エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#眼も助けもくれない大人の条件

2020-01-12 06:59:21 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#ニューロフィードバック研究 #トラウマストレスに過剰反応する脳がターゲット

 #Ana #繋がる世界 #アハァ体験 現世考:高速道路逆走、車の突っ込み…   ルターは面白い 改訂版   生かされている、不思議な命 3訂版  自分の命。実......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.113のブランク後から。

 今朝は,p.115の,第2パラグラフの10行目から。

 

 

心響かせることに身を入れる

 

 

 子どもたちは,お母さんみたいな世話をしてくれる方にならどなたにでも,くっ付くようになります。しかし,そのくっ付くことの本性から,それが安心できるものでも,安心できないものでも,1人の子どもの人生の行程は,天国と地獄の差ができます。子どもが心から安心できるくっ付きができるのは,子どもを世話することが,子どもの気持ちに心響かせることが含まれる場合(訳注:だけ)ですからね。心響く関わり合いが始まるのは,赤ちゃんと母親の間にある,目には見えない身体レベルのやり取りからです。お母さんに心響かせる関わりをしてもらえると,赤ちゃんは,ピッタリと一心同体になり,分かってもらえた,という気持ちになります。エディンバラ大学でアタッチメントを研究するコリン・テレヴァーサンの話では「脳は,身体がリズムのある動きをするのにピッタリと響かせますし,リズムのある自分の身体の動きを,他の人の脳にピッタリと響かせるように,動かすようにもします」ということです。赤ちゃんはお母さんのお喋りを音楽みたいに聴いたり,受け止めたりします。お腹の中でも。

 第4章で,私はミラーニューロンを発見した話をしましたね。ミラーニューロンとは,脳と脳が結び付いていて,共感できるようになっている,というものでしたでしょ。ミラーニューロンが働き始めるのは,赤ちゃんが生まれた直後からなんです。オレゴン大学の研究者のアンドリュー・メルツォフは,生まれて6時間の赤ちゃんに向かって,唇をすぼめたり,舌を出したりすると,赤ちゃんは,すぐに鏡になって,唇をすぼめたり,舌を出したりしました(生まれたばかりの赤ちゃんは,20センチ~30センチの範囲にあるものしか見えませんが,それは,自分を抱っこしてくれる人を観るのには十分なんです)。真似をすること,私ども人間に与えられている一番根っこにある人と関わる術です。真似が根っこにある人と関わり全て術ですから,親や教員や仲間の行動から,選んで真似しているんです。

 親は自分の子どもと自然に関わる人がほとんどですから,どうしたら心響く関わりが展開していくのか,気が付かない場合がほとんどでしょう。ところが,お友達から誘われますと,アタッチメント研究者のエド・トロニックが観察するチャンスをプレゼントしてくれたのですが,どうしたら心響く関わりが展開してくのかを,もっと注意して,気付くことができます。ハーヴァード大学人間発達研究所のマジック・ミラーを通して,私が見たのは,生後2か月の赤ちゃんと遊ぶ母親でした。その母親は,助けられて,自分と正対して座る赤ちゃんと共に居ることができました。

 2人は,お互いに優しい声で囁き合い,素晴らしい時間を過ごしていました。その素晴らしい時間は,お母さんが赤ちゃんに身を近づけて,赤ちゃんが興奮して,お母さんの髪の毛をぐいと引っ張るまで続きました。お母さんは,思わず痛みにギャッと声を出して,赤ちゃんの手を振り払います。その時お母さんの顔は,痛みで歪んでいました。赤ちゃんはすぐに身を離して,2人は互いに身体がバラバラになります。2人にとっては,歓びの源は,同時に,悩みの基でもあるからです。赤ちゃんがヤッパリびっくりしましたから,お母さんの怖い顔を遮るために,顔を両手で塞ぎました。そのお母さんも,赤ちゃんがびっくりしたのに気付いて,また赤ちゃんに意識を集中させて,関係を良くしようとして,赤ちゃんにをなだめる声を出します。その赤ちゃんは,まだ両目を覆っていましたが,お母さんとの繋がりを願う気持ちが戻ってきました。赤ちゃんは安心しても大丈夫か確かめるために,お母さんの顔を覗き込む一方,お母さんも,気がかりな声かけをしながら赤ちゃんに歩み寄ります。お母さんが赤ちゃんのお腹をくすぐり出すと,赤ちゃんは腕を顔から下げて,嬉しそうに笑いますから,心響く関わりが2人にまた戻りました。その赤ちゃんとそのお母さんは,また,心響かせる関わりをすることになります。歓び,歓びの声,回復と新たな歓びの流れは,全部合わせても,12秒にも満たないものです。

