エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#子どもの方から

2019-12-28 07:32:10 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #気付きの歓び
マハトマ・まど・みちおさんの言葉からわからんからこそすばらしい...
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
  
 
 identity and the life cycle  『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
 
 今朝からは、第三章,p.108,10行目から。
 


 エゴ・アイデンティティの課題
 

 たくさんの本(エリクソン,1946,1950a, 1950b, 1951a)で,私が「エゴ・アイデンティティ」という言葉を使ってきたのは,確かな理解をハッキリとお示しするためです。その確かな理解とは,人間を2つに分けるウソに侵されていない真っ当な人間ならば,思春期の終わりには,大人のなる様々な課題に備えるために,大人になる前の経験全てから引き出す予定のものです。この言葉を私が使うのは,魂を自由にする務めの者の戸惑いを反映しています。魂を自由にすることを務めにする者は,1つの新しい思いに導かれますが,それは,理論に没頭したからではなく,むしろ,他の領域(社会人間学や比較教育学)に臨床していて気付いたことが増えたからですし,聖書の神様のいのちが一巡する時,そのような気付きが増えると臨床の仕事に役立つことになっているからです。最近,臨床的な礼拝をしていますと,この期待をなるほど本当だねと感じますね。ですから,一心同体に成る課題を,また,お話しし,見直すことをお許し下すった2つのチャンスを歓んでお引き受けしたわけです。




 気付きが増えますと,一心同体に成る課題に応える,という臨床の課題がより楽にできるようになります。
 子どもも,この最深欲求に応えられる相手を見抜く眼力がありますから,子どもの方から寄ってきますもん。
 
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#いまここにいる私 #初めの私  #今と未来を繋ぐキリスト

2019-12-28 05:50:57 | エリクソンの発達臨床心理
 
#たった1つの永遠の宝物 #気が付かない恨み辛みの重荷 から #死に物狂いで救われたい人間様
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 「発達トラウマ障害 Enpedia」  をご参照ください。

    Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から,p.42の第2パラグラフから。

 今朝は,p.46の8行目から。

 

 

 プラトンが教えている「跳び上がるほどの心からの歓び」については,後ほど申し上げることがあります。聖書の神様がまします今,もう一度,無心になって子どもを大切にすることに心からの歓びが母親に満ち溢れるシャローム平和が,子どもも母親も共に創造して発達させくれること(私ども夫婦が始めた遊び療法)と,そのシャローム平和(遊び療法)が魂に刻み付ける一番の人品に立ち返りましょうね。遊びと呼ばれる,遊びに見える,遊びのように感じる,相手にピッタリと息を合わせる生き方の光から,私ども夫婦が照らし出したことが示しているのは,人間らしい気高い力です。 その人間らしい気高い力とは,人間が,子どもの頃に想像力を働かせて夢中になって育つ世界の中で,聖書の神様のいのちを一巡させて,発達させることに根差している力ですが,聖書の神様を信頼する仲間になる信頼が封印されているものを使って,結界の中で心に浮かんだ聖書の神様の舞台の啓示を,繰り返し受け容れる力です。私どもが確かにされるときに、聖書の神様の舞台が私どもの魂に打ち込まれる(訳注:正確には,「打ち込まれていることに気付く」とすべきです。なぜなら,気付くと気付かないとにかかわらず,尊厳はすでに打ち込まれているからです。)のは,相手の魂に心響かせることができる大人が,聖書の神様に祈り求めているからです。ですからねぇ、必ずしも,自ら望んでした星周りではありません。聖書の神様がまします結界の中では,私ども人間は,聖書の神様のいのちが一巡する(ように,後ほどなる)器になりますから,いまここが,いつどこででも,毎日礼拝が生まれる場になります。ところが,人々が,なるほど本当だなぁ,と信頼するようになるのは,聖書の神様のいのちが一巡する場で,2人が共に創造発達することって,誠実に相手を自分のように大切にすることに夢中になって,晴れ晴れと歓ぶ毎日礼拝の元があって初めて,形の上でも中身の上でも,その創造発達が,驚きと感激,という最高の恵みになる,ということです。おもちゃの舞台に当てはめてきた,大切な善い意味は,真新しいチャンスに挑戦する勇気を示している,ということです。聖書の神様がまします場では,スピリットと身体とが,確実に大切にし合うようになれば(訳注:イエスのスピリットが受肉すれば)いいのになぁ,あるいは,何年にもわたって訓練して,キリストに従って,自分を引っ張り上げることから仲間がギフトをもらえたらいいのになぁ,に,挑戦する勇気です。

 

