私どもが、苦しんでいることに希望を見出すのはね、キリストが十字架の苦しみの後に復活の悦びを体験して、モデルを示してくれているからなんですね。ただ、口で「こうしなさい」と偉そうに言っただけじゃぁない。自分でやって見せた、と言う点が説得力がありますでしょ。
Young Man Luther 『青年ルター』p213の第4パラグラフから。
神は、時空の片隅で待ち伏せするんじゃなくて、ルターにとって、「私どもの中で働かれる者」になりました。その道は、神様に対して、「自分ができることをすること」によって、1つの目標を、克己努力の末に掴もうとするんじゃないんですね。そうじゃぁなくって、神様の道は、心の内側から湧き上がってくるものなんですね。via dei est qua nos ambulare facit 「(ラテン語で)神様の道は、私どもがその道を歩むものです」ってわけですね。神は、一人の人よりも小さくなって、個人にとっては、よりその人ならではの存在になりました。
神は、私どもの心の中にいて、静かに語りかける存在になりました。それは、普遍的な存在であると同時に、極めて個人的な存在になりましたね。
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