 トロニックや他の研究者たちがハッキリさせたのは,赤ちゃんとお母さんが気持ちのレベルで響き合う時には,その2人は身体も響き合っていたということでした。赤ちゃんは自分の気持ちを自分で落ち着かせることができませんから,感情に伴う心拍数もホルモンレベルも神経活動も,元通りにできません。子どもが親に心も身体も響かせるとき,子どもが歓びと絆を実感するのは,心拍も呼吸も安定していて,ストレスホルモンがあまり出てないから,実感できます。子どもは身体が落ち着いているから,子どもの気持ちも落ち着いているんです。身体の調べが乱れた瞬間,それは日常よくあることですが,全ての生理的要素も変化してしまいます。身体が平衡を保てば,生理的要素も元通り穏やかになるってわかりますでしょ。

 私どもは赤ちゃんたちを宥めますが,親たちはすぐに,子ども等に高いレベルで目覚めていることに耐えることを教えるようになりますが,それは主にお父さんの役目になります(昔聴いたことですが,心理学者のジョン・ゴットマンが言うのは,「母親はパーで打つ,父親はグーで殴る」)。目覚めを手塩にかける仕方を体得底で味わうことこそが,人生を左右するコーナーストーンです。ですからね,良心は,赤ちゃんのために目覚めて生きていなくてはなりません。五臓六腑に染み渡り,赤ちゃんがなけば,おっぱいか,哺乳瓶が届くでしょ。赤ちゃんが怖がれば,赤ちゃんが落ち着くまで,誰かが抱き上げて揺らしてあげるでしょ。おしめが濡れれば,誰かがおしりをサッパリとしてくれます。強烈な体感と,安心して自分のことは自分で出来て清々しい気持ちが一体になることが,自分の身体の調子を整えること,自分の気持ちを宥めること,自分を育てることの基盤です。これは,この本を通じて繰り返し立ち返るテーマです。

 安心して赤ちゃんがお母さんにくっ付いていられることは,同時に,できたという気持ちを育てますが,「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」を創造します。この「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」は,生涯を通して,挫けずに生きる秘訣です。安心してくっ付いていられる子ども等は,自分が心地よいと感じるようになります。というのも,安心してお母さんにくっ付いていられる赤ちゃんは,自分(や人)が気分が悪くなるものを見付けて,善くする心の習慣を身に着けているからです。善くする心の習慣って,自分の方から関われば,自分の気持ちや人の反応が変えられると分かっています。安心できるアタッチメントがうまくできた子ども等は,自分で解決できる状況と助けが必要な状況の分別がつくようになります。安心してくっ付いていられる子ども等は,困難に直面しても,自分から困難に向き合っていくことができるようになります。反対に粗末に育てられた子ども等や,相手にされずに育った子ども等が身に着けることと言ったら,怖がっても,お願いしても,泣いても,親が相手をしてくれない,ということです。何をしたって,何を言ったって,親は打つことを止めてくれませんし,眼も助けもくれません

 

 

 安心してくっ付いていられない赤ちゃんは,自分ではどうにもならないという絶望と無力感のど真ん中。

 眼も助けもくれない大人に必ずなります。

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#人間様を超えた正義 = #無分別智 と #本物の大人

2020-01-12 06:39:13 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #書くこと

 #自分が自分の身体の中にいる? #あなたはイエスと言えますか?ステファン・コープ インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 子どもと関わる時の黄金律    ジョア......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  
をご参照ください。 
 
