マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
夜
ひとりぼっち
でいると
昔
のように
寂しくて,
胸が痛い
ような
気がする
ときがあるのです。
マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。
夜
ひとりぼっち
でいると
昔
のように
寂しくて,
胸が痛い
ような
気がする
ときがあるのです。
聖書の言葉 : #1人豊か #ソリチュード,#魂が消えたら発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間7......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.104の,第3パラグラフから。その前も一緒に。
自分自身と繋がると,
人とも繋がる
この章を,自分の身体を失う代価を示す究極的な研究によって,閉めたいと思います。ルース・ラニウスと彼女の研究グルーブは,アイドリング中の脳画像を撮って,日常生活からもう一つ別の問いに焦点を当てました。顔と顔を合わせて会った時に,日常的にトラウマを負わされた人には何が起きているんでしょうか?
私のところにやってくる患者さんは,アイコンタクトができない人が多いです。すぐに分かることは,その患者さんたちは,私と視線を合わせることが難しいと感じて困っていることでした。患者さんたち自己嫌悪を感じているし,馬鹿にされるのには耐えられないとも感じていることも,すぐに判ります。このように自分を恥じる強い気持ちが,異常な脳の活動の表れだなんて,一度も考えたこともありませんでした。ルース・ラニウスが,もう一回私に教えてくれたことは,心と脳は,切っても切れない,ということでした。心と脳のいずれか一方で起きたことは,他方でも,その跡が残ります。
ルースは高価な機械を購入して,スキャナーの中で横になっている人にヴィデオの人物を見てもらいます(この場合,そのマンガは,優しいリチャード・ギアさんに似ていました)。そのマンガの人物は,真正面から近づくか(その人がじかに見えます),あるいは,斜め45度から,そらし目をしながら,近づくか,します。この機械のおかげで,まっすぐにアイコンタクトすることが,脳の活動にどのような影響を及ぼすのかを,そらし目が脳の活動にどのように影響するのかと,比較することができました。
エリクソンは顔と名前が大切といいますでしょ。顔を目で見るもの,名前は耳で聞くものですね。目に見える顔で一番大切なのが,目です。目には様々な気持ちが宿りますでしょ。目は口程に物を言う,とも言いますものね。
気持ちがわかる,わからない,は脳の活動にも影響しますでしょ。
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Toys and Reasons Ritualization in Everyday Life 『おもちゃ と 賢慮 日常生活の中で礼拝すること』 p.90,1行目途中から。6訂版。
聖書の神様が徹頭徹尾「とても善い」と言ってくださるおかげで,私どもは,「離れていても絆がある」し,「私が生きている実感にチクリと痛みと寂しさを感じても2人とも不動とされる」ことが確実にできますから,「私が生きている」ことを実感することを,あの硬い岩盤(不動の最深の心の基層)にすることも,確実にできます。「私が生きている」ことを実感することを,あの硬い岩盤(不動の最深の心の基層)にすることが,繰り返し新鮮にされるのは,「私が生きている」ことを実感することを,あの硬い岩盤(不動の最深の心の基層)にする全ての人が,「互いに大切にしあいなさい」というキリストが,心から優しく,心から自由に,一方的に始めて下さった新しい約束を自らも実行することによってです。「私が生きている」ことを実感することを,あの硬い岩盤(不動の最深の心の基層)にする全ての人は,「私が生きている」という名の全ての人を包み込んでくださる1人の聖書の神様を心から信頼する信頼を分かち合う中で一体になっています。
キリスト教とエリクソンの日常生活を礼拝にする心理学は,この英文で5行の部分が,神髄です。
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今宵は,The life cycle completed, extended version 『神様の命が一回一巡することができました 拡大版』 p.85の,最後の行から。
そこで,私が私なりに心に思うのは,実際(神様の命が一巡して,創造が生じる光の時空)では,いろんな衝動や気持ちに負けずに,役に立つ防衛策を作り上げる中で,自我が一つになることは,≪私≫が生きている実感と私どもが呼んでいるものを回復して,不動で根源的な生き方にする,ということです。今からお話しする予定です。すなわち,この≪私≫が生きている実感が不動で根源的な生き方にしますと,舞台の中心で主人公に抜擢され,自分から関係を始めていいと実感がしますし,真っ当でハッキリと目覚めている実感があります。そうすると,場末でホッタカラシにされ,自分から人に関われず,バラバラにされて,靄が掛かって,どうしてこうなるのかわからずにいた気持ちも吹き飛びますからね。
マインドフルネスやヨガの意識と同じです。
どうしてこうなるの?とわからずにいた気持ちも吹き飛びます。
≪私≫が生きている実感を不動で根源的な生き方にできますと,そうなるんですが,しかし,そればかりではありません。
まことに不思議なことなんですが,≪私≫が生きている実感は,気配,スピリット,気,雰囲気,…,ですから,動物でも,言葉のない赤ちゃんでも,本音を隠している大人でも,顔を見たこともない人でも,…,その相手の気持ちが手に取るようにわかることが,かなりある,ということです。