそこそこある人に感じるのは、平板な感じです。≪超越≫も感じませんし、≪深み≫も感じません。

 では、霊的な教育とはどういうものでしょうか? また、考えをご一緒に深めてまいりましょう。

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牧師になったビルさんの困難

2016-01-28 01:17:27 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもの心に応える大人
  大人が不思議を感じる心を持ち続けるためには、自覚的な心構えが必要です。 p55の4行目途中から。   &nb...
 

 ビルは、ベトナム戦争帰還兵ですから、戦争トラウマがありました。でも、それ以前に、発達トラウマもありました。だからこそ、トラウマに苦しむ人たちの支援者になっていきまする

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.230の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ビルの3度目の治療が始まって5年、ビルは53才で、重たい神経疾患になった時に、身体のいたるところが時々マヒするようになって、「これからは、車いす生活になるかもね」と感じ出したんですね。ビルの問題は、多発性硬化症によるものではないのかな、と私は思いましたけれども、ビルの担当の神経科医たちは、特定の病気を見つけることが出来ませんでしたから、「治療はできません」と言ってしました。ビルは私に「妻の献身がありがたい」と言いました。ビルの奥さんは、車いす用にランプを勝手口に作ってくれていました。

 

 

 

 

 

 ビルは、ずいぶんと大変な状況になっちゃってたんですね。牧師をして、トラウマで苦しむ人の支援活動をしながら、自分は車いす生活になりそうになってたんですからね。奥さんも、手際よく、車いす生活が出来るように、家の改造までしてたんですしね。

 

 

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