 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」
 
イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。
 p.341のⅢから。
 
 今朝は,p.342の第3パラグラフ,8行目から。
 
 
 
 Ⅲ 子どもの頃の初めと賢いこと
 
 本当の自分を創造することを理解することが困難なのは,初めに行動指針を並べ立てるところから始めなくてはならない事実があるからです。本当の自分を創造することが発達して,その人ならでは,が育つ全体像の一番善い説明は,隠されている本当の自分が発達し,その人ならではが育つと,ひとりひびとりが,キリストを介して聖書の神様と一心同体に成り,その結果,お互いにも一心同体に成ることです。それまで毎日礼拝が無言で「とてもいいぞ」と認めてくれていたことが,本当の自分が育つと,山のような人から,いまここで繰り返し,ハッキリと「とてもいいぞ」と認めて貰えるようになるはずです。子どもと,身体面でも,心理面でも,対人面でも関わる大人の数が増えますからね。つまり,毎日礼拝で,新しく出会った人たちと互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるんです。互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるのは,いつでも,敵が新しい友になる驚きの中にあります。それから,互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるのは,いつでも,新しい形が生まれます。
 人間の毎日礼拝の第2の形は,一番相応しい言葉は,「judicial,分別の言葉」です。それは,ラテン語の「jus 立法」と「 dicere  話し言葉にする」という言葉の組み合わせだからです。とにかく,judicalという言葉は,正しいことと悪いことを「区別する」方法を含む言葉ですから,自分を創造する時には,確実になります。結局,善悪を峻別する「律法の話し言葉」は,人間の毎日礼拝の大切な見方になります。と申しますのも,毎日礼拝も,善しとされ仲間となる者と,それ以外のよそ者を区別しない毎日礼拝は,1つもないからです。選ばれる者と排除される者があるのは,最後の審判まで続きます
 この第2の形が自分を生み出す源は,第2の聖書の神様のいのちの舞台です。それは,子どもの頃の初めで,魂が生きている実感に従うのを習慣にすることが育つことと,発達が急にすすむこととが,特色です。「ある場所から別の場所に動けること」が,生きている実感を心の習慣にするのに役立つように,移動が許される限界にも出くわすことになります。「分別」が鋭くなるにつれて,「分別」は,「正しく見える」ことと「正しくは見えない」ことを他者の眼で見る忖度を受け容れることにもなります。しかも,「言葉が育つこと」(言葉は,「人間を上下2つに分けるウソ」による繋がりの一番強力な絆であることは明らかです)が,言葉になる世界の中で概念的に纏まるものを強調しますから,言葉にならないことは,名前もなく,奇妙で「悪い」ママになります。こういったこと全てに強烈な意味を与えるものは,フロイトさんが「お尻の穴」と呼んだものです。「お尻の穴」って,腑に落ちない新しい心の習慣にもなります。生きている実感を真っ直ぐに生きると,面目をなくして,恥ずかしいことになるんだと,子どもは気が付きます。真っ赤な顔をして正体がバレますし、一人ぼっちの孤独をひどく感じるのに,自分が悪いのか,自分を裁く親が悪いのか,が分かりません。大人たちは,いのちを削る関係の中で,子どもを出汁に使わなきゃ損だと感じますし,子どもは恥をかき,悪いのは自分なのか親なのかに迷う心の習慣をますます酷なものにします。しかし,本物の大人が,間様を超える聖書の神様の正義を代弁するのは,善悪を分別する毎日礼拝じゃないんですからね。
 
 
 
 
 かくして,本物の大人は,間様を超える聖書の神様の正義無分別智を生きることに決まっています。
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#キリストの恵みの計り知れない豊かさ

