インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 大文字の希望今どきのニッポンが、愛着障害の子どもだらけな訳 空を一緒に見上げましょう 子どもが知りたいと思う道はどうやったら、整えることができるの......
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今宵は,Identity Youth and Crisis 「神様と一心同体 青年のころ と 神様と一心同体のままでいられるのかどうかの分かれ道」から,p.220,第2パラグラフの,下から8行目途中から。昨夜の続き。
神様はいつでも「いいよ,いいよ」と言って下さるから,神様は,モーセが「私を呼ぶのはどなたでしょうか?」と尋ねた時に,「私は『私が今ここで生きている』というものだ」と応えて,モーセに対して,その不動の力強さを教えるようにと,神の名によって命じたのです。「『私が今ここに生きている』は,私から人類全てに贈るプレゼントです」と。そして,真実に,賢慮と許しに満ちた時空では,1人の神様を共に仰ぎ見る中で共に不動にされた者達だけが,共に苦しみを分かち合い,共に相手を大切にする中で,互恵的に相手を,真実な「あなた」達と認め合うことができますよ。ヒンズー教では,相手の2つの眼を見て挨拶して,両手は持ち上げて,掌をピツタリと合わせて,2人が「あなたの中には神様がおいでだと判りますよ」と言い合うことが,事の本質,母親の真心を示していますよね。しかし,その時,自分も人も大切にする者は,一目で,自分が大切にしている相手の顔の中に,「いいよ,いいよ」と言って下さる,あの神様の徹頭徹尾の肯定があることに気が付きますよね。他方,神様の命が回転し,まるでワルツを踊るみたいに,立場を自由に交換しながら,自分の人生そのものが,同様に,神様から「いいよ,いいよ」と徹頭徹尾肯定してもらっていることを当てにしていることを,「なるほど本当だね」と実感しているんですよね。しかしながら,神様の顔に自分の顔を振り返った,この少数の者たちは,兄弟姉妹が互恵的な大切にしあう気持ち以外の大切にする気持ちを,捨て去らなくてはなりません。それは,(訳注:『新約聖書』の3番目のイエス・キリスト物語「ルカによる福音書」第14章33節にあるように)「もしも,あなたたちが歓んで,…(訳注:一切の持ち物を)捨てないならば,…(訳注:私の弟子にはなれない)」と聖書に書いてある通りなんですよ。
エリクソンのライフサイクル心理学が,キリスト教と無関係か,関係ないかの如く記している,日本の心理学の教科書,解説書が,いかに間違いに満ちているかが判りますでしょ。エリクソンの関することも,日本の学会で常識になっているほとんどが,誤解に基づいた大間違いです。
アイデンティティとは,河合隼雄先生は理解しておられたみたいに(でも,それを明言しないように,工夫されておられましたが),自分と神様が一心同体になり,不動にされることです。それは,1人でできることではなくて,2人が,賢慮と許しに満ちた時空,神様がおわす時空で,ワルツを踊るみたいに,一心同体になることで,その2人が神様とも一心同体になる,というプロセスを必ず踏むのです。ここがポイントです。
新しく出た中島由恵さんの翻訳も,エリクソンが施した封印が解けずに,そのだいぶ手前の(ある意味,素直な)直訳的な誤訳になっています。それは,エリクソンが極めて優れた臨床家であると同時に,極めて優れた,美的な思想家であることを見落としているからなのです。ですから,エリクソンの思想家的で,美的な用語法が,田中由恵さんも皆目わからないようですね。