エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害の子どものセラピーは、個人や組織を超えるもの

2016-05-06 08:06:59 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
子どもの日に 子どもにとって「楽しい」時間を是非
  子どもの日です。 子どもの日に、子ども1人1人が、いただいた命を感謝するようになってもらいたい、とお祈りします。 子どもにして差し上げること。私はある...
 

 

 ギリシア悲劇こそ、人が人間性を回復するための教科書になりました。あの夫婦にも読ませた方が良いのかなぁ?

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.335から。

 

 

 

 

 

 テンボを合わせること

 

 集団行動や音楽が、私どもの暮らしにとって大きな文脈をもたらてくれたり、個人の運命を超えた意味をもたらしてくれたりします。宗教のいろんな儀式には、普遍的にリズムのある動きがあります。それは、エルサレムの「嘆きの壁」でのお祈りから、カトリックのおミサの詠唱と身振り、仏教の礼拝での位置を変えながらのお念仏、敬虔なムスリムがする1日5回のお祈りまで、いろいろあります。

 

 

 

 

 ブルース・ペリー教授が、自分が損をしても、他を助ける利他主義の傾向を取り上げ、ヴァン・デ・コーク教授が様々な宗教のお祈りを取り上げる。面白いですね。

 やっぱり、セラピーは、その語源からして、礼拝、ご奉仕、ということですね。

 セラピーは、神様、仏さまのためになされるもの、個人や組織を超える存在のためになされるもの、だからして、はじめて、眼の前の人の為になるもの

 

 

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アメリカでも、発達トラウマ障害研究で、遅れているところがある…

2016-05-06 04:20:19 | 聖書の言葉から

 

 

 
「無理矢理に入る」やり方+「すべてを飲み込む」やり方
  「ガマン」と「出す」と言うお尻の働きが、心の働きにも、対人関係の働きにもなるでしょ。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ...
 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の35目。

 今晩は、妥当性と信頼性の章の7日目。

 

 

 

 

 生体マーカー : 気質は、発達トラウマ障害との関係に特化して調査された試しはありませんが、虐待やネグレクト、家族の暴力に晒されてきた子ども達(あるいは、大人たち)を研究することによって、発達トラウマ障害と一致する症状や発達トラウマ障害の人が出来ないこと(すなわち、気持ちを抑制していること、不安になりやすいこと、人を避けること)が発展しやすい気質上の危険因子がハッキリしてきましたね。

 

 症状が似ていること : 発達トラウマ障害の症状は、社会生物学的に自己コントロールが出来ない障害の特色と共通点があります。その共通点は、その発生源の部面は違う(すなわち、感情面、行動面、対人関係面、ストレス反応面)のに、似ています。

 

 

 

 

 このように、アメリカでも、研究が遅れている側面があるみたいですね。

 

 

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競争ばかりじゃぁ、サモシイ人間しか生まれませんよ!

2016-05-06 03:39:52 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
子どもの日に 子どもにとって「楽しい」時間を是非
  子どもの日です。 子どもの日に、子ども1人1人が、いただいた命を感謝するようになってもらいたい、とお祈りします。 子どもにして差し上げること。私はある...
 

 私どもが、弱肉強食ではなく、共生と協力を目指すのでしたら、、他者を信頼する≪信頼を感じ取る良識≫と、自己中な輩を見つけ出し、罰を与えることが必要です。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.242の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 残念なことに、他者に対する公平と善意という根源的な感じは、金持ちはますます金持ちになるけれども、後は地球規模の競争のお気に召すままに見捨てられている社会では、脅威にされされちゃってますもんね。ますます、メディアも、学校も、経済的な成功と、運動でも勉強でも、他者に勝つことの大事さを強調するようになってますでしょ。ますます競争に向かう雰囲気の中で、中産階級の親達も、富裕層の親達も、自分の子ども達に「なんでもいいから、自分の『強み』を見つけなさい」と極端に走りがちになっているように見えます。いつでも競争を強調することは、協力し、共感し、自分が損をしても、他を助ける訓練を失くしてしまいます。協力し、共感し、自分が損をしても、他を助ける訓練こそが、人間のメンタルヘルスと社会連帯に欠かせないものなのにね。

 

 

 

 

 

 

 競争ばかりしていると、勉強や運動はできても、サモシイ人間になってしまいます。「自己責任」などと言って、弱い立場の人を見殺しにしがちになってしまうでしょ。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達がやってることは、美辞麗句を並べても、ケダモノのような人間と社会を創り出しつつあります。

 近くでも、自分の目先の利己的な利益のためには、弱い立場の人を、恫喝しても、平気に平左の、あの夫婦みたいな無知無恥がいつも居るものですよね。でも、そんな人にも、仏教でいえば、「仏性」があり、キリスト教で言えば、「神の子」であり、ヒューマニズムであれば、「人間」ですから、キチンと罰を味わってもらってから、生まれ変わってもらいましょうね。

 

 

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インターメッツォ : 自由って、素晴らしい!

2016-05-06 02:27:35 | 聖書の言葉から

 

 

 
本音の信頼 喜びの福音 改訂版
  ルターは毎日説教をしました。毎日ブログを更新する人もいます。 Young Man Luther 『青年ルター』p198の第2パラグラフから。 ...
 

 今晩は、エリザベス・キューブラー・ロスの言葉に学びます(The Wheel of Life. 『命の巡り合わせ』から)。20,000人の死に行く人を臨床研究して、生と死を見つめた人。ぶっ飛んでいる感じありますが、同じユング愛好家として、私は親しみを感じています。キューブラー・ロスは、同じ精神科医として一番影響を受けたのは、Jung, C.G. ユングと明記しています。

 

 

 

 

 

 神様が私どもに下さった一番素敵なものは、自由意思です。自由意思を下すったおかげで、一番貴い可能性に開かれていることを自分で選べる、という責任を担うことができますものね。

 

 

 

 

 

 西村秀夫先生も、「聖書を学ぶ会」の学びで、繰り返し、自由、ないしは、自由意思の大事さを繰り返していたことを思い出しますね。

 でも、その自由意思をどのように使うのかが、常に問題になります。

 加藤周一さんは、西村先生と、高校(一高テニス部)、大学(東大)の同級生ですが、同じようなことを言っていましたね。日本では、第二次世界大戦の時に、レジスタンスはおろか、不服従さえ、極めて少数派であったのに比べて、ヨーロッパでは、かなり組織的にレジスタンスを行われていたことを振り返って、そのように仰っていたのを、インタヴュウで聞いたことがあります。「連帯が保障されるのは、究極的には、自由意思の問題です。どちらにも動ける訳、同志との連帯を取るか、裏切りを取るか、…個人の自由な決断が連帯を支える全てで、それ以外にはない訳です」と。

 でも、これは、何もレジスタンスの限ったことではありませんね。

 「お客様のため」を選択するのも、「お客を騙しても、組織の利益(上司のご機嫌取り)」を選択するのも、自由意思の問題で、それ以外ではない訳でしょ。

 私どもは、キューブラー・ロスが教えて下さるように、自由意思を一番貴い選択をするために使いたいものですね。

 

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