2020-01-12 05:51:57 | エリクソンの発達臨床心理
 
#心響かせる大人 になるのが #創造の要 #創造の唯一の道

 #神様の命が回転する場 #2重の織物 #ライフサイクル人生心理学 ネグレクト=長時間労働が、子ども等を発達トラウマ障害(DTD)にしている    愛着障害の子......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
  
 
 identity and the life cycle  『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
 
 第三章,p.108から。
 今朝は,p.109の第3パラグラフから。
 
 
 
 エゴ・アイデンティティの課題
 
 
 たくさんの本(エリクソン,1946,1950a, 1950b, 1951a)で,私が「エゴ・アイデンティティ」という言葉を使ってきたのは,確かな理解をハッキリとお示しするためです。その確かな理解とは,人間を2つに分けるウソに侵されていない真っ当な人間ならば,思春期の終わりには,大人のなる様々な課題に備えるために,大人になる前の経験全てから引き出す予定のものです。この言葉を私が使うのは,魂を自由にする務めの者の戸惑いを反映しています。魂を自由にすることを務めにする者は,1つの新しい思いに導かれますが,それは,理論に没頭したからではなく,むしろ,他の領域(社会人間学や比較教育学)に臨床していて気付いたことが増えたからですし,聖書の神様のいのちが一巡する時,そのような気付きが増えると臨床の仕事に役立つことになっているからです。最近,臨床的な礼拝をしていますと,この期待をなるほど本当だねと感じますね。ですから,一心同体に成る課題を,また,お話しし,見直すことをお許し下すった2つのチャンスを歓んでお引き受けしたわけです。この論文は,この2つの発表を1つにしています。私どもの目の前にある問いは,アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ることを体得底で捉えることは,本質的に,ひとりびとりの魂が聖書の神様に従うことなのか? それとも,無意識的なエゴが魂を自由にする演劇を,真実と見做してもいいものなのか? ということです。
 まず,アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ること,という言葉。私が知る限り,フロイトさんは,たまたま一回,アイデンティティ,という言葉を,聖書の神様に魂が従う意味で使っています。フロイトさんが,「インナー・アイデンティティ 魂が聖書の神様と一心同体に成ること」について話したのは,まさに,自分がユダヤ民族に繋がっていることを雛形にしようとした時でした。「インナー・アイデンティティ 魂が聖書の神様と一心同体に成ること」は,人種や宗教よりも,2人が互いに向かい合って生きる関係や,理性を発揮できなくさせてしまう悪意から2人が互いに解放され自由になる関係に,基盤があります。ここで,「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ること」は,ひとりひびとりが,自分の仲間の1つの固有の歴史に育てられた,1つの固有の強みと結びついている,ことだと言います。しかし,「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ること」は,本音と建前に分けることができないひとりびとりは,自分ならではの発達にあの隅の親石,キリストと関係します。と申しますのも,「聖書の神様との約束に基づいて一人になる代価を払って行う,朽ちることのない礼拝」は,フロイトさんの暮らしの,ど真ん中で,聖書の神様のいのちが一巡するものでしたからね(エリクソン,1954)。今考えているのが,自分の中心軸で,仲間の魂が共にくっ付いて生きている視点と結びついて何某かと一心同体に成るのです。と言いますのも,若者はひとりびとりが一番自分らしくなるのは,他者を一番大切にする時だからです。その相手の人も,若者ひとりびとりを一番大切にするようになるのも,アーメン本当です。「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成る」という言葉は,このように,(訳注:キリストの教え通りに),互いに大切にし合う関係を示しています。「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成る」とは、1つは,生きている実感がいつもビンビンに実感していることですし,もう1つは,心から優しい生き方に欠かせない気質を他の人といつも分かち合っていることを,同時に意味します。
 私が試みているの,聖書の神様と一心同体に成ることは,母親が聖書の神様と目の前の我が子を仰ぎ見るようになることだと,もっと体得底で分かりたいということです。聖書に神様と一心同体に成りますと,人は聖書に神様と目の前の子どもの下に立つ母親役ができるようになることをハッキリと示す方法は様々で,成育歴,病歴,理論から示すことが可能です。
 
 
 
 ここも暗号が効いているところですが,私の翻訳に違和感を感じる人も少なくないでしょうね。
 でも,エリクソンが考えていたことは,私の翻訳に如実に表れている,と強く感じますよ。
 
 人は、聖書の神様を仰ぎ見る存在だとエリクソンは確信していたこと,に間違いないからです。
 聖書の神様と一心同体に成れば,聖書の神様に従うのは当たり前。しかし,聖書の神様に従うものは,「一番小さいものにしたことは,私にしたことですからね」(『新約聖書』のマタイによる福音書第25書40節)というキリストの言葉に従うことになるに決まっていますから,一番小さいもの,子どもの下に立つに決まっています。
 それがキリストの教えであり,キリストの恵みの圧倒的に豊かさです。
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#生きている実感なき病 #依存症 #発達トラウマ障害

2020-01-12 04:59:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
#ギフト と #光 #下に座り従う存在の人間 #ヌミノースな毎日

 #アイデンティティとは? 聖書の言葉 約束の地    MDMA(エクスタシーと言う麻薬)を使いたい人もいる   他者の誠実さに自らを委ね続ける態度 改訂版  ガン......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp168。第2パラグラフの初め。

 今朝は,p.169の6行目から。

 

 忘れてはならないのは,馴染んだ相手が共に居てくれない,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません。

 若者たちは,「リーダーと称する上に立つ人」に忖度することによってのみ,自分が救われた感じになる感じに縛られている場合がとっても多いんです。「リーダー,生き方を態度で示してくれる人」は本物の大人でなくてはなりません,本物の大人とは,息を合わせてくれて,心から安心できる経験をプレゼントしてくれる人で,最深欲求である互いに大切にし合う関係と,キチンとNoと言い合える関係を始める,一番大切な踏切台を繰り返し学ぶときのガイドになってくれる人に,なれるし,歓んでなってくれる人です。大人になる手前の若者は,見習いか弟子,手下,セックスのお供になりたがりますし,あるいは,そういう人に甘んじてなりがるものです。見習いや手下やセックスのお供等にうまくなれませんと,それは,力みすぎたり,極端だったりすることから,うまくいかないことが多いんですが,うまくいかない若者は,どん底まで落ちて,大変骨の折れる内省と試練に陥ることになります。どん底で体験する大変骨の折れる内省と試練は,特に悪い状況や,猛烈に自己愛的な傾向が強い時代には,若者を何もできない川のほとりに赴かせます。この内省と試練のために,独りぼっちの孤独が痛いほど強まります。この一人ぼっちの孤独って,生きている実感がありませんし,腑に落ちないな,と感じて,生きている実感を出すことがいつもなんとなく恥ずかしく感じます。あるいは,一人ぼっちの孤独って,何をやっても,「できた」という遣り甲斐・達成感がなんです。このような心病む若者たちの中には、バカなことに手を染めたり,コッソリ敵意を出したりして,生き辛さから抜け出すどころか,結局,無理(な背伸び)を重ねるだけの人が居ますね。心病む若者たちは,いのちを削り合う関係を生きざるを得なくなります。いのちを削り合う関係では,思い上がった自己愛が一時嵩じて,何でもできる気分になっても,結局は,身も心もバラバラになり,ありのままの本当の自分に出会うことができませんこのように,生きている実感の塊のいのち自分から関わり始めるものではなくて,偶然降ってくるものになります。

 

 

 川のほとり。

 内省と試練が続きます。

 そこで「生きている実感」を深く味わえたら善いけれど…。

 いのちは生きている実感の塊。

 しかし,いのちを削り合う関係の人は,生きている実感を感じることはできません

 明日以降の翻訳で出てきますが,そうすると,依存症という心の病になる中で生きている実感を回復しようとするみたいですね。それはできない話とも知らないで…

 

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