エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #臨場

2020-01-16 06:33:00 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #1人と2人再び

 #聖書の言葉 #1人豊か #呼びかけられている私 聖書の言葉: ἐλπίς 希望の源の噂   ルターが教えてくれる人生の目的   大事にされたい現代人 改訂版  ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 


単独者の恵み

 

 

1人の時間を

 

ありのままの自分を信頼して下さるキリスト

 

を発見する現場です

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#発達を妨げる元凶 #目先の目標 #本当の自分が死んでる人

2020-01-16 06:23:45 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#ニューロフィードバック #効果絶大 #何故かは分からない

 #呼吸の恵み #目覚めの恵み #復活の私 #エリクソンと全体像も方法論も同じ 聖書の言葉: ἐλπίς 希望の源の噂   ルターが教えてくれる人生の目的   大事......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.115の第2パラグラフから。

 今朝は,p.115の,ブランクの後から。

 

 

心響かせることに身を入れる

 

… 

 安心して赤ちゃんがお母さんにくっ付いていられることは,同時に,できたという気持ちを育てますが,「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」を創造します。この「安心して自分のことは自分で出来て清々しい心の場」は,生涯を通して,挫けずに生きる秘訣です。安心してくっ付いていられる子ども等は,自分が心地よいと感じるようになります。というのも,安心してお母さんにくっ付いていられる赤ちゃんは,自分(や人)が気分が悪くなるものを見付けて,善くする心の習慣を身に着けているからです。善くする心の習慣って,自分の方から関われば,自分の気持ちや人の反応が変えられると分かっています。安心できるアタッチメントがうまくできた子ども等は,自分で解決できる状況と助けが必要な状況の分別がつくようになります。安心してくっ付いていられる子ども等は,困難に直面しても,自分から困難に向き合っていくことができるようになります。反対に,粗末に育てられた子ども等や,相手にされずに育った子ども等が身に着けることと言ったら,怖がっても,お願いしても,泣いても,親が相手をしてくれない,ということです。何をしたって,何を言ったって,親は打つことを止めてくれませんし,眼も助けもくれません。粗末に育てられたり,親から相手にされずに育った子ども等は,後年試練に出会うと,諦め人生を生きること決まってしまいます。

 

 生きている実感を感じるようになる

 

 ボールビーの同時代の人,小児科で精神分析家のドナルド・ウィニコットこそ,心響かせる関わりを研究する今の研究の父です。ウィニコットの精緻な母子観察は,お母さんが自分の赤ちゃんを抱っこするやり方を観察することから始まりました。ウィニコットが「いいお母さん」と呼ぶ者になるには,非凡な才能など必要はありません。しかし,事態がひどく悪くなるのは,赤ちゃんが身体で感じている生かされている実感お母さんが気付かずに心を回せない(気を配れない)場合です。もしも,お母さんが赤ちゃんの様々な願いやニーズにピッタリと合わせることができなければ,赤ちゃんは次第に,お母さんが考える「赤ちゃんのあるべき姿」に合わせるようになります。

 

 

 息を合わせてもらうのか? 息を合わせなくてはいけないのか?

 人の人生を左右するのは,幼いころの息です。

 息を合わせてもらった赤ちゃんは,人の気持ちに寄り添える本物の大人になれます

 息を合わせなくてはならなかった赤ちゃんは,忖度と裏切りの,自分が死んでいる人になれます

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#毎日が苦しみの連続

2020-01-16 05:35:52 | エリクソンの発達臨床心理
 
#輝き  #日常生活を礼拝にすること と #十字架に縛り付けられること

 #真新しい心の習慣 #目覚めた意識 #人類は1つの実感体得 #シャローム 倫理的に生きている目印    ヘンリ・ナウエンのおもてなし   人に大事にされた~いのに......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp168。

 p.169のブランクから。備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。

 

 忘れてはならないのは,馴染んだ相手が共に居てくれない,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません

 …

 

時間の見通しに志がない

 

 思春期が遅く来たり,長引いたりする極端なケースに中に,時間の実験の中で混乱しきった極端に事例が出ます。そういった事例は,やや軽傷の場合でも,子どもの頃から後は,毎日が魂の苦しみの連続だ,という人もいます。

 

 

 これは,発達トラウマ障害の人だと感じます。

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#最善の生き方 #最善を信頼する生き方

2020-01-16 05:11:23 | ハンナ・アーレントの真実
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #1人と2人再び

 #聖書の言葉 #1人豊か #呼びかけられている私 聖書の言葉: ἐλπίς 希望の源の噂   ルターが教えてくれる人生の目的   大事にされたい現代人 改訂版  ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  
をご参照ください。 
 
 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」
 
イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。
 p.341のⅢから。
 
 今朝は,p.342の第4パラグラフ,5行目から。
 
 
 