 陽気で楽しいことが進むところではいつでも,遊びの偉大な理論家、ホイジンガが見事な要約の中に入れた,遊び場の視座があります。「あらゆる遊びは,あらかじめ区切られた結界の内側で動き,育ちます,それは,物の面でも,物事の見方の面でも,遊びが育つ,ということですし,完全に自由になるためにも,発達して心響く大人になる1人の母親としても,遊びが育つ,ということでもあります」と。ホイジンガは,この魂の中で遊びが育つ一筋の光に名前を付けました。「土俵,トランプ台,マンダラ,礼拝所,舞台,間仕切り,テニス・コート,裁判所等は,全て,形の上でも働きの上でも,遊び場です… 仲間から離れて立たされて,結界となり,気高くされる遊び場ですし,その中で,気高くなる人生の習慣を手に入れます。」全ての遊び場を,ホイジンガは,「つかの間の世界」と呼び,「そのつかの間の世界の中で,日常の世界は,シャローム平和を完璧に実現する努めを2人が別々に無心に行うことに,捧げられます」としました。

 

 私どもが発達する時に,遊び場を自分で選ぶようになります。いまここで私どもが指摘しておきたい唯一のことは,陽気で楽しい歓びの舞台と子どもが時間と空間を経験することには,たった一つの気高い関係があるということです。私は『子どもの頃と仲間たち』の中で申し上げましたように,子どもの頃の「演じる」遊びは,「過去を生き直し,現在を繰り返し目の前に表して,繰り返し新鮮にして,未来を先取りして確信する生き方を創造する人間の心の習慣の子ども版」を下さいます。人間すべてが本当の自分を生き直す場を育て始めましょうね,陽気で楽しい歓びのおかげで2人が共に本当の自分を生きることができる,ということを目の前に見ながら…。

 

 聖書の神様のいのちが一巡するど真ん中に諍いがあって,それこそ,その子どもが切り抜けなくてはいけない「人品を育てる時の危機」の特色になります。ロバートの積み木の中で,背が高い積み木は,私ども夫婦が申し上げていることですが,本当の自分になる結界では心響かせることに身を入れるものだ,ということを示しています。本当の自分になる結界では心響かせることに身を入れますと,舞台袖に隠れている諍いやトラウマに打ち勝つことができます。聖書の神様のいのちが一巡するど真ん中では,発達創造途上の男の子が1人いるイメージ,すなわち,キリストだけがまします。この発達創造途上の男の子は,身体の美しさと強さを,頭で理解し学ぶ力と,ピッタリと一心同体にする新しい生き方を体得底で身に着けることになります。しかしですよ,私ども夫婦が心掛けてきたことですが,この少年の身体が示すことと、少年の心が苦しんでいることとに真に折り合いをつけることに思い煩っていることは,この子の育ちと対人関係の場に、相当広がっています。この,ラテン語でpuer novus 「新しい少年」って, 聖書の神様のいのちが一巡する結界では,1人の「新しい人」,すなわち,1人の自由にされた大人,キリストが誕生するイメージがありますでしょ。もしも,キリストが生まれるのがアーメン本当ならば,あの先生の言葉(訳注:「学校は,あなたの身体と脳が助け合うようにすることをお手伝いする所よ」)は,聖書の神様に敬意を払う,自由な新しい人が生まれることを預言する言葉に,なんとなくなりますね。 すべては,小さな世界の中で,真新しい仲間と繋がる真新しい私を試す1つの実験です。このように岩盤になる結界は,しかし,過去に負わされたトラウマに立ち返って,聖書の神様のいのちがこの世界で一巡する場を2人が共にすることにもなりますし,将来の酸いも甘いも(訳注:最後の審判,閻魔様 楽しみでもあり,怖い)頓着せず,2人とも心から自由にもなれます。ここで私ども夫婦が謹んで受け止めた唯一のことは,この5歳の男の子が先生に零したことには,様々な大事な危機が隠されている,ということです。つまり,この男の子が「くっ付いて離れられない」過去に縛り付けられていて,身体と頭が一緒に働かせることができないでいたとしたら,どうなるのでしょうか? それから,この男の子が新しい子になろうとしているのに,この男の子の手には負えない周りの者たちが,男の子の根源的信頼(あるいは,アタッチメント)が創造発達するのを手助けする名付け親になるのを嫌がっていたら,どうなるのでしょうか? その男の子は,生きる値打ちのない者でしょぅか,生きる値打ちのない者のままでしょうか? 結局,ガラクタになっているんでしょうか? ところが,ロバートの本当の自分をハッキリと示す心響かせる身体の動きは,両手を広げて,天使のような微笑みも湛えつつ,大事な人から,大事にされて生きてきたことも確かにありますよ,ということも,それとなく示していますね。このように良かった経験を過去にしてなければ,未来はほぼ開かれません。このように,過去の悲しき運命から繰り返しジャンプすることが,いまここで,陽気で楽しい歓びを下さるキリストによって,聖書の神様が約束した新しい人に回心することをプレゼントしてくれます。(訳注:聖書の神様の圧倒的で静かな恵みに気付けば,)私ども人間は,2つに分けるウソに侵されていない,真っ当な人に成熟することができるんです。すなわち,私ども人間は,人をいつも大切にし,いつも大切にされる者になる恵みが,いまここにいつでも何度でもあるんですよ。この中にある祈りのゆえに,子ども等の顔には忘れがたい微笑みを微笑みますし、私は内心,「やったぁ!」と言いますね。それは,子どもが自分の遊びの作品と至聖所を完成させて,「できた」と言う時なんですよ。

