エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#ニッポンに不正が横行するのはなぜか?  #ニッポンに残忍な他罰があふれるのはなぜか?

2024-12-12 05:51:58 | エリクソンの発達臨床心理

#過越を真似る
#キリスト者の心楽しい眺め  #トラウマ = #心響かせない母子関係 その2 #赤ちゃんの死 #エリクソン心理学の神髄   #スピリチュアルな信頼の発達の道筋を示す  #覚書......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p.96の第3パラグラフから。




 しかしながら,この善悪を分ける場が,仲間を作る際にも,自分が育つ時にも,働くのを見ると,この善悪を分ける場楽しくなくなるのは,どういう場合かが判ります。すなわち,耐えられ,しかも,役に立つ 善悪を分ける境界線を,親から子へと 確信をもって引き継ぐ ことができなくなります。善悪を分ける儀式は,概して,犯人になりそうな人に対する見せしめとして皆が認める「ルール上の」ダメを作り出すのも仕事ですので人が「人として」頼りになるとは感じられるようになることからけ離れてしまいがちです。善悪を分ける対人関係の中では人として頼りにならない気持ちを増長しがちですから,正しいことに自由に賛成するというよりも,怖いから皆に同調する ということを強調することになります。すなわち,善悪を分ける腑に落ちて儀式に参加するんじゃなくて,ねばならないと 形だけお役所仕事でやることが強まりますそれに,善悪を分ける皆が野次馬になりますし,お裁きの場でも,厳罰にしろと他が苦しむのを歓ぶようになります。これらは全て,犯人を絶望的な孤独に陥れますし,犯人をますます「恥知らず」にするようなどうにもならない激しい怒りをますます厄介にします。ですから,第2ステージの形だけしかない礼拝の際立つ要素の,出来上がりです。それは「先だけで行動が伴わないと呼びたいのです。口先だけで行動が伴わない礼拝もどき口先だけで読んだ文字言葉話し言葉や法に宿る息吹台無しにします。口先だけで行動が伴わない礼拝もどき先だけで虚しく語ったり,口先だけのゴメンナサイを言ったり,犯人や他の人のためになるのか判らないままに,「犯人を晒し者にしろ」「孤立させろ」と,正義を振りかざして 口先だけで言い立てる ということに出ます。口先だけで行動が伴わない礼拝もどき全ては,人間様は,自分の心がバラバラ ですと,心がバラバラな自分に, 正義の自分  不甲斐ない自分  を結びつけてしまって,正義を厳格に言い立てる装置のために 「人々が上下2つに」バラバラになってしまう  のです。ここでも,毎日礼拝ができないためになる心の病と,礼拝する習慣が上手く働かないことになる社会病理は,似た者同士です。    礼拝をすることによって,ひとりびとりが,恥知らずのイライラをぶつけることと細々したことを押し付けることの間を行ったり来たりしたり,やりすぎやらなすぎの間を行ったり来たりすることを防げない場合,人々が礼拝によって身に着ける習慣によって,不正の横行も、正義を振りかざした残忍な他罰主義も,防ぐことができません。



 いまのニッポンが,まさに、治家の不正蓄財やハラスメントから 犯罪の請負バイトまで,不正が横行し,また,正義を声高に振りかざして,弱者を残忍に他罰することが溢れ返っているのは,本物の毎日礼拝が衰退しているからなんです。
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