 Ⅲ 子どもの頃の初めと賢いこと
 
 本当の自分を創造することを理解することが困難なのは,初めに行動指針を並べ立てるところから始めなくてはならない事実があるからです。本当の自分を創造することが発達して,その人ならでは,が育つ全体像の一番善い説明は,隠されている本当の自分が発達し,その人ならではが育つと,ひとりひびとりが,キリストを介して聖書の神様と一心同体に成り,その結果,お互いにも一心同体に成ることです。それまで毎日礼拝が無言で「とてもいいぞ」と認めてくれていたことが,本当の自分が育つと,山のような人から,いまここで繰り返し,ハッキリと「とてもいいぞ」と認めて貰えるようになるはずです。子どもと,身体面でも,心理面でも,対人面でも関わる大人の数が増えますからね。つまり,毎日礼拝で,新しく出会った人たちと互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるんです。互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるのは,いつでも,敵が新しい友になる驚きの中にあります。それから,互いに大切にし合って,相手も自分も不動になり,自由になるのは,いつでも,新しい形が生まれます。
 人間の毎日礼拝の第2の形は,一番相応しい言葉は,「judicial,分別の言葉」です。それは,ラテン語の「jus 立法」と「 dicere  話し言葉にする」という言葉の組み合わせだからです。とにかく,judicalという言葉は,正しいことと悪いことを「区別する」方法を含む言葉ですから,自分を創造する時には,確実になります。結局,善悪を峻別する「律法の話し言葉」は,人間の毎日礼拝の大切な見方になります。と申しますのも,毎日礼拝も,善しとされ仲間となる者と,それ以外のよそ者を区別しない毎日礼拝は,1つもないからです。選ばれる者と排除される者があるのは,最後の審判まで続きます。
 この第2の形が自分を生み出す源は,第2の聖書の神様のいのちの舞台です。それは,子どもの頃の初めで,魂が生きている実感に従うのを習慣にすることが育つことと,発達が急にすすむこととが,特色です。「ある場所から別の場所に動けること」が,生きている実感を心の習慣にするのに役立つように,移動が許される限界にも出くわすことになります。「分別」が鋭くなるにつれて,「分別」は,「正しく見える」ことと「正しくは見えない」ことを他者の眼で見る忖度を受け容れることにもなります。しかも,「言葉が育つこと」(言葉は,「人間を上下2つに分けるウソ」による繋がりの一番強力な絆であることは明らかです)が,言葉になる世界の中で概念的に纏まるものを強調しますから,言葉にならないことは,名前もなく,奇妙で「悪い」ママになります。こういったこと全てに強烈な意味を与えるものは,フロイトさんが「お尻の穴」と呼んだものです。「お尻の穴」って,腑に落ちない新しい心の習慣にもなります。生きている実感を真っ直ぐに生きると,面目をなくして,恥ずかしいことになるんだと,子どもは気が付きます。真っ赤な顔をして正体がバレますし、一人ぼっちの孤独をひどく感じるのに,自分が悪いのか,自分を裁く親が悪いのか,が分かりません。大人たちは,いのちを削り合う関係の中で,子どもを出汁に使わなきゃ損だと感じますし,子どもは恥をかき,悪いのは自分なのか親なのかに迷う心の習慣をますます酷なものにします。しかし,本物の大人が,人間様を超える聖書の神様の正義を代弁するのは,善悪を分別する毎日礼拝じゃないんですからね。つまり,悪い行いは裁いても,悪いことをした当人を裁く必要などないんじゃないの?
 決して忘れまいと思う経験が1つありまして,それは,全ての人類学者(プロでもアマでも)と分かり合えると確信します。つまり,それは,「現場で」「天から間違いなく善しとされる,善い生き方を直感することによって,自分の生業をとっても善いものですよ」と語った古老と初めて出会った,あの驚きです。善い実例をお示ししましょう。それは、北カリフォルニアに住むユーロック・インディアンの人たちから聞いた話です。そのユーロック・インディアンの人たちは,鮭と,増えて移動する(長い間,ハッキリとは分からなかった)鮭の謎の生き方に頼って暮らしてきました。
 
 
 
 最善の生き方とは,ユーロック・インディアンの人たちみたいに,ハッキリとは分からずとも,最善を信頼して生きる生き方なんでしょう。

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#アイデンティティ #理想や仲間と魂で繋がっている

2020-01-16 04:43:43 | エリクソンの発達臨床心理
 
#平和  と #諍い

 #私 #言葉と実感 #考えなし #人格的叡智 アルコール依存症になりやすいアカゲザルたち    人生って 悲しいね   倫理がバラバラだと、自分はブラブラ! ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
  
 
 identity and the life cycle  『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
 
 第三章,p.108から。
 今朝は,p.109の第3パラグラフの8行目から。
 
 
 
 エゴ・アイデンティティの課題
 
 
 たくさんの本(エリクソン,1946,1950a, 1950b, 1951a)で,私が「エゴ・アイデンティティ」という言葉を使ってきたのは,確かな理解をハッキリとお示しするためです。その確かな理解とは,人間を2つに分けるウソに侵されていない真っ当な人間ならば,思春期の終わりには,大人のなる様々な課題に備えるために,大人になる前の経験全てから引き出す予定のものです。この言葉を私が使うのは,魂を自由にする務めの者の戸惑いを反映しています。魂を自由にすることを務めにする者は,1つの新しい思いに導かれますが,それは,理論に没頭したからではなく,むしろ,他の領域(社会人間学や比較教育学)に臨床していて気付いたことが増えたからですし,聖書の神様のいのちが一巡する時,そのような気付きが増えると臨床の仕事に役立つことになっているからです。最近,臨床的な礼拝をしていますと,この期待をなるほど本当だねと感じますね。ですから,一心同体に成る課題を,また,お話しし,見直すことをお許し下すった2つのチャンスを歓んでお引き受けしたわけです。この論文は,この2つの発表を1つにしています。私どもの目の前にある問いは,アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ることを体得底で捉えることは,本質的に,ひとりびとりの魂が聖書の神様に従うことなのか? それとも,無意識的なエゴが魂を自由にする演劇を,真実と見做してもいいものなのか? ということです。
 まず,アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ること,という言葉。私が知る限り,フロイトさんは,たまたま一回,アイデンティティ,という言葉を,聖書の神様に魂が従う意味で使っています。フロイトさんが,「インナー・アイデンティティ 魂が聖書の神様と一心同体に成ること」について話したのは,まさに,自分がユダヤ民族に繋がっていることを雛形にしようとした時でした。「インナー・アイデンティティ 魂が聖書の神様と一心同体に成ること」は,人種や宗教よりも,2人が互いに向かい合って生きる関係や,理性を発揮できなくさせてしまう悪意から2人が互いに解放され自由になる関係に,基盤があります。ここで,「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ること」は,ひとりひびとりが,自分の仲間の1つの固有の歴史に育てられた,1つの固有の強みと結びついている,ことだと言います。しかし,「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ること」は,本音と建前に分けることができないひとりびとりは,自分ならではの発達にあの隅の親石,キリストと関係します。と申しますのも,「聖書の神様との約束に基づいて一人になる代価を払って行う,朽ちることのない礼拝」は,フロイトさんの暮らしの,ど真ん中で,聖書の神様のいのちが一巡するものでしたからね(エリクソン,1954)。今考えているのが,自分の中心軸で,仲間の魂が共にくっ付いて生きている視点と結びついて何某かと一心同体に成るのです。と言いますのも,若者はひとりびとりが一番自分らしくなるのは,他者を一番大切にする時だからです。その相手の人も,若者ひとりびとりを一番大切にするようになるのも,アーメン本当です。「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成る」という言葉は,このように,(訳注:キリストの教え通りに),互いに大切にし合う関係を示しています。「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成る」とは、1つは,生きている実感がいつもビンビンに実感していることですし,もう1つは,心から優しい生き方に欠かせない気質を他の人といつも分かち合っていることを,同時に意味します。
 私が試みているの,聖書の神様と一心同体に成ることは,母親が聖書の神様と目の前の我が子を仰ぎ見るようになることだと,もっと体得底で分かりたいということです。聖書に神様と一心同体に成りますと,人は聖書に神様と目の前の子どもの下に立つ母親役ができるようになることをハッキリと示す方法は様々で,成育歴,病歴,理論から示すことが可能です。「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成る」という言葉そのものに,語ってもらって,たくさんの意味があることを知っていただきましょう。それで,「アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成る」という言葉の意味していると思われるのは,第1に,「本音と建前に分裂していない真面な人が聖書の神様と一心同体に成っている心の習慣」に目覚めている,ということですし,第2に,「聖書の神様が自分に打ち込まれた誰も奪うことのできない価値がいつも続く」ように無意識に努めている,ということでもあり,第3に,「私かバラバラにならず1つにまとまること」が(訳注:無意識裡に)静かに進むための唯一の試金石であり,究極的には,仲間が理想や仲間同士と魂で繋がっていることを助けることもできます
 
 
 
 
 アイデンティティ,聖書の神様と一心同体に成ることが,ありのままの私が完璧に肯定されて,ありのままの私が腑に落ちた感じで居られることの唯一無二の試金石だ,ということは忘れないほうがいいでしょう。
 自分がありのままの自分の中に,聖書の神様から誰も奪えない至福の宝が打ち込まれていることに目覚めていますから,相手のありのままの自分を最高に大切にすることが,自ずからできますから,理想や仲間同士と相手が魂で繋がっていることを助けることも,自ずからできます

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