 非常に神話的な言葉を私が使っている,ということを,自覚していますよ。子どもの言葉遣いにとっては神話的すぎかもしれませんが,子どもが実験しているいろんな気持ちにとっては,神話的過ぎることはない,と考えます。と言いますのも,子どもの遊びの中には,重々無尽に気付く人間らしい心の習慣を自分で育てることがある,と見えますから。重々無尽に気付く人間らしい心の習慣は,生涯を通じて,やり取りをする相手が次第に広がる中で分かち合うことになります。つまり,目に見える形で,聖書の神様が「とてもいいぞ」と認めて下さる生き方で,友達や先生が「とても善いよ」と認めてくれる生き方を共に創造することです。その友達や先生が,その遊んでいる子どもを手助けしたのは,1人ではできなかったこと,すなわち,驚きと感激を味わい,生きている実感が漲る約束を信頼することでした。生きている実感が漲る約束って,破滅的な力を内に治めることができるし,敵意むき出しのこの世の敵に打つ勝つことができるから,そのようにして,次第に関わる人が増えるいまきここで,新しく出会った人ともピッタリと一心同体になることができるキリストを自分は生きている,と確信することです。いま,言葉のない遊びについて,大口を叩きましたが,後ほど,大人になってからヴィジョンを分かち合う中に,力強い言葉が生まれる場があることが分かるようになります。この世の中で不動になる時の恐れや確信を実感する体験を,子どもも遊びで体験していることを見くびることになるでしょう。もしも,人間の意識がこの世に不動に立つ時に恐れや確信を実感することが,子どもも真っ当な,ただし,まだ朧気な意識にはない,などと言えば。おとぎ話が普遍的なのは,子どもの意識が真っ当なことを示しているのは,確かですね。

 子どもの頃に遊んだ遊びや,陽気で楽しい歓びがある他の場が,思い出されて,それが,目に見える強い源に基づいていたのなら,その思い出は,聖書の神様からの目に見える魔法にかかってもいますこの世の人達が,周りをぐるっと仕切った「人間になる結界」の中に,聖書の神様が一巡するように並ぶと,この魔法が掛かるようにできています。この魔法は,視線の2つの意味を1つにします。すなわち,目の前にあるものを体得底で分かる力と,すなわち,いまここを体得する力と,信頼している者だけに許されていることですが,将来,なるほど本当だね,と分かることを未来を見通すキリストの力を1つにすることです。人間の眼の2つの視点の源を見付けるために,人間が立ち返って一心同体に成らなくてはならないのは,自分が創造されることの中にある,あの生まれたばかりの時の一番朧気な初めの私です。

 

 

 信頼を生み出すのは,キリストです。

 キリストの恵みで,過去と未来が,いまここにいる私と一体になるのです。

 

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#自分も人も殺す私たち

2019-12-28 03:52:31 | エリクソンの発達臨床心理
 
#うまくできてるね #聖書の神様が創造する全体像 #2人が自分自身になる #なるほど本当だねと初めて実感
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 第三部。p.122,第4パラグラフ,引用部分の4行目途中から。 壁に掛かった様々な夢  私は拙著......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp168。第2パラグラフの初め。

 あまり触れてこなかった,この本。

 昨日,ポール・ティーリッヒの件を読み返して,ついでに,いくつか読み返して,これはとても大切なことを述べている本だ,ということに改めて「開眼」したわけです。

 その一つを今宵ご紹介したくなりまして…。

 

 

 忘れてはならないのは,馴染んだ相手が共に居てくれない,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,捨て去り,通り過ぎ,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。

 

 

 すごいことが書いてありますでしょ。

 でも,真実です。

 「母親」としましたが,「人間」は,としてもいいところです。

 毎日礼拝をしていない人間は,キリストの恵みに預かれない人間は,自分も人も殺しやすい,とっても脆い存在です

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