取引しているようじゃ、本当の解決になりません。勇気を出して、立ち向かうと、自分を確かにさせる道が開けます。外でやることと、内でやることは、全く同じことの裏表です。
Young Man Luther 『青年ルター』p215の第1パラグラフの 下から5行目途中から。
でも、みんながある程度その取引をしています。誰もが、口説かれて、ある価値を信じるようになりますし、その価値には、たった一つの出口しかありません。その出口は、希望と絶望に見合ったシンボルで飾られ、その価値を宣伝する者たち、その価値を良く体現する者たち、その価値に反する人を懲らしめる者たちによって、守られています。
まるで、その価値には、神社か仏閣か、大聖堂があるみたいですね。そこには、鳥居や、山門や、十字架といったシンボルがあるかもしれません。あるいは、観音様、二王、エンマ様がいるかもしれません。神が死んだ後には、神様ではない顔をした別の「神」がコッソリ、神の座席に座りやすいんですね。
それは、実は恐ろしいことの始まりなのにね。
あなたの「神の座」にはどなたが座ってます?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます