#根源的信頼感 と #生きた確信 #人格に滲み出る心からの優しさ#自己信頼の中身 :#感性を信頼 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→143......
「発達トラウマ障害」Enpedia
をご参照ください。
不思議な声が,またまた聴こえましたので,Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,6年ぶりの改訳を,またまた場所を変えて,します。p.167の,はじめから。
今朝は,7行目から。
見ると,正対して正視して見られること
最高の光をもたらす世界を見て取る中で,体得底で身に付けようとしてきたことは,キリストみたいに「できた!」と言える無我のゆとりに恵まれた,一番できる大人になることです。キリストみたいに「できた!」と言える無我のゆとりに恵まれた,一番できる大人になることは,発達の舞台ごとに見てきたように,陽気で楽しい歓びそのものである聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)の真似をして,キリストみたい(あるいは,阿羅漢,ないしは,ムスリム)になることの中にあります。私ども夫婦が示してきたもう一つは,このような陽気で楽しい歓びは,生きている実感が育つ初めから終わりまで,体験したことを心の中にピッタリ収めたり,毎日礼拝をしたりする,両方を,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)を礼拝する中で,漲っています。毎日礼拝は,礼拝する中で,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)(の名前)を毎日思い出す(唱える)だけで,豊かになっていくひとりびとりが,人様のお役に立つ人生の習慣をプレゼントしてくれます。陽気で楽しい歓びには,このように,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)にも,目の前の相手にも,忠実で,仲睦まじくいられる,心底からの目印ですから,とらえどころがないように見えても,内的な促しがありまし,心底から満足できますから,陽気で楽しい歓びが漲ると,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)の声と,唯一の救い主キリストを,なるほど真実だし,誠に尊い存在だと,心から信頼するようになります。聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)の,あの声と,唯一の救い主である,あのキリストは,人間が心響かせる大人に創造される全ての舞台にも,仲睦まじい仲間になる全ての約束に伴う一心同体になる2人の関係の根っこにも,いつでも何度でも,沁み渡っています。
この本物の大人になる道は,毎日礼拝の中で,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)のお名前を毎日唱えることによって,日々目覚めていくこと,覚するになります。それは,人様のお役に立つ人生の習慣を体得底で身に着けることに他なりません。
ところが,昨日も申し上げましたように,日曜礼拝では,甚だ不十分,というよりも,その目覚め,正覚(しょうかく)して,人様のお役に立つ習慣を身に着けることを邪魔する場合が,残念ながら,あまりにも多いのが現実です。
目覚め,正覚は,聖書の神様(あるいは,阿弥陀様,ないしは,アッラーの神様)のお名前を毎日唱える中で,一心同体になる神秘の中で,聖書の神様そのものである,陽気で楽しい歓びを体験することによって,はじめて可能になります。
本物の仏教徒,本物のムスリム,本物のキリスト者は,不思議なことに,声とキリスト(無・無我)が必ず魂に響いてきて,シャローム平和を作り出して下さいます。
例外